1-21.闇の魔物
サンジュリアンは右手のひらから、金色の細かい紙吹雪のようなものを宙にまいた。
「何、それ」
「魔法使い達に知らせたんだ。これでみんながすぐにここへ来る」
だが、それより早く、魔物の方が二人の前へ来てしまった。
白く濁って光る一対の目と、例の赤い玉で魔物のいる場所がわかる。それがなければ、闇の中の影と同じ。
「これが……奴の本当の姿なんだ」
「こんな真っ黒が? けど、昼間は真っ白やったのに」
「奴は闇の世界から来た。闇に紛れて行動するために、真っ黒なんだ。昼間は目立ちすぎるから、白くなっていたけど。光の中に紛れるには世界が違うから、白くなるだけで精一杯だったって訳だ」
確かに、こうして目の前にいると、闇の魔物らしい姿だ。
サンジュリアンがたいまつを持ち、城からもれる明かりでこの周辺は真っ暗ではないはずなのに、魔物がいる場所は墨をたらしたように黒い。
昼間見た時のようにはわからないが、形は恐らく変わってないだろう。今は黒獅子のような姿のはず。でも、その輪郭ははっきりしない。
「飛鳥、後ろに下がってろ」
「サンジュリアン、一人でやるつもりか」
「他に誰か来るまで、こいつを押さえなきゃなんないだろ」
魔物は三本の脚で立ち、一本は赤い玉をしっかり抱き締めている。その姿勢は、昼間と同じ。
本当なら、向こうが攻撃しようとする時に胸を貫いてやりたいのだが、玉を傷付けてしまいかねない。まずは背中や顔を攻め、玉を奪ってから決着をつけるべきだろう。
飛鳥も今回は素直に、サンジュリアンの言葉に従う。昼間のようなことをしたら、今度こそ命がない……かも知れない。
飛鳥は、庭に立っている彫刻の後ろへ隠れた。そんなに大きくない、少女が花を持って空を仰いでいる像だ。
サンジュリアンが呪文を唱え、彼の周りに氷の刃がいくつも現れる。それが魔物へ向かって飛んだ。
魔物は攻撃を避けるべく、地を蹴って宙を飛ぶ。ほとんどが地に刺さって消えたが、わずかな数が魔物の足をかすった。
魔物は悲鳴を上げながら空中でユーターンすると、サンジュリアンに向かって黒い息を吐く。
ススを含んだ煙のように、真っ黒な息だ。ただでさえ辺りが暗く、視界が悪いのに、ますます見えにくくなる。
サンジュリアンは、すぐに風を起こして煙を吹き飛ばした。
だが、その風を起こす隙を狙って、魔物がサンジュリアンへ突進してくる。
「サンジュリアン!」
それを見ていた飛鳥は、彫刻の少女が持つ花を折った。
普通なら折れるはずのない物でも、細い茎の部分だったということと、火事場の馬鹿力であっさりと折れてしまう。
それを、飛鳥は魔物へ向かって投げ付けた。正直言って、位置が今ひとつはっきりしないので、かなり当てずっぽうだ。
それでも運良く、ライオンのような顔にうまく花が当たり、サンジュリアンを狙った前脚は目標を見失って空をかいた。
サンジュリアンも、その間に横へ飛びのく。
魔物はすぐに体勢を立て直すと、また攻撃に移る。だが、次は魔法使いを狙わず、邪魔をした飛鳥へ向かって来た。
「え……うそぉ」
思いもしなかった事態に、飛鳥は一瞬動きが止まった。が、すぐに正気に戻り、彫刻の後ろへ隠れる。
あ……ここ、全然安全ちゃうやん。
素材が何かは知らないが、飛鳥の力で折れてしまうような彫刻だ。しかも、台座を含めても、飛鳥より小さい。
隠れてから、魔物にやられなくても簡単に壊された彫刻のかけらでケガをしてしまう、と気付いた。
いや、かけらどころか、彫刻そのものを倒して飛鳥を下敷きにしてしまうことも。それで動けなくなったら、格好の餌食。
思ったより、あまり正気ではなかったらしい。
「お前、昼間もうちを追いかけてたやんか。ええ加減にしてぇや」
この魔物に追い掛けられる運命なのだろうか。
もっとも、昼間の場合は飛鳥がおとなしく広間にいれば、そういうことにはならなかった。
それに、あの時魔法使い達の邪魔をしなければ、今こうして狙われることもなかったのだが……反省しても遅い。
タッチの差で、飛鳥は彫刻の後ろから逃げた。魔物が彫刻に体当たりし、粉々にする。
あのままずっと隠れていたら(あまり隠れたようになってはいなかったが)考えていたよりもずっとひどいケガをしていただろう。
サンジュリアンが、また氷の攻撃をした。だが、今度は全てをかわされてしまう。
魔物はサンジュリアンから離れた所に着地すると、白く濁った目が突然光った。
逃げるために魔物の動きを把握しようとしているので、どうしても魔物の姿を凝視することになる。当然、魔物の目も。
その目を見た飛鳥は、途端に身体が固くなった。金縛りに遭ったように、ほとんど身動きできなくなる。
(ちょっとこれって、むっちゃやばいんとちゃうん……)
よくない状況だとわかってはいるが、身体が動かないのではどうしようもない。飛鳥に、この危険な金縛りから逃れる術はなかった。
逃げられないということは、いつ襲われてもおかしくない、という状況だ。こんな状態の飛鳥では、魔物にとって「襲うのに楽な獲物」になってしまう。
だが、いつまで経っても、魔物の爪や牙が身体に食い込む、という痛みは訪れない。なぜか、魔物もその場から動かないのだ。
その代わり、自分の意識が頭の先から出て行くような感覚に襲われる。出て行く感覚が強くなる程に、頭の中がぼーっとなってくる。
次第に意識が薄れる中で、魔物の持っている赤い玉が、さっきよりもずっと赤くなっているのが見えた。
これからあの中へ入って行くんだ、となぜか思ってしまう。それが当たり前のように。そうするべきであるかのように。
あの玉の中へ入れば、気持ちが安らかになるんだ……という声が、頭の中で響いている気さえする。
そう。あそこにいれば、ずっと安全だ。広間にいるよりも、ずっとずっと。広間には、狙われる対象の子どもがたくさんいるのだから、とっても危ない。
でも、あそこなら。あの赤い場所なら、安全だ。
自分のものではない、そんな意識が駆け巡る。
「飛鳥っ」
遠い所で、名前を呼ぶ声がした。それが誰の声だったか、よく覚えていない。
もうどうでもいい。このままあの赤い玉の中で、ゆっくり眠りたい。
そんなことを思ったが、すぐ近くで大きな悲鳴が聞こえ、無理矢理意識が赤い玉から引き離されて行く。
あー、もう。うるさいなぁ。誰やねん、大きい声出して。
耳のすぐそばで目覚まし時計が鳴り、まだ眠りの中にいたいのに強引にそこから連れ出されるような。
急に、がくんっと身体が重くなる。
あれ? 何で……どうなってんの。
あの魔物から逃げようとしていたのに、飛鳥はいつの間にかひざをついていた。
そのショックで、一旦意識がはっきりする。だが、それはほんのわずかな間だけ。
自分の身体のはずなのに、自分の身体の重さに耐え切れない。踏ん張ることもできず、前へ倒れそうになった。
誰かの手が伸び、倒れ掛けた飛鳥の身体を支える。
「飛鳥……飛鳥、おい、しっかりしろ」
この声は……サンジュリアン、やったっけ? たぶん……そう。
やっと飛鳥は思い出した。
閉じそうになっていた目を開け、下を向いていた顔を何とか上げて、彼の顔を見る。きっと呆けた顔をしているだろう、と思いながら。
これまでに見せたことのない、ひどく焦って心配そうな表情がそこにあった。
視界の端に、他の魔法使い達がいるのも見える。ここへ駆け付けた人達だ。さっき聞こえた悲鳴は、きっと魔法使いの誰かにやられた魔物のものだろう。
これで、全てが終わったのだ。
子ども達も助かる。自分も頭の中がまたぼんやりしているものの、一応は無事だ。
それなのに、どうしてサンジュリアンはこんなに慌てたような顔をしているのだろう。
飛鳥がこちらの世界へ来てからは、怒っているか仏頂面がほとんどだったのに。
迷子になって、泣きそうな子どものようにも見える。
「……んな顔、あんたらしぃないやん」
笑って見せようとしてうまくいかず、そのまま飛鳥はサンジュリアンの腕の中に倒れた。





