奏誕生日旅行編・前編:「誕生日の行き先」
十一月の終わり。
閉店後の美容院。
玲はレジ締めを終えながら、
ソファへ座っていた奏を見た。
「奏。」
「はい?」
「十二月二日と三日、
有休取って。」
奏は数秒止まった。
「……え?」
「誕生日。」
玲は当たり前みたいに言う。
「いや、
一日で十分じゃ」
「一泊するから。」
「……は?」
玲は楽しそうに笑った。
「空けといてね。」
それだけ言って、
コーヒーを飲む。
奏はしばらく固まっていた。
一泊。
旅行。
しかも玲、
完全にもう決めてる。
「……どこ行くんですか」
「秘密。」
「いや怖いんですけど」
「あはは」
玲は笑うだけだった。
◇
そこから数日。
奏はずっと落ち着かなかった。
旅行って何持って行けばいいんだろう。
服。
荷物。
靴。
温泉……?
「……旅行」
呟くだけで変に緊張する。
玲と付き合ってから、
初めての遠出だった。
しかも一泊。
奏はクローゼットの前で悩む。
「これじゃ寒いか……?」
スマホで天気を見る。
何回も見る。
玲はこういう時、
さらっとスマートに準備しそうなのが悔しい。
結局前日の夜まで、
奏は荷造りをやり直していた。
◇
十二月二日。
朝。
マンション前へ停まった黒いSUVを見て、
奏は少し目を丸くした。
運転席の窓が開く。
「おはよ」
玲。
黒タートルにコート。
ラフにセットした髪。
そして。
運転席。
それだけで妙に格好良かった。
「……玲さん、
車持ってたんですね」
「レンタカー。」
「なんかその車似合いますね」
「何それ」
玲は笑う。
「乗って。」
助手席へ座る。
ドアが閉まる音。
冬の朝の空気。
ほんのり車内へ残る香水の匂い。
全部が少し特別だった。
◇
車が走り出す。
街を抜けて、
高速へ入る。
玲は片手でハンドルを持ちながら、
音楽を流した。
「眠かったら寝ていいよ」
「大丈夫です」
「昨日荷造りで寝てないでしょ」
図星だった。
「……なんでわかるんですか」
「顔。」
玲は横目で笑う。
悔しい。
でも。
運転している玲を見ていると、
なんだか妙に落ち着かなかった。
横顔。
長い指。
ハンドルを握る手。
信号待ちで、
軽く髪をかき上げる仕草。
全部ずるい。
「……さっきから見すぎ」
「見てません」
「見てた。」
玲は楽しそうだった。
◇
海沿いへ出る。
窓の向こう。
冬の海。
薄い青空。
陽の反射。
「うわ……」
奏は思わず声を漏らした。
「綺麗。」
「でしょ。」
玲は少し嬉しそうに笑う。
「連れて来たかった。」
その言い方が、
妙に優しくて。
奏は少しだけ視線を逸らした。
◇
途中のサービスエリア。
二人で車を降りる。
空気が冷たい。
「寒っ」
「ほら。」
玲が自然に、
奏のマフラーを少し直した。
「……外です」
「誰も見てないって」
玲は笑いながら、
自販機で缶コーヒーを買う。
奏は肉まんを持ったまま、
少しだけ耳が熱かった。
「熱っ」
「あはは、
猫舌。」
「違います」
玲は楽しそうに、
奏の持つ肉まんを半分ちぎった。
「ちょっ」
「ん、美味い。」
「勝手に食べないでください」
でも。
こういうやり取りが、
なんだか嬉しい。
◇
昼過ぎ。
熱海へ到着した。
「うわ……」
温泉街。
坂道。
海。
どこかレトロな空気。
奏は周囲を見回す。
「ほんとに旅行なんですね……」
「だから言ったじゃん」
玲は笑いながら、
奏の手を軽く引いた。
「まず食べ歩き。」
「もう決まってる」
「当然。」
商店街を歩く。
温泉まんじゅう。
海鮮串。
プリン。
どこも美味しそうだった。
「これ食べたいです」
「珍しい、
奏から言った。」
「……だめですか」
「全然。
かわいい。」
「すぐそれ言う」
玲は笑ったまま、
奏へプリンのスプーンを差し出す。
「はい、ひと口。」
「自分のあります」
「いいから。」
仕方なく食べる。
甘い。
「……美味しい」
「でしょ。」
玲はその顔を見ながら、
満足そうに笑った。
冬の温泉街。
白い息。
並んで歩く距離。
奏はふと思う。
こんなふうに、
誰かと旅行する日が来るなんて、
少し前まで想像もしていなかった。
しかも。
隣にいるのが玲なのが、
まだ少し不思議だった。
玲はそんな奏を見て、
小さく笑う。
「何考えてる?」
「……秘密です」
「あ、うつった。」
玲は楽しそうに、
もう一度奏の手を握った。
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