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第9話:「閉店後」


「はい、完成」


 玲が最後に軽く前髪を整える。


 鏡の中の自分を見て、

 奏は小さく息を飲んだ。


「……あ」


 戻ってる。


 いや、

 前よりちゃんと今の自分に合っている。


 重かった横髪は自然に収まって、

 前髪も扱いやすい。


 仕事用の清潔感はあるのに、

 どこか柔らかい。


「やっぱこれ」


 玲が満足そうに笑う。


「水瀬くん、このくらい軽い方が絶対いい」


「……すごいですね」


「何が?」


「ちゃんと戻るんだなって」


 玲は一瞬だけ目を細め、

 それから少し嬉しそうに笑った。


「そりゃ五年担当してるんで」


 その言い方が、

 妙に胸に残る。


 時計を見ると、

 もう二十一時を回っていた。


 店の外はすっかり暗い。


 静かなBGMだけが流れる店内で、

 玲がレジを打ちながら言う。


「今日仕事大丈夫だった?」


「まあ、普通に」


「絶対残業してたじゃん」


「……してました」


「あはは、顔に出る」


 相変わらず、

 見透かされる。


 会計を終え、

 奏は鞄を持ち上げた。


「じゃあ、ありがとうございました」


「んー」


 玲は返事をしながら、

 入口の札をひっくり返す。


『CLOSE』


 カチ、と鍵の音がした。


 その瞬間、

 店の空気が少し変わった気がした。


 営業中じゃない。


 本当に、

 二人きり。


 奏が妙に落ち着かなくなっていると、

 玲が振り返る。


「腹減ってない?」


「え?」


「メシ」


 玲は当然みたいな顔で言った。


「このあと行く?」


 奏は瞬きをする。


「……俺とですか?」


「他に誰いるの」


 玲が笑う。


 その笑い方は、

 店で見せる接客用の顔より少し柔らかかった。


「いや、でも……」


「なに、警戒してる?」


「そういうわけじゃ」


「じゃあ決まり」


 玲は勝手に上着を羽織り始める。


 その自然さに、

 奏は断るタイミングを失った。


 美容院の外で会うなんて、

 初めてだった。


 これまではずっと、

 “美容師と客”。


 店の中だけの関係。


 それなのに。


 並んで夜道を歩いているだけで、

 妙に変な感じがする。


「何食べたい?」


「なんでも……」


「うわ、一番困るやつ」


 玲が笑う。


 街灯の下、

 仕事終わりなのか、

 玲は少し髪が崩れていた。


 セットされていた前髪も緩く下りていて、

 いつもより年相応に見える。


 その姿に、

 奏は少しだけ視線を奪われた。


「なに?」


「……いえ」


「今なんか見てた」


「見てないです」


「嘘つけ」


 玲は楽しそうだ。


 店にいる時より、

 少しラフで、

 少し近い。


 それがまた落ち着かない。


 入ったのは、

 駅裏の小さな定食屋だった。


「え、普通ですね」


「何だと思ってたの」


「もっとオシャレな店かと」


「あー、偏見」

「俺、仕事終わりはこういうのがいい」


 玲は慣れた様子で席に座る。


 奏も向かいに腰を下ろした。


 美容院じゃない場所で、

 向かい合って話す。


 それだけなのに、

 どうしてこんなに緊張するんだろう。


「……なんか不思議です」


「何が?」


「玲さんとこうやってるの」


 玲は一瞬だけ目を丸くして、

 それから笑った。


「確かに」


 テーブルに頬杖をつきながら、

 玲が奏を見る。


「でも俺、水瀬くんとはそのうちメシ行くだろうなって思ってた」


「え」


「なんとなく」


 軽い口調。


 なのに。


 その視線だけが、

 少し真っ直ぐで。


 奏はうまく目を合わせられなかった。

読んでいただきありがとうございます!

オフの玲もなかなか色気があると思います(笑)

毎日12時に投稿予定です५✍⋆*

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