奏誕生日旅行編・後編:「帰りたくない」
朝。
薄く差し込む光で、
奏はゆっくり目を覚ました。
旅館の静かな空気。
隣から聞こえる、
小さな笑い声。
「……かわい」
「……っ」
奏は布団の中で目を開ける。
すぐ隣に、
玲がいた。
寝起きの少し低い声。
髪はまだ少し乱れている。
「朝からやめてください……」
「あはは。
寝起き弱すぎ。」
玲は楽しそうに笑う。
奏は布団へ顔を埋めた。
「顔真っ赤。」
「玲さんのせいです」
「俺、
何もしてないけど。」
絶対わざとだ。
◇
朝風呂へ入る。
昨日の夜とは違う、
柔らかい朝の空気。
露天風呂から見える海は、
朝日で少しきらきらしていた。
「朝の海、
綺麗ですね」
「うん。」
玲は隣で静かに笑う。
昨日より、
少しだけ自然に近くにいられる。
肩が触れても、
前ほど慌てなくなった。
それが少し嬉しかった。
「奏。」
「はい?」
「誕生日、
今日もだからね。」
「……知ってます」
「だから今日も甘やかす。」
「宣言しないでください」
玲は楽しそうだった。
◇
朝食会場。
旅館らしい和朝食が並ぶ。
「うわ……すご」
焼き魚。
味噌汁。
小鉢。
だし巻き卵。
玲はコーヒーを飲みながら、
向かいの奏を見る。
奏はちゃんと全部食べていた。
「えらい。」
「子どもじゃないんですから」
「でもちゃんと食べるの好き。」
玲は笑う。
「朝弱いのに頑張ってる感ある。」
「……玲さん、
朝からずっと見てません?」
「好きだから。」
さらっと返される。
奏は味噌汁を飲みながら、
耳を赤くした。
◇
部屋へ戻り、
帰る準備をする。
浴衣を脱いで、
また普段の服へ戻る。
旅行の終わりが近づいていた。
奏は荷物をまとめながら、
少しだけ寂しくなる。
「忘れ物ない?」
「多分大丈夫です」
玲はそう言いながら、
奏のマフラーを自然に巻き直した。
「……また近い」
「最後までちゃんと世話する。」
「何ですかそれ」
「あはは」
でも。
その距離が、
もう少しだけ当たり前になっていた。
◇
チェックアウト後。
二人で海へ寄る。
冬の海。
冷たい風。
白い息。
波の音だけが静かに響いていた。
奏は海を見ながら、
小さく息を吐く。
「旅行、
あっという間でした」
「ね。」
玲は隣で笑う。
「でも楽しかった。」
「……はい」
本当に。
驚くくらい楽しかった。
玲といる時間が、
こんなに自然になるなんて思わなかった。
玲がそっと、
奏の手を握る。
「また来よっか。」
「……また?」
「何回でも。」
玲は本気みたいに言う。
奏は少しだけ笑った。
◇
帰り道。
お土産屋へ寄る。
「職場用これでいいですかね」
「真面目。」
「玲さんは?」
「俺?
奏との思い出持って帰るからいい。」
「恥ずかしいこと普通に言いますね」
「あはは」
結局、
二人で温泉まんじゅうやお菓子を選んで、
袋を分け合った。
その感じが、
妙に恋人らしかった。
◇
夕方。
車が高速へ入る。
旅行の帰り特有の静けさ。
奏は助手席で、
ぼんやり窓の外を見ていた。
昨日より、
隣が自然だった。
玲の運転。
流れる音楽。
時々触れる距離。
全部が落ち着く。
「眠い?」
「少し。」
「寝ていいよ」
「……もったいないです」
「何が?」
「旅行、
終わっちゃうので」
玲は少しだけ笑う。
赤信号で車が止まる。
静かな車内。
奏は小さく息を吐いた。
「……帰りたくないです」
ぽろっと、
自然に出た本音だった。
玲は数秒止まる。
それから、
すごく優しく笑った。
「じゃあ次も行こっか。」
その言葉が、
胸へじんわり広がる。
奏は少し照れながら、
小さく笑った。
「……はい。」
窓の外、
夕焼け色の海が流れていった。
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