1-22.彼女の最期
「トゥレーヌ、返事しろーっ」
サンジュリアンは、さっきからずっとトゥレーヌを捜していた。
トゥレーヌは魔物を助けてやりたい、と言ったが、リラックは「駄目だ」と言った。
その後から、トゥレーヌの姿がどこにも見当たらない。
ほんの少し、サンジュリアンが目を離した間に消えてしまったのだ。
何だか、いやな予感がしていた。胸騒ぎがする。
サンジュリアンは自分で自分がいやになる程、いらいらしていた。いや、怖がっているのかも知れない。
心を、恐怖がわしづかみにしている。
もやもやと言うか、むかむかと言うか。とにかく、不快な感覚が身体の中にたまっている。胃の辺りが気持ち悪い。
トゥレーヌがリラックの言葉に不満そうな表情をするのを見たせいでもあるが、彼女が二、三日前に話していた言葉が、サンジュリアンの心に引っ掛かっていた。
それがひどく気になる。
「ねぇ、サンジュリアン。あたし、次は別の世界で生まれ変わるわ」
「は?」
いきなりそんなことを言い出され、サンジュリアンは露骨にいぶかしげな顔をして聞き返した。
「だからぁ」
「突然、何を言い出すんだよ。生まれ変わるって、いつの話をしてるんだ」
「もう、あたしの来世に決まってるじゃない。生まれ変わるって言ってるんだから」
サンジュリアンは、ますますいぶかしげな顔になる。
「あたしね、こっそり自分の来世を覗いてみたの。あ、これ内緒よ」
「言えるか、そんなこと。……けど、よく失敗しなかったな」
未来を見る術、もしくは過去を変えてしまうといった、時間に触れる魔法は禁じられているのだ。
それに、これらの魔法はかなり難解な呪文を要する。簡単にできる術ではない。どんな問題が起こるかもわからないのだ。
「ほっほっほっ。実力よ。じーつーりょーくー」
薄い胸を張って、トゥレーヌは自慢げに笑う。
「あまり自分の力を過信してっと、そのうち痛い目に遭うぞ」
「うん、わかってるわ。ちょっとやってみたかっただけ。それに、未来と来世は、ちょっと違うでしょ。今の自分とは、明らかに別の存在である自分だもん」
「大して変わるかよ。それに、やることは同じだろうが」
サンジュリアンのそういう言葉は、無視するトゥレーヌ。
「でね、あたしはシェルヴァンナや他の国じゃなくって、この世界とは別の世界に生まれ変わるのよ。もしあたしの方が先に死んで、あたしに会いたくなったら、そこへ来てね。別世界に道を通す術は大変だけど。それ以前に、どの世界にいるかを特定しなきゃいけないわね」
「あー? 何をくだらないこと、言ってるんだよ。お前がそう簡単に死ぬかっての。殺しても死なないだろ」
「しっつれいね。こんなかよわい乙女をつかまえて」
「トゥレーヌにかよわいって言葉程、似合わないものはないぜ」
「これ以上ないくらい、似合ってるでしょー」
その時は、けらけらと笑った。
あまりにもバカげている。まだ自分達は十六歳だ。死ぬ、という単語からはほど遠い世代。
本当にトゥレーヌの方が先に死んだとしても、別世界へ行く魔法を使えるようになる頃には、サンジュリアンも年をとっているだろう。
別世界へ行く前に、あの世へ逝ってしまいかねない、というものだ。
あの時はそんなことを考えて、笑った。現実味もなく、トゥレーヌの冗談だと思っていたから。
でも、今は笑えない。
トゥレーヌが魔物の所へ行ったのなら。一人で何かしようとしているのなら。
いいことが起きるなんて、どうしても思えない。
もしあたしの方が先に……。
トゥレーヌの言葉が浮かぶのを、サンジュリアンは無理に追い払う。
冗談じゃない。あんなのは、トゥレーヌがふざけて言っただけに過ぎない。そう、いつもの冗談だ。今の状況があまりよくないもので、あの時の言葉と妙にはまってしまうから、つい悪い方へ考えてしまうだけ。
そう思って忘れようとしても、トゥレーヌの言葉はますますサンジュリアンの心の中で強くなってくる。重くのしかかってきて、息が苦しい。
そして……ようやくサンジュリアンがトゥレーヌを見付けた時、彼女は魔物に襲われてしまった後だった。
トゥレーヌの身体が宙に舞い、地面に落ちる。いつもと時間の流れ方が違うように、ひどくゆっくりと。
他の魔法使い達が駆け付けたのも、サンジュリアンとほぼ同時だった。だから、誰も彼女を守れなかった。
やはりトゥレーヌは、一人で魔物を元の世界へ戻そうとしていたのだ。
しかし、彼女がしてくれようとしたことを、魔物がわかるはずもない。魔物にとって、目の前の少女は単なる獲物でしかなかった。
右の肩から胸にかけて、魔物の爪痕がつく。かすり傷などではないのは、その出血からみても明らかだった。
白の服を着ていたトゥレーヌだったが、その血であっという間に違う服のようになる。
一瞬、その光景に誰もが動けなくなった。
大型犬をさらに一回り大きくしたような身体に、まるでつぶした牛の顔を付けているような魔物が、真っ赤な口を開ける。次々と現れた魔法使い達の姿を見て、大きく吠えた。
威嚇のつもりか、魔法使いを一人つぶしてやった、という嘲笑のつもりか。
とにかく、その魔物の声で、サンジュリアンの中で糸が切れた。
「てっめぇ……」
氷のつぶてを、魔物へ向ける。いつものサンジュリアンでは考えられないような、数と速さだ。高速で飛ぶ氷は、魔物の身体を何カ所か貫いた。
間髪入れずに、グルナッシュが小さな竜巻をいくつも起こす。真空状態を作り出し、魔物の身体に傷を入れた。
魔物は抵抗する間も与えられず、傷だらけになって弱々しい呻き声を上げる。
もう魔物は、頭に血が上った魔法使い達の相手ではなかった。
「くそぉっ、お前みたいな奴が……トゥレーヌを……っの野郎!」
サンジュリアンは、大きな水の刃を魔物に放った。
逃げる暇さえなかった魔物は、水の刃に身体を左右半分に斬られ、肉の残骸となって地面に転がり、黒い炎を上げて消えた。
魔物が消えるのを最後まで見ることなく、サンジュリアンはトゥレーヌのそばへ駆け寄った。
「トゥレーヌ、死ぬなよっ。こんな傷くらい、すぐに治るからな。安心しろ」
目を半分閉じかけた彼女に、サンジュリアンは怒鳴った。怒鳴らないと、そのままトゥレーヌが目を閉じてしまいそうだったから。
「……んな……か……サン……ン……ら……よ……」
そんな顔、サンジュリアンらしくないよ。
かすれて聞き取りにくい声で、彼女はそんなことを言っていた。わずかに、ほんのわずかに笑みを浮かべて。
知らないうちに、サンジュリアンは泣いていたのだ。
すぐに傷が治る、とトゥレーヌを安心させる言葉をかけているのに。ひどく冷静な部分で「助からない」とわかっている。
それがつらくて、苦しくて。口にする言葉と、顔に出てしまう表情がおかしくなってしまう。
そんないつもの彼らしくない顔を見て、トゥレーヌは笑ったのだ。
「……またね」
小さな、消え入りそうな声ではあったが、トゥレーヌは確かにそう言った。
そして、そのまま少女は目を閉じる。
サンジュリアンは息を飲んだ。
「……トゥレーヌ? トゥレーヌ! 駄目だ、寝るんじゃない。起きろよ。目を開けて、ちゃんと俺を見ろよ。何がまたね、だ。またって、いつのことだよ。そんなあやふやな言葉だけで、あっさり逝く気なのか? 冗談じゃないぞ。ちゃんと説明しろよ。目を開けろってば。でないと、あの魔法を使ったこと、告げ口してやるからな。いやなら、起きろ。おい、トゥレーヌ」
どんなに言っても、トゥレーヌからいつもの口調で答えが返ることはない。
「やめろ、サンジュリアン」
泣きながらトゥレーヌの身体を揺するサンジュリアンを、リラックがその腕を掴んで止める。
「トゥレーヌが死んでたまるかよっ。あんな魔物を助けるために、てめぇの命を落とすバカがどこにいるってんだ。こんなのは嘘だっ。ちょっと気絶しちまっただけだろ」
リラックのせいじゃないことはわかっているのに、八つ当たりしてしまう。
たった今、目の前で起きたことがどうしても信じられない。いや、信じたくない。
「サンジュリアン、あきらめろ。トゥレーヌは死んだ」





