金のライオン、銀のライオン
五月の終わり、真昼の商店街で、立花真帆は「来月、運命の人と出会うわ」と言われた。
半信半疑で入った小さな占いの店は、冷房が効きすぎていて、壁に貼られた星座のポスターが少しだけ剥がれていた。
向かいに座る占い師は、真帆の手のひらを見て、うんうんと深く頷く。
「その人、何か目印がありますか?」
真帆が聞くと、占い師は赤い爪で机を二度叩いた。
「金のライオン。それに関係のあるものを持ってる男」
「金の……ライオン?」
「アクセサリーかもしれないし、ロゴかもしれないし、もっと別のものかもしれない。とにかく、あなたは見れば少し気になるはずよ」
少し気になる、という曖昧さがいかにも占いらしくて、真帆は苦笑した。
でも、三月に別れた彼氏が「結婚はまだ重い」と言って逃げたあとだったので、そういう曖昧な希望でも、少しだけ胸に置いて帰りたくなった。
同じ日の夜。
駅の反対側の雑居ビルで、神谷蒼太もまた、別の占い師に同じようなことを言われていた。
「来月、運命の人が現れるよ」
「へえ」
蒼太は仕事帰りの流れで、半分は酔った勢いでそこに座っていた。友人に「彼女いない歴を更新し続ける前に、運でも見てもらえ」と押し込まれたのだ。
「目印はあるんですか」
「銀のライオンだね」
「ライオン」
「その女の人が持ってる。金属っぽいものかもしれないし、絵かもしれないし、何かのマークかもしれない」
蒼太は少し笑った。
「ずいぶんピンポイントですね」
「だから面白いんじゃない」
占い師は真顔でそう言った。
面白いのはあんただろ、と蒼太は思ったが、口には出さなかった。
*
六月に入ってから、真帆の目には、妙にライオンが増えた。
コンビニのくじ売り場に置かれたマスコット。
駅前の英会話教室のロゴ。
通勤途中ですれ違う男のTシャツ。
テレビで流れる動物園の特集。
ライオンってこんなに身近な生き物だったっけ、と真帆は軽く腹が立った。
ある金曜の午後、隣の席の後輩がひそひそ声で言った。
「真帆さん、営業三課の桐生さんって、めっちゃかっこよくないですか」
顔を上げると、会議室の前に、背の高い男が立っていた。白シャツの袖をまくり、細いフレームの眼鏡をかけている。おまけに脇に抱えたノートパソコンのケースには、金色のライオンのエンブレムが光っていた。
真帆は思わず姿勢を正した。
きた。
かもしれない。
その日の夕方、資料を届けるふりをして三課に行き、二分で後悔した。
「え、これ、表のフォントずれてるのわかります?」
桐生はケースのライオンと同じくらい堂々と嫌な男だった。
「こういうのってセンスですよね。立花さん、たぶん感覚でやっちゃうタイプでしょ」
真帆は微笑んだまま、脳内で三回殴った。
帰り道、蒼太にメッセージを送る。
『今日、運命の人候補が死んだ』
五分後、返事が来た。
『成仏早いな』
『性格が終わってた』
『じゃあ運命じゃなくて災難の人だな』
真帆は駅のホームで吹き出した。
*
一方、蒼太もまた六月に入ってから、街じゅうのライオンに追われていた。
バーの看板。
ジムのマーク。
マッチングアプリで見かけた「しし座です」の一文。
あまりに多くて、途中から「銀のライオン」が何を指すのか、むしろわからなくなってくる。
そんなある土曜、友人に連れられて行ったカフェで、蒼太は見つけた。
窓際の席で笑っている女の髪は、ふわふわと大きく広がっていて、どことなくライオンみたいだった。しかもバッグには銀色の金具が揺れている。
蒼太は珍しく、自分から話しかけた。
「あの、すみません。隣、空いてます?」
女は嬉しそうに目を細めた。
「もちろんです。人とのご縁って、引き寄せですから」
その時点で少し怪しかったが、蒼太はまだ頑張った。
十分後には、水素水と海外サプリと自由な生き方について説明を受けていた。
「蒼太さんって、選ばれた側の顔してます」
「どういう顔ですか」
「今の会社、やめたくないですか?」
帰宅後、蒼太は真帆に電話した。
「俺の運命の人、在庫抱えてた」
『は?』
「シャンプーとか」
電話の向こうで、真帆がげらげら笑う。
蒼太はその笑い声を聞きながら、ちょっと疲れが抜けるのを感じた。
『で、買ったの?』
「買うか」
『惜しいなあ。運命のまとめ買いだったかもしれないのに』
「そんな運命いらん」
真帆の笑い声が、さらに大きくなった。
*
六月は、二人にだけ妙に長かった。
真帆は街でライオン柄のネクタイを見るたびに少し身構え、蒼太は銀色のチャームをつけた女を見るたびに一瞬だけ目で追った。
何人かと食事もした。
紹介も受けた。
アプリも開いた。
でも、どれも違った。
違う、という確信だけは、なぜかはっきりしていた。
月末の金曜、真帆は仕事帰りに蒼太を呼び出した。
待ち合わせは、昔から変わらない駅前の居酒屋。暖簾は少しくたびれていて、店員はいつも忙しそうで、枝豆が妙にうまい。
「お疲れ」
「お疲れ」
二人は自然に向かい合って座った。乾杯のグラスが軽く鳴る。
「で?」
蒼太が聞く。
「いない」
真帆は即答した。
「そっちは?」
「いない」
「だよねえ」
焼き鳥が来る。
だし巻き卵が来る。
仕事の愚痴が少し出る。
上司の悪口が一通り済む。
途中で二人とも、占いのことを思い出したように同時にため息をついた。
「結局さ」
真帆がレモンサワーの氷を揺らしながら言う。
「占いなんて、当たんないよね」
「だな」
蒼太は笑った。
「来月もたぶん、こうして“いい人いねえな”って言ってる」
「最悪」
「でもまあ」
蒼太は串から外したねぎまを皿に置いた。
「変なのに当たるよりは、お前と飲んでるほうがずっとマシ」
「なにそれ。告白みたいに聞こえるからやめて」
「言ってないだろ」
「言ってなくても、言い方ってあるじゃん」
「面倒くせえな」
「そっちがね」
そう言いながら、真帆は笑っていた。
蒼太も笑った。
この感じを、二人はあまりにも長く知っていた。
小学生の時、夏祭りで金魚をすくって真帆が泣いた時も。
中学で蒼太が振られて、コンビニの前でアイスを奢らされた時も。
大学で住む町が離れても、誰かと付き合っても別れても、結局こうして戻ってきた。
店員が空いた皿を下げる時、真帆のバッグが椅子の背で揺れた。
それにつられて、蒼太の鍵も、テーブルの端でかすかに動いた。
カチ、と小さな音がする。
真帆は気づかない。
蒼太も気づかない。
すっかり塗装の剥げた、金色のライオン。
同じく古びた、銀色のライオン。
子どもの頃、遊園地の土産屋で「どっちが強そうか」で喧嘩して、最後にはひとつずつ分けた安っぽいキーホルダーだった。
もう何年も、二人はそれを持っていた。
鍵につけたまま。
バッグにつけたまま。
見慣れすぎて、風景の一部みたいに。
「はあー……」
真帆が背もたれに寄りかかる。
「私の運命の人、どこにいるんだろ」
「俺の運命の人も、いつ現れるんだよ」
二人の声は、少しだけ重なった。
店の外では、六月の終わりの夜風が、暖簾をゆっくり揺らしている。
テーブルの端で、金と銀のライオンが、もう一度だけ、かすかに触れ合った。




