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恐らく奇妙な物語 短編集  作者: 理寿人


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28/40

霊能力者とヒョウ柄のおばちゃん

小野寺真緒は、幽霊が見える。


 見えるだけなら、まだいい。

 問題は、恋愛においてその能力が致命的な方向に役立つことだった。


 大学時代に好きになった先輩の背後には、なぜか全身ずぶ濡れの男がいた。

 社会人になってからいい感じになった取引先の男には、三人の女の生霊が順番待ちみたいに並んでいた。

 マッチングアプリで会った公務員には、落武者がいた。


 落武者は意味がわからない。


 そのせいで真緒の恋愛はいつも初手で終わった。

 人柄を見る前に背後を見る。

 背後を見た瞬間に帰りたくなる。


 もう恋なんてしない。

 少なくとも、霊的にややこしい男とは。


 そう思っていたのに。


「小野寺さん、今度、食事でもどうですか」


 社内の別部署にいる高槻悠介にそう誘われたとき、真緒は少し困った。


 困った理由は一つだ。

 高槻悠介は、かなり好きな部類だったからである。


 静か。

 やさしい。

 仕事が丁寧。

 人の話を最後まで聞く。

 しかも顔もいい。


 こういう男には、たいてい何かついている。

 経験上、そういうものだ。


 待ち合わせ当日。

 真緒は駅前で悠介の姿を見つけ、そのまま固まった。


 いた。


 いたのだ。

 背後霊が。


 だが予想と違った。


 白装束の女でも、血まみれの男でもない。

 ヒョウ柄に近い柄物の上着、妙に元気なパーマ、肝っ玉で構成されたような顔面。

 五十代後半くらいの、大阪のおばちゃんである。


 しかもめちゃくちゃ近い。

 ほぼ背中に乗っていた。


「あっ。あんた見えてるやろ」


 開口一番、それだった。


 真緒は思わず変な声を出した。

「ひゃ」

「どうしました?」

 悠介が心配そうに振り向く。

「い、いえ。駅前って鳩が多いですね」

「そうですか?」

「多いです」

「おるけど、今その話してへん」

 おばちゃんが即座に訂正した。


 真緒はその場で理解した。

 これは、かなりしゃべるタイプだ。


 食事中もおばちゃんはずっといた。


「この子な、昔からおとなしい顔してボーッとしてんねん」

「ちょ、ちょっと」

「いやほんまに。小学校のとき遠足で自分のリュック忘れて行きよった」

「お母さん、それ本当なんですか」

 真緒が思わず聞くと、悠介が驚く。

「え?」

「いえ、なんでも」

「いや、何か言いかけましたよね」

「口が勝手に」

「怖いですね」

「一番怖いのはその納得の仕方や」

 おばちゃんが呆れた。


 真緒はその日、帰宅してからベッドに突っ伏した。


「なんでよりによって彼氏候補の背後霊が大阪のおばちゃんなんだろ……」


 数日後。

 悠介から告白された。


「小野寺さんといると、無理しなくていい感じがして。よければ、付き合ってほしいです」


 真緒は感動しかけた。

 しかけたのだが、背後からおばちゃんが割り込んだ。


「言い方! もっとなんかあるやろ!

 夜景とか!

 花とか!

 せめて“好きです”はちゃんと言わんかい!」


 悠介はもちろん聞こえていない。

 真緒だけが、告白の横でダメ出しを食らうおばちゃんを見ていた。


 笑ってはいけない。

 でも無理だった。


「……ふふっ」

「えっ」

 悠介が青ざめる。

「すみません! 変な意味じゃなくて!」

「僕、今そんなに変でしたか」

「少し」

「少しなんですね……」

「でも、好きです」

「えっ」

「いや、だから、その」

「よっしゃ! 成立!」

 おばちゃんがガッツポーズした。


 こうして真緒は、彼氏と、その背後霊の母と、実質三人で付き合うことになった。


 当然、平和な恋愛にはならなかった。


 初デートの映画館では、おばちゃんがずっと先の展開を当てていた。

「その執事、絶対裏切るで」

「黙ってください」

「でも裏切る」

 三十分後、執事は裏切った。

 ちょっと腹が立った。


 遊園地では観覧車の中までついてきた。

「狭っ」

「幽霊に面積あらへんから大丈夫や」

「気分の問題です」

「真緒ちゃん、そういう細かいこと言うとモテへんで」

「彼氏の母の背後霊が観覧車に同乗してる時点で、もう普通のモテとかどうでもいいです」


 さらに厄介なのは、おばちゃんが真緒の味方でもあり、敵でもあることだった。


 悠介がデートで店選びを間違えると、

「あんたな! 初デートで焼き魚定食の店て! 色気どこや!」

 と怒る。


 しかし真緒が意地を張ると、

「真緒ちゃんも真緒ちゃんや。拗ね方がちょっと面倒くさい」

 と切り捨てる。


 しかもやたら世話焼きだ。


「真緒ちゃん、その男、靴下左右違うで」

「ほんとだ」

「高槻さん」

「えっ、あ、本当だ」

「こういうとこあるねん」

「お母さん」

「今しゃべってへん」

「そうですね」


 ある日、真緒はとうとう悠介に言った。


「たぶん、あなたのお母さん、ずっといます」

 悠介は箸を止めた。

「やっぱりそうなんですね」

「信じるんですか」

「いや、半信半疑ですけど」

「半信半疑で受け入れられるんですか」

「だって、母ならまあ、死んでもそのくらいはしそうなので」

 あまりに自然な返答で、真緒は笑ってしまった。


 その夜、おばちゃん――和子は、腕組みして得意そうに言った。


「ええ彼氏やろ」

「自分の息子だからって評価が甘い」

「せやけど事実や」

「まあ、かなりいいです」

「もっと大きい声で」

「かなりいいです」

「よっしゃ」


 付き合って一年。

 真緒はもうかなり和子に慣れていた。


 というか、ときどき悠介本人より会話していた。


「和子さん、今日の服どうですか」

「ええやん。ちょっと“ちゃんとしてる女”感が強いけど」

「褒めてます?」

「半分」

「嫌な半分だな」

「でも悠介は好きやで。ああいう男、きちんとしてる女見ると“人生が立て直せそう”って顔するから」

「人を見る目が嫌に具体的」


 悠介と喧嘩した日には、

「ほら言いな。女はな、“別にいい”の中に全然よくないを詰めて喋るねん」

 と真緒の背中を押し、

「悠介、お前は“ごめん”のあとに説明を足すな。まず謝れ。理屈はそのあとや」

 と息子を叱る。


 たぶんこの家のコミュニケーションは、半分くらい死者に支えられていた。


 そして二年後。

 悠介はプロポーズした。


「派手なことは苦手です。でも、一緒に暮らして、一緒に年を取っていきたいです。結婚してください」


 真緒は泣きそうになった。

 その横で和子はもう号泣していた。


「うわあああ、よう言うた!

 遅い! でも言うた!

 この子、ほんま決めるまで長いねん!」


 うるさい。

 でも、真緒も泣きながら笑った。


「はい。よろしくお願いします」


 結婚後、和子は少しずつ現れなくなった。


 以前は朝の支度中に

「その味噌汁、ちょっと薄い」

「洗濯物の干し方が甘い」

「悠介、ゴミ出し忘れてる」

 とうるさかったのに、新居では姿を見る日が減っていった。


 最初は、やっと二人きりになれたと思った。

 でもすぐ、妙に静かすぎると感じた。


「最近、お母さん来ませんね」

 真緒が言うと、悠介は少し笑った。

「成仏したんですかね」

「たぶん」

「よかったですね」

「……そうですね」

「寂しいですか」

「ちょっと」

「僕もです」


 その答えが妙にやさしくて、真緒はまた少し好きになった。


 そして翌年、真緒は子どもを産んだ。


 生まれたのは女の子。

 小さくて、ふにゃふにゃで、でも妙にふてぶてしい顔の赤ん坊だった。


 看護師が去り、病室が静かになったころ。

 真緒は娘を抱きながら、その顔をじっと見た。


 眉の寄せ方。

 口元。

 眠る寸前の、なんか言いたそうな顔。


 見覚えが、ありすぎた。


「……いや、まさか」


 その瞬間、赤ん坊が目を細めて、小さく「あー」と声を出した。


 真緒の背筋に、あの懐かしい気配が走る。


 そして聞こえた気がした。


「この病院、乾燥すごいな」


 真緒は固まった。


「悠介さん」

「どうしました」

「たぶんなんですけど」

「はい」

「お母さん、帰ってきました」

「えっ」

「輪廻転生とか、もっとこう、神秘的にやるものじゃないんですかね」

「母ですからね……」


 赤ん坊はすやすや眠っている。

 だが、寝顔がなんか仕切っている。


 真緒はため息をついた。


 たぶんこれから先、この子は離乳食に文句を言う。

 幼稚園で先生を仕切る。

 小学校で保護者会を乗っ取る。

 かなり高い確率で、そうなる。


 でもまあ、いいかと思った。


 好きな人がいて、

 笑わせてくる死者がいて、

 その死者がたぶん娘として帰ってきた。


 めちゃくちゃだ。

 でも、かなり愛しい。


 真緒は娘を抱きなおし、小さく笑った。


「……今度はちゃんと静かに育ってくださいね」


 すると娘は寝たまま、ほんの少し口元を上げた。


 どう見ても、

「無理やな」

 という顔だった。


 真緒は天井を見上げた。


 ああ、この家はこれからも騒がしい。

 でもたぶん、ずっと退屈しない。

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