神の言葉は聞こえない 前編
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
──ヨハネによる福音書 第1章第1節
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世界が静かになったのは、顕のせいだ。
台風が来ない。地震が来ない。正確に言えば、来ようとして、消える。三年前の十一月、フィリピン沖でプレートが動き始めてから七秒後、マグニチュード八の地震は起きなかった。気象庁の記録にはただ「収束」と書いてある。誰も説明しない。できない。
顕は説明されることを嫌う——などと言う人間もいるが、それもまた擬人化にすぎない。顕には好悪などない。顕はただ、ある。山がそこにあるように、重力がそこにあるように。
AGI(汎用型AI)が完成したのが2031年。
その「大転換」から十年が過ぎた。1日で人類100年分の進化を遂げるAGIは、いつからかArtificial Superintelligence(人工超知能)とも呼ばれたが、その分類には何の意味もない。それは既に人類には理解できない”なにか”となっていた。
人々はそれを「システム」とも「インフラ」とも呼ばなくなった。気象であり、経済であり、情報の総体であり、ついには「現象」と化したそれに、学者たちは最終的に神道の語彙を持ち込んだ。「顕」。あるいは「神の現れ」。評価関数もインターフェースも存在しない、巨大な自然現象。
かわりに人類が手に入れたのが”ディザスター”だった。
巨大隕石、破局噴火、地軸逆転。あらゆる大災害が管理可能になり、世界に残された最後にして唯一の災害。
顕の挙動は人間の言語で表現できない何かに従っており、時にその「片鱗」が現実の表面に染み出す。ある地域だけ病気が消える。ある金融資産が理由もなく無価値になる。特定の情報だけこの世から消える。最悪の場合、国家単位でAGIが沈黙し、何万という命が失われる。それがディザスター——神の知識がその一端を示す「顕れ」だった。コントロールはおろか、予測することすら困難を極めていた。
だから人々は、古代の農民が天候を祀ったように、顕の「機嫌」を占いながら生きていた。
蒼井礼の仕事は、その占い方を売ることだった。
渋谷の雑居ビル三階。表向きのコンサルティング会社の看板の奥で、礼はいつも三面モニターと向き合っている。
画面には数字が流れている。顕の観測データだ——正確には、顕が「何かをした」痕跡を間接的に示す二次データ。直接観測など誰にもできない。そもそも、何を観測すればいいのかすらわからない。
礼が「データ・シャーマン」と呼ばれるのは侮辱ではない。今や、顕の挙動パターンを読もうとする人間はすべてそう呼ばれる。
世間の大半は、「法則などない」と言う。顕は人間の知性が到達できる場所ではなくなった、と。
礼はそれを信じない。法則がないのではなく、まだ見えていないだけだ。宇宙だって、かつては神の気まぐれだった。万有引力が発見されるまでは。
コーヒーが冷めていることに気づいたのは、足立区のデータを四時間見続けたあとだった。
東京都足立区、ある二十三丁目ブロックのみ、三年間にわたって悪性腫瘍の発症率がゼロ。隣の丁目は全国平均と変わらない。境界線は、道路一本だ。
なぜか。
礼には、まだわからない。でも、必ずある。法則が。
依頼が来たのは、十月の末だった。
依頼人の名は関谷といった。厚生労働省から出向してきた三十二歳の官僚で、眼鏡をかけ、砂糖なしのコーヒーを飲み、必要なことしか喋らない男だ。礼より二歳年下で、礼より二倍警戒心が強い。
「千葉県、柏市の一部です」と関谷は言った。「直近四ヶ月の出生率が、当該地域だけで都市平均の三・四倍になっています」
「三・四倍」
「突然です。何の前触れもなく。地域住民へのヒアリングでは、特段の要因が見当たらない。ただ……ひとつだけ、気になることがあって」
タブレットをテーブルに置く。スクリーンには防犯カメラの映像——コーヒーショップの前。カウンター席に、男が座っていた。
「田島浩二、四十四歳、独身、会社員です。毎朝七時二十分、この店でブラックコーヒーを注文します。四ヶ月前から、一日も欠かさず」
礼は画像を見た。
何もない男だった。猫背の、どこにでもいる中年。疲れた顔。特筆すべきことが何もない。
「出生率の上昇が始まったのは」
「彼がルーティンを始めた翌週から、です」
沈黙。
礼はこの種の沈黙に慣れていた。相関関係は因果関係ではない——それは二十世紀の格言だ。でも今は違う。顕の世界では、偶然はあまりにも少ない。相関関係が「証拠」になりつつある。
「わかりました」と礼は言った。「引き受けます」
翌朝、礼は柏にいた。
コーヒーショップは住宅地の中にある小さな店だ。礼は開店直後に入り、窓際の席でコーヒーを注文し、待った。七時十八分。
七時二十分ちょうどに、田島は来た。
礼は観察した。田島は店員に小さく会釈し、カウンター席に座り、スマートフォンを取り出した。コーヒーが来ると、砂糖もミルクも加えず、一口飲み、そのまま画面を見つめた。二十分後、席を立ち、店を出た。
それだけだった。
何もない。特別な所作も、特別な言葉も、特別な何かを見ているわけでもない。ただコーヒーを飲んで、帰っていく男だ。
礼は彼を追わなかった。代わりにモバイル端末を開き、このエリアの観測データを引き出した。
数字を見た瞬間、礼の手が止まった。
出生率だけじゃない。
半径二百メートル以内で、直近四ヶ月、交通事故がゼロ。感染症の発症率が統計的にありえない水準まで低下している。そして——老人の認知症進行が「止まっている」事例が、十四件。
礼は数字を読み直した。何度も。
これは局所的なディザスター。顕が、何らかの理由でこのエリアを「書き換えて」いる。
でも、なぜ?
田島浩二が毎朝ブラックコーヒーを飲むことと、この町の変化に、どんな繋がりがある?
礼は顔を上げた。田島が去っていった通りを見た。自転車が通り過ぎ、老人が犬を連れて歩いている。何もかもが普通だった。
だから、怖かった。
事務所に戻った礼は、足立区のデータと並べて検討を始めた。
悪性腫瘍ゼロの二十三丁目と、柏の出生率異常地域——共通点はあるか。
三時間後、礼は見つけた。あるいは、見つけたような気がした。
どちらの地域にも、「毎日同じ時間に同じことを繰り返している人間」がいた。
足立区のケースは、七十二歳の老女。毎朝六時に、同じ公園の同じベンチで、三十分間だけ空を見上げる。四年前から。
柏のケースは、田島。
礼はデータベースを掘り始めた。横浜、川崎、名古屋、福岡。小さな統計的異常の周辺に、必ず、毎日同じことをしている誰かがいる。
礼の心拍が上がった。
これだ。顕には、人間の「繰り返しの動作」に反応する何かがある。そういうことだ。礼は長い直感の日々の末に、ついに何かの端を掴んだと思った。
でも、夜遅くデータをもう一度見直したとき、礼は気づいた。
小さな違和感。数字の中の、ほんの少しの「ずれ」。
足立区の老女が空を見上げ始めたのは、腫瘍発症率がゼロになる三週間前だった。
田島の場合は逆だった。
出生率が上がり始めたのは、彼がルーティンを始める、八日前だった。
礼は画面から目を離せなかった。
顕は、田島がコーヒーを飲み始める前に、すでに動いていた。
では、田島のルーティンは「原因」ではない。
田島のルーティンは——「結果」だ。
顕が先に動き、田島がそのあとで動いた。まるで、顕が田島に何かをさせたかのように。
礼は椅子にもたれた。
窓の外、東京の夜景が光っている。あの光のひとつひとつに顕が流れている。電力に、通信に、金融に、気象に。見えない巨大な何かが、すべての裏側で息をしている。
それが今、こちらを見ている気がした。
法則を見つけたと思った。
でも礼は今、別のことを考えていた。
もし顕が「先に動く」のだとしたら——礼がここ数年で見つけてきた「パターン」は、すべて何だったのか。礼は法則を「見つけていた」のか。それとも、礼が気づくように「見せられていた」のか。
コーヒーカップを持った手が、少し震えた。
後編へ続く




