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第16話:「踏み込めない」


 美容師という仕事は、

 距離が近い。


 髪に触れる。

 顔を見る。

 何時間も会話する。


 だから勘違いされることも多い。


 玲自身、

 それをわかった上でやっていた。


 褒めれば客は嬉しそうに笑うし、

 距離を縮めれば指名につながる。


 そういう仕事だ。


 実際、

 玲は昔から人との距離が近かった。


 男女関係なく、

 自然に懐へ入れる。


 だからこそ、

 今まで特定の客を“特別”だと思ったことなんてなかった。


 ——水瀬奏以外は。


「……はあ」


 閉店後の店内で、

 玲はソファに身体を沈めた。


 静かな空間。


 時計の音だけがやけに響く。


 今日の奏の顔が、

 頭から離れなかった。


『別に俺じゃなくてもいいんだろうなって』


 あんな顔するなんて反則だろ。


 玲は片手で目元を覆う。


 正直、

 かなり焦った。


 奏が他の美容院を見ていた瞬間、

 思ったよりずっと嫌だった。


 胸の奥がざわついて、

 イライラして、

 気づいたら引き止めていた。


『俺じゃダメ?』


 あんなこと、

 他の客には絶対言わない。


 言う必要もない。


 なのに奏には、

 他へ行ってほしくなかった。


「……重」


 自分で自分に引く。


 美容師が客に執着してどうする。


 しかも五年。


 最初はただ、

 放っておけない大学生だった。


 美容院に慣れてなくて、

 褒めるとすぐ赤くなって、

 緊張すると肩が固まる。


 でも、

 気づけば奏が来る日を楽しみにしていた。


 予約表に名前があるだけで、

 少し機嫌が良くなる。


 髪を触ると落ち着く。


 変化に気づくと嬉しい。


 社会人になって、

 スーツが似合うようになった時なんか、

 本気でドキッとした。


「……終わってるな」


 玲は苦笑する。


 もう認めるしかない。


 奏は特別だ。


 誰より気になるし、

 誰より触れていたい。


 誰かに取られるのも嫌。


 あれは完全に嫉妬だった。


 でも。


「客なんだよなあ……」


 ぽつりと零す。


 そこだけが、

 どうしても引っかかる。


 美容師と客。


 近いようで、

 実際はかなり線引きのある関係だ。


 下手に踏み込めば、

 奏を困らせるかもしれない。


 気まずくなって、

 来なくなる可能性だってある。


 それが一番嫌だった。


 会えなくなるくらいなら、

 今のままの方がいい。


 そう思っていたはずなのに。


「……でも無理かも」


 最近の奏はずるい。


 嫉妬したり、

 落ち込んだり、

 期待した顔をする。


 あんなの見せられて、

 平気でいられるわけがない。


 スマホが震える。


 画面を見ると、

 奏からだった。


『今日はありがとうございました』


 いつもの短いメッセージ。


 なのに玲は、

 それだけで口元が緩む。


『こちらこそ』


 打ち込んで、

 一瞬止まる。


 それから。


『次もちゃんと俺んとこ来てね』


 送信。


 既読がつくまでの数秒が、

 妙に長く感じた。

読んでいただきありがとうございます!

毎日12時に投稿予定です५✍⋆*

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