第7話:「久しぶり」
髪が決まらない朝は、
一日中気分が沈む。
その日も奏は、
鏡の前で何度目かわからないため息を吐いていた。
「……違う」
ワックスを直しても、
前髪を流しても、
しっくりこない。
会社で同期に、
『前の髪の方が似合ってたかも』
なんて言われたせいもある。
悪気はなかったのだろう。
けれどその一言が、
妙に刺さった。
玲なら、
絶対こうならなかった。
そんなことばかり考えてしまう自分に、
少し嫌気が差す。
仕事を終え、
疲れたままソファに倒れ込んだ時だった。
テーブルの上でスマホが震える。
知らない番号。
営業かと思いながらも、
なんとなく気になって通話ボタンを押した。
「はい、水瀬です」
『あ、出た』
その瞬間、
心臓が跳ねた。
『久しぶり』
聞き慣れた声だった。
一瞬でわかる。
「……玲さん?」
『そうそう。忘れられてなくてよかった』
軽い笑い声。
何事もなかったみたいな声だった。
奏は反射的に身体を起こす。
「なんで……」
『え、何その反応』
『ちょっと傷つくんだけど』
「いや、だって……」
言葉が詰まる。
聞きたいことは山ほどあった。
なんで急にいなくなったのか。
どうして何も言わなかったのか。
でも、
いざ声を聞くと全部飛ぶ。
『店辞めたの気づいた?』
「……気づきましたよ」
『あはは、だよね』
玲は悪びれもなく笑う。
『実は店出したんだよね』
「店……?」
『独立』
『ちっちゃいけど』
その言葉に、
奏は息を止めた。
独立。
なんとなく、
玲ならいつかしそうだと思っていた。
人気もあったし、
センスもある。
でも。
「……なんで言ってくれなかったんですか」
気づけば、
そんな言葉が漏れていた。
電話の向こうが少し静かになる。
『怒ってる?』
「怒ってるっていうか……」
困る。
そう言いたかったのに、
うまく言葉にならなかった。
玲は少しだけ笑って、
それから柔らかい声で言った。
『ごめん』
その一言が、
思ったよりずるかった。
『バタバタしてたし』
『落ち着いたら連絡しよって思ってた』
「……」
『で、水瀬くん』
名前を呼ばれる。
昔から、
玲に名前を呼ばれると少し落ち着かない。
『最近、他で切った?』
奏は思わず黙った。
『あー、やっぱり』
玲が笑う。
『絶対そうだと思った』
「……なんでわかるんですか」
『声』
「え?」
『なんかテンション低い』
そんなことでわかるのか。
奏は小さく息を吐いた。
電話越しなのに、
玲は相変わらず距離が近い。
『で、どうだった?』
「……別に普通でした」
『ふーん』
絶対信じてない声だった。
沈黙が落ちる。
けれど不思議と嫌じゃない。
むしろ、
久しぶりにちゃんと息ができる気がした。
『……来てよ』
不意に、
玲が低い声で言った。
さっきまでの軽い調子とは違う。
「え」
『新しい店』
『まだ慣れない客ばっかでさ』
冗談っぽく笑う。
でも。
『水瀬くん来たら、ちょっと安心する』
その言葉に、
胸が強く鳴った。
奏はしばらく何も言えなかった。
ただ、
心のどこかでずっと空いていた場所に、
ようやく何かが戻ってきた気がした。
読んでいただきありがとうございます!
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わかる…!前髪がうまくいかなかった日とか、ちょっと今日違うなーってときは大抵テンション下がる。
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