氷河期世代バトルロワイヤル
灰原修司、四十七歳。独身。年収三百二十万。築三十年のワンルーム住まい。冷蔵庫には半額シールの豆腐と、麦茶と、期限の近い納豆が入っている。
その日、彼は物流倉庫の休憩室で、コロッケパンを食べていた。
スマホの画面には、家賃の引き落とし通知。
メール欄には、見覚えのない差出人。
【内閣特別調整室よりご案内】
あなたは厳正なる選考の結果、「氷河期世代代表」に選出されました。
「……なんの詐欺だよ」
呟いた直後、休憩室のドアが開いた。
黒服が二人。映画みたいに無駄のない動きだった。
「灰原修司さんですね」
「違いますって言ったら?」
「顔認証が済んでおります」
「じゃあ聞くなよ」
黒服は一枚の紙を差し出した。
【国家世代最適化競技会 出場要請】
会場:国会議事堂地下特設闘技場
内容:世代間バトルロワイヤル
備考:勝者の世代には重点的な国家支援が実施されます。
修司は紙を見た。
黒服を見た。
もう一度紙を見た。
「国が、世代同士を殺し合わせるの?」
「比喩的には」
「じゃあ物理的には?」
「それなりに」
「やっぱ最悪じゃねえか」
その夜、修司は強制連行された。
拒否権はなかった。国の本気は、だいたいろくでもない方向にだけ異様に速い。
◇
国会議事堂の地下五階。
そこには、本当に闘技場があった。
大理石の通路を抜けた先に、円形の巨大空間。観客席には国会議員、官僚、有識者、なぜかワイドショーのコメンテーターまで座っている。中央のリングは黒曜石みたいに光り、周囲には巨大モニターが並んでいた。
上から垂れ幕が下がっている。
【世代の未来は、勝ち取るものだ。】
「コピー考えたやつ、最低限の羞恥心もねえな……」
修司が呆れていると、司会らしき男がスポットライトの下へ現れた。
白髪をオールバックにした内閣特命担当大臣、犬飼だった。笑顔がいちいちぬめっている。
「諸君! 本日は日本社会の長年の課題――世代間負担の最適化に、ついに決着をつける!」
「決着のつけ方が野蛮すぎるだろ」
「静粛に、氷河期代表」
もう呼び方が雑だった。
リングの反対側から、他の四人が入場してくる。
まず一人目。
団塊の世代代表、岩田重蔵。七十四歳。
ねじり鉢巻き、分厚い前腕、異様に張った腹。近所の自治会と元労組と謎の圧が全部合体したような男だ。歩くだけで床が鳴る。
「若いもんは気合いが足りん!」
まだ誰も何も言っていないのに、いきなり怒鳴った。
二人目。
バブル世代代表、財前麗華。五十八歳。
肩パッド入りの真紅のスーツ、金のネックレス、サングラス。香水の匂いだけでローンが組めそうだった。
「地下って嫌いなのよね。景気のいい話は、もっと上でやるものでしょ?」
三人目。
ゆとり世代代表、真中優。三十二歳。
パーカー姿にスニーカー、片手に水筒。会社員なのか講師なのかよくわからないが、やたら姿勢がいい。
「えーと、これ、戦わなくても対話とかでどうにかなりません?」
「なりません!」
「即答なんだ……」
四人目。
Z世代代表、九重レイ。二十一歳。
ショートカット、耳にピアス、指にはリング型端末。入場しながらもう自撮りしている。
「ヤバ。国会の地下、想像以上に映える」
「映える要素どこだよ」
そして最後が修司、氷河期世代代表。
黒の安物パーカー、くたびれたジーンズ、すり減ったスニーカー。手ぶらだと思っていたら、黒服に没収し忘れられたコンビニ袋を持っていた。中には歯ブラシ、充電器、胃薬、そして半額のおにぎり。
犬飼大臣が腕を広げる。
「選考基準を発表しよう!
団塊代表は“地域で最も声量と圧のある者”!
バブル代表は“いまだに栄光を現在進行形で語れる者”!
ゆとり代表は“角を立てずに本質を刺せる者”!
Z代表は“炎上しても数字を伸ばせる者”!
そして氷河期代表は――」
犬飼がわざと間を取った。
「履歴書・職務経歴書の通算送付数が最も多い者だ!」
観客席から、拍手が起きた。
修司は、心の底から思った。
帰りたい。
「ルールは単純! 最後まで立っていた一人の世代に、国家予算を重点投入する!
雇用支援! 住宅支援! 年金調整! 教育・子育て・医療・介護――勝者が総取りだ!」
その瞬間、全員の空気が変わった。
修司だけ、ちょっと遅れて気づく。
「……子育て?」
「はい」
「俺、子どもいないんだけど」
「世代全体への支援ですので」
「結婚してないんだけど」
「存じております」
「住宅支援って持ち家前提のやつじゃねえだろうな」
「詳細は勝利後に」
「急に嫌な予感がしてきた」
ゴングが鳴った。
◇
最初に動いたのは岩田重蔵だった。
「うおおおおおおおお!」
叫びと同時に、彼の背後に昭和の夕焼けみたいなオーラが燃え上がる。
闘気ではない。もっと社会的に厄介な何かだ。
「これぞ団塊奥義! 終身雇用・鉄拳制裁!」
突っ込んできた拳を、真中優がひらりと避けた。
「いや、怖っ」
「避けるなァ! 若者は正面から受けろ!」
「その価値観ごと避けたいんですよ!」
真中の足元に、薄い青い円が広がる。
「ゆとり式防御術――まあまあ結界」
岩田の怒声が、ぴたりと一歩手前で鈍る。
やる気を削ぐ、恐ろしく平和的な技だった。
「落ち着きません?」
「落ち着けるかァ!」
その横から財前麗華が高笑いした。
「古いのよ。時代は勢いとハッタリ!
バブル秘奥義――接待銀座シャンパン・レイン!」
空から無数のシャンパングラスが降った。
光の雨だ。豪華だ。無駄に豪華だ。床一面がきらきらし始める。
「うわ、滑る!」
「転ぶわよ、庶民!」
真中が滑って尻もちをつき、岩田が足をもつれさせる。修司もつい一歩下がったが、そこでふと止まった。
「……あれ?」
財前の技がまるで効かない。
修司の人生には、シャンパンに気圧される経験値がなかったのだ。
「なんで平然としてるのよ!」
「いや、俺、こういう場所に来たことないから基準がない」
「悲しい耐性で無効化しないで!」
そこへ九重レイが指を鳴らす。
「古いって。全部」
リング上空に小型ドローンが飛び上がり、巨大モニターに四人の顔が映る。
その横に、次々と数字が表示された。
【団塊:説教率 91%】
【バブル:自慢率 88%】
【ゆとり:温度差ストレス 67%】
【氷河期:可視化困難】
「なんだ最後」
「データ不足。ていうか、存在感が薄すぎて解析しづらいんだよね」
レイは笑った。
悪気のない、今どきの速い笑い方だった。だから少しだけ、刺さる。
「Z式戦術――切り抜き断罪」
モニターに、各世代の恥ずかしい象徴が連続再生される。
長時間説教、無意味な飲み会、空気の読めない叱責、根拠のない精神論。
岩田がうめき、財前が顔をしかめ、真中は「あー……ある……」と本気で気まずそうに目を逸らした。
修司の番で、画面が一瞬止まる。
【再生ファイルが見つかりません】
「は?」
「人生のハイライト、薄くない?」
「おい」
笑いが起きる。
観客席まで笑った。
修司は、そこで初めて、少しだけ歯を食いしばった。
◇
乱戦が始まった。
岩田が拳で押し潰し、財前が札束型の衝撃波を放ち、真中が流していなし、レイが弱点を解析して刺す。誰も彼も、自分の世代の悪いところと、妙に強いところを、そのまま武器に変えていた。
修司だけが、地味だった。
避ける。
耐える。
立つ。
また殴られる。
それでも立つ。
「なんであいつ、倒れないんだ」
誰かが言った。
修司は、自分でもわからなかった。
ただ、慣れていた。
応募して、落ちる。
面接して、落ちる。
やっと入って、切られる。
景気が悪い、時代が悪い、自己責任、努力不足。
そう言われるたびに、むかついた。
むかついたが、どうにもならなかった。
どうにもならないまま、次の日も起きた。
人生のだいたいが、そういう感じだった。
岩田の拳が飛んできた。
修司はまともに食らって吹っ飛ぶ。
「甘いんだよ、氷河期ィ! 根性が足りん!」
「足りてたら、もう少しなんとかなってたかもな……!」
修司が立ち上がる。
口の端を切っていた。血の味がした。
財前が笑う。
「あなたたちの世代って、ほんと損よねえ。景気も悪いし、顔つきまで暗いし」
「言い方が最悪なんだよ」
「でも事実じゃない?」
「最悪なんだよ!」
真中が割って入る。
「いや、ちょっと、みんな一回休みません? これ、国の思うつぼでしょ」
「正論だな」
「ね。だから協力して――」
「協力? ぬるいこと言ってんじゃねえ!」
岩田の肘が真中に入り、真中が転がった。
「痛っ! この人、コンプラって概念がない!」
レイが肩をすくめる。
「まあでも、わかる。結局さ、自分の世代の取り分って話でしょ?
だったら、他人の顔色見てる場合じゃないし」
その言葉に、観客席がどよめく。
犬飼大臣が嬉しそうにうなずいた。
「実に良い! 若き競争心!」
修司はそれを見て、急に、腹の底から冷えた。
ああ、こいつら。
ほんとに、これを見たかったのか。
世代同士が、勝手に憎み合って、勝手に削り合って、勝者にだけ飴をやる。
そうすれば、制度を設計した側は、誰にも殴られずに済む。
「……ふざけんな」
小さく言ったつもりだったが、レイが聞き取った。
「なに?」
「ふざけんなっつってんだよ」
修司の足元から、白い霜のようなものが広がり始める。
冷気ではない。
もっと鈍くて、長いものだ。
積もりに積もった、行き場のない年月そのものだった。
「氷河期固有能力――」
犬飼が興奮した声を上げる。
「ついに覚醒か!」
修司は拳を握った。
その拳に、紙片のようなものが無数にまとわりつく。
履歴書だ。
不採用通知だ。
お祈りメールだ。
「覚醒ってほど立派じゃねえよ」
視線を上げる。
「ただ、積もってんだよ。ずっと」
技名が、口をついて出た。
「見送られ続けた者の拳」
踏み込んだ一撃で、まず財前が吹き飛んだ。
「こんな地味なパンチでぇぇ!?」
「派手なもの、持ってねえんだよ!」
続けざまに岩田の腹へ二発。
岩田は耐えたが、膝をついた。
「ぐ、ぐお……!」
「根性論、毎回こっちだけに要求してくんじゃねえ!」
真中がぽかんとした顔で呟く。
「地味なのに、やたら重い……」
そう。
地味なのだ。
修司の力には、映えも、華も、必殺技らしい美しさもない。
ただ、重い。
放置された年数の分だけ、重い。
◇
最後に残ったのは、九重レイだった。
岩田は場外。
財前はシャンパンの残骸に埋もれて失神。
真中は「もう帰って寝たい」と言い残して医務室へ運ばれた。
リングに立つのは、レイと修司の二人だけ。
レイは唇を舐め、指輪型端末を回した。
「なるほどね。やっとわかった」
「何が」
「あなた、強いんじゃない。消えないんだ」
上空のドローンが一斉に動く。
「Z最終解析術――スルー・アルゴリズム」
モニターから、修司の映像が消えた。
観客席のざわめきが止む。
誰かが「いたっけ?」と呟く。
修司の輪郭が、ほんの少し、薄くなる。
「これ、社会で一番効くやつなんだよ」
レイが言う。
「叩かれるより、褒められないより、無かったことにされるほうが、人って消える」
たしかに、それは効いた。
修司は何度も味わってきた。
会議で発言しても流される。
求人に応募しても返信がない。
存在しているのに、数に入っていない感じ。
胸の奥が、ひやりとする。
だが。
「……それで?」
「は?」
「それ、もう知ってる」
修司は一歩踏み出した。
輪郭が薄いまま、前へ出る。
「見えねえのも」
「……」
「後回しにされんのも」
「……」
「無かったことにされんのも、もう飽きるほどやった」
もう一歩。
レイの目が、初めて揺れた。
「なんで来れるの」
「慣れてるからだよ」
ドローンが警告音を鳴らす。
修司はコンビニ袋を振り回し、一機、二機、三機と叩き落とした。
「うそ、物理!?」
「最終的には物理なんだよ、たいてい!」
映像が乱れる。
数字が消える。
“見えない男”が、逆にど真ん中へ出てくる。
レイは舌打ちし、最後の手札を切った。
「じゃあこれで終わり。
タイパ断罪!」
修司の過去が、一分動画みたいに高速で流れる。
落選。契約終了。友人の結婚式の欠席返信。親からのため息。深夜のコンビニ。古びた蛍光灯。誰にも選ばれなかった時間。
観客席が静まる。
レイは、勝ったと思った。
だが修司は、映像の中の自分を見上げて、鼻で笑った。
「短ぇな」
「え?」
「こんなん、一分で済むわけねえだろ」
踏み込む。
「こっちは、二十年以上やってんだよ!」
拳が、レイのガードごと胸元にめり込む。
「氷河期最終奥義――自己責任百連打!」
「技名が重い重い重い!!」
レイが吹き飛び、リングを転がる。
それでも起き上がろうとしたが、その前に修司が立っていた。
息が荒い。
顔は腫れている。
服もぼろぼろだ。
それでも、立っていた。
「終わりだ」
レイは数秒だけ修司を見上げ、それから小さく笑った。
「ほんと、最悪の粘りだね」
「褒め言葉として受け取っとく」
「べつに褒めてない」
「知ってる」
レイが倒れる。
沈黙のあと、機械音声が響いた。
【勝者――氷河期世代代表、灰原修司】
◇
場内は、妙な静けさに包まれた。
犬飼大臣が乾いた拍手をする。
「お、おめでとうございます。これにて氷河期世代への支援策が――」
「具体的には?」
「え?」
「だから、具体的には何が出るんです」
修司がまっすぐ問うと、犬飼の笑顔が凍った。
「そ、それは今後、検討を」
「検討?」
修司が一歩、前に出る。
「命かけて勝ったあとに?」
「いや、命と申しましても比喩的には――」
「物理的にそれなりだったろうが」
リングの下で担架が三台通っている。
岩田が腹を押さえながら立ち上がる。
「おい、大臣」
財前も髪を乱したままサングラスを外す。
「ちょっと、それはないんじゃない?」
真中も医務室から顔を出した。
「対話が必要ですね。今この場で」
レイは寝転んだまま親指を立てた。
「配信したら終わるやつだよ、それ」
五つの世代の代表が、そろって犬飼を見る。
さっきまで互いを殴っていた目ではない。
もっとまずい目だ。
“ようやく敵を間違えなくなった人間の目”だった。
犬飼が一歩下がる。
「ま、まあ落ち着いて――」
「落ち着いて検討してきた結果がこれなんだろ」
修司は言った。
「だったら、今日はこっちが落ち着かねえ番だ」
その後、地下闘技場は大変なことになった。
犬飼大臣は逃げようとして岩田に襟首を掴まれた。
財前は「予算書持ってきなさい!」と官僚に怒鳴った。
真中は会議テーブルとホワイトボードを要求した。
レイはどこからか拾った端末で議場の内部資料を検索し始めた。
修司はコンビニ袋から胃薬を取り出して飲んだ。
「……俺、勝ったのに全然気分良くねえな」
「勝利ってそういうもんじゃない?」
レイが床に寝たまま言う。
「だいたい後処理があるし」
「二十一でその達観、嫌だな」
「そっちも四十七で地下闘技場優勝は嫌でしょ」
「それはそう」
朝五時。
臨時閣議が開かれた。
朝七時。
超党派議員連盟が結成された。
朝八時半。
テレビ各局が速報を打った。
【未確認情報:国会地下で世代代表が激突か】
【政府、氷河期世代向け緊急支援パッケージ発表へ】
【なお地下闘技場の存在についてはコメントを控える】
そして午前十時。
国会議事堂の正面玄関から、灰原修司は出てきた。
眩しい朝だった。
記者たちが殺到する。
「灰原さん! 一言お願いします!」
「勝因は何ですか!」
「氷河期世代の代表として、今のお気持ちは!」
修司は少しだけ考えた。
勝因。
そんな立派なものがあるだろうか。
ただ、他の世代が途中で立派だったり、賢かったり、器用だったりしたのに対して。
自分だけが、長く、しつこく、引きずってきただけだ。
それを口にするのも、なんだか癪だった。
だから修司は、缶コーヒーを一本受け取り、プルタブを開けてから言った。
「別に」
「え?」
「まだ、負け分を取り返し始めただけだ」
記者たちが息をのむ。
その背後で、岩田が怒鳴っていた。
「若いもんだけに押しつけるな!」
財前が叫ぶ。
「老後も現役も両方守りなさい!」
真中がホワイトボードを掲げる。
「対立より調整! 調整です!」
レイがスマホを振る。
「このハッシュタグ、もう一位!」
修司はそれを振り返り、少しだけ笑った。
国はたぶん、またろくでもないことを考える。
社会もそう簡単には変わらない。
今日の支援策だって、あとで骨抜きになるかもしれない。
それでも。
少なくとも一度、地下で全部ぶっ壊れた。
“見えないままで終わる”って筋書きだけは、殴って変えた。
缶コーヒーはぬるかった。
でも、妙にうまかった。
その日、日本でいちばんしぶとい男が優勝した。
そして政府は、たぶん明治維新による政府設立後初めて、
本気で「後回しにするとまずい相手」を理解したのだった。




