遅れてきた気持ち
人生で最初の記憶が、母の葬式だということを、わたしはずっと誰にも話したことがなかった。
話せなかったのではない。ただ、どう話せばいいのかわからなかった。
三歳の冬だった。式場の廊下は冷たくて、黒い服を着た大人たちがたくさんいて、泣いていた。みんなが泣いていた。肩を震わせる人、声を上げる人、ハンカチで顔を覆う人。その中でわたしだけが、泣いていなかった。
思い出の中の幼女は、まるで他人のようだった。
泣き方を知らなかったのかもしれない。悲しみの意味を知らなかったのかもしれない。ただわたしは、廊下の隙間から外の光が差しているのを見て、気づいたら外に出ていた。庭の小石を拾い、水たまりを踏んで、靴下をびしょびしょにした。誰かに連れ戻されるまで、ずっとそうしていた記憶だけが、妙に鮮明に残っている。
母親の記憶はない。あるのは遺影の笑顔だけだ。和室の棚に飾られたその写真の女性は、わたしによく似ていると父が言った。でもわたしには、他人の顔にしか見えなかった。
いないのが当たり前だった。だからいなくなった寂しさも、なかった。
そうやってわたしは育った。
*
父が再婚したのは、わたしが八歳の春だった。
相手の人は、菜摘さんといった。細くて、声が静かで、笑うと目が細くなる人だった。父と並んで立っているとき、少し緊張しているのがわかった。
わたしも緊張していた。ただし、種類が違った。
「お母さんって呼んでくれると嬉しいな」
初めて会った日、菜摘さんはそう言った。声は優しかった。まっすぐな目だった。
わたしは黙った。
何も言わなかったし、何も感じようとしなかった。正確に言えば、感じてはいた。
ただそれが何なのか、自分でもわからなかった。拒絶、とも違う。恐怖、とも違う。ただ何かが、胸の奥で硬くなった。
菜摘さんはその後も、何度かその話をした。でもわたしはいつも、黙ったか、別の話に逃げた。
*
小学四年の遠足の前の晩、気づいたら台所から音がしていた。
朝の五時だった。まだ暗い中、まな板の音がしていた。覗いたら、菜摘さんが卵焼きを巻いているところだった。
「起こしちゃった?」
「……起きてただけ」
うそだった。音で目が覚めた。
お弁当には、たこさんウインナーと、わたしが好きなポテトサラダと、型で抜いたチーズが入っていた。友達に「かわいい」と言われた。わたしは「うち、お弁当うまいんだよね」とだけ言った。
ありがとう、が言えなかった。
言えない自分のことも、少し嫌いだった。
父に怒られたとき、菜摘さんがかばってくれたことがあった。「そんなに言わなくていいじゃない」と、父に向かってはっきり言った。その声には、普段より少し強さがあった。
わたしは礼も言わず、自分の部屋に戻った。
でも扉を閉めてから、壁に背中をつけて、しばらく動けなかった。
嬉しいという感情と、それを素直に受け取れない何かが、胸の中でぶつかり合っていた。
血がつながっていない。
その一点だけが、すべてを「借り物」にした。優しさも、気遣いも、笑顔も。義務でやっているだけなのかもしれない、と思った。そう思うことで、傷つかずに済んだ。
そうやって、わたしは距離を保った。
距離を保てば、失わずに済む。
それが正しいことだと、ずっと思っていた。
*
高校に上がると、口論が増えた。
些細なことだった。門限、スマホ、成績。父と言い合いになるたびに、菜摘さんは間に入ってきた。わたしはそれが、いっそう腹立たしかった。
ある夜、夕食の後で、わたしは言ってしまった。
「無理しなくていいから」
菜摘さんは箸を置いた。
しばらく、黙っていた。
「無理してるとは思ってないんだけど」
声は穏やかだったが、わずかに揺れていた。
「そう見えるなら、ごめん」
父が口を開きかけたが、菜摘さんが小さく手を振って止めた。
わたしはそのまま席を立って、部屋に籠った。
罪悪感はあった。ただそれを認めることは、何かを認めることになる気がして、できなかった。
何を。
それもわからなかった。
*
成人式は、一月の、骨が折れそうに寒い朝だった。
振袖は菜摘さんが選んでくれた。薄い紫で、梅の柄が入っていた。わたしは「別に何でもいい」と言ったが、菜摘さんは何軒も見に行ったらしかった。父から後で聞いた。
式が終わって家に帰ると、玄関に封筒が置いてあった。
わたしの名前が書いてあった。菜摘さんの字だった。
両親はどこかに出かけているようで、家の中は静かだった。コートを脱がないまま、わたしはソファに座って封筒を開けた。
便箋が三枚、入っていた。
インクは青くて、少し筆圧が強かった。
読み始めて、すぐに気づいた。手紙が、震えている。書いた人が震えていたのか、読んでいるわたしが震えているのか、しばらくわからなかった。
*
手紙には、こう書いてあった。
菜摘さんには、子どもが産めない体だということ。病気ではなく、最初からそういう体に生まれたこと。結婚を考えていた人と、そのことで別れたことがあること。父はそれを知った上で、それでも一緒にいたいと言ってくれたこと。
そして。
あなたに出会ったとき、母になれるかもしれないと思った、と書いてあった。
怖かった、とも。
受け入れてもらえなくてもいいと思っていた、とも。
ただ、あなたのそばにいることが嬉しかった。遠足のお弁当を作るとき。怒られているあなたをかばうとき。それだけで十分だと思っていた。
最後の行に、こう書いてあった。
「あなたのお母さんになれたことが、わたしにとって、どれほどの幸せだったか。うまく言えないけれど、どうしても一度だけ、伝えたかった」
文字が滲んだのは、最後の行を読み終えてからではなかった。
二枚目の途中だった。
子どもが産めない、と書いてあった箇所を読んだとき、急に胸に何かが落ちてきた。
落ちた、という言い方しかできない。頭ではなく、胸に、直接。
菜摘さんは、わたしを選んでいた。
義務でも、父への愛の延長でもなく。血がつながっていないのはお互い様で、それでも彼女は、ここにいることを選び続けていた。
借り物ではなかった。
わたしがそう決めていただけだった。
便箋を持ったまま、わたしはしばらく動けなかった。
泣いていた。
涙が出ているのに気づいたのは、振袖の袖が濡れてからだった。
泣きながら、わたしはなぜか、三歳の冬のことを思った。
式場の廊下。泣いている大人たち。水たまり。びしょびしょの靴下。
あのとき、泣かなかった。
泣き方を知らなかったのではないと、今なら思う。悲しみの置き場所が、なかったのだと思う。三歳の子どもには、「もう会えない」という事実が何を意味するのか、まだわからなかった。失ったものの大きさを、理解する言葉を持っていなかった。
だからずっと、そこに残っていた。
泣けなかったあの日が、何十年も、心の底に沈んだまま、ずっとそこにいた。
わたしが感じていた空白は、そこから来ていたのかもしれない。
何かが足りない、という感覚。何かを求めている、という感覚。でも何が足りないのか、何を求めているのか、ずっとわからなかった。
その空白が、菜摘さんを遠ざけていた。
近づいてくるものを、近づいてくれるものを、無意識に押し返していた。
失うのが怖かったのかもしれない。
失ったことに、気づくのが怖かったのかもしれない。
*
どれくらい泣いていたかわからない。
気づいたとき、外は少し暗くなっていた。
玄関の鍵が開く音がした。父と菜摘さんが帰ってきた。
「あら、電気もつけないで――」
菜摘さんがリビングの入り口で止まった。
わたしの手に、開いた封筒があった。
菜摘さんは何も言わなかった。父が空気を読んで、台所に消えた。
しばらく、静かだった。
菜摘さんは、わたしの斜め前に、そっと腰を下ろした。膝に手を置いて、正面を向いたまま、何も言わなかった。責めることも、急かすことも、泣くことも、しなかった。
ただ、そこにいた。
ずっと、そうしてきたように。
わたしは便箋を膝の上に置いた。
呼吸を整えようとして、うまくいかなかった。
「……読んだ」
「うん」
「なんで、今まで言わなかったの」
菜摘さんは少し考えてから、言った。
「言ったら、重くなると思って」
「重くなった」
「ごめんね」
謝ることじゃない、と言おうとした。でもその前に、声が出なくなった。
喉の奥が、詰まるような感じがした。
泣いた後だから空っぽのはずなのに、また何かが溢れてきた。
お母さん。
その言葉が、初めて、するりと出てきた。
「ありがとう、お母さん」
菜摘さんが、静かに息を吸った。
それから、わたしの手に、そっと自分の手を重ねた。
何も言わなかった。
それでよかった。
言葉よりも、その手の重さのほうが、ずっと確かだった。
*
あとで、こんなことを考えた。
母親という言葉の意味は、ひとつじゃないのかもしれない。
産んでくれた人の意味もある。育ててくれた人の意味もある。そこにいてくれた人の意味も。
わたしは長い間、最初の意味しか認めなかった。だから後の二つが入ってこなかった。
空白は、まだある。
実母への想いは、これからも消えないと思う。形のない、会えなかった人への、うまく言えない何か。
ただ。
空白が空白のままでも、そこに温かいものが隣に来ることはある、ということを、わたしは今日、初めて知った。
三歳の冬のあの子は、庭で石を拾いながら、泣けない自分のことも、たぶんわかっていなかった。
それでよかったのだと、今は思う。
あの時、流すはずだった涙は、ずっとここにあった。
泣くのは、今からでも遅くない。




