1-02.浮かんだ名前
「うちがいつ、来いって言うたん?」
ふとんたたきは放さず、飛鳥は青年の前にしゃがむ。
本当なら、こんな状況で現れた人間を前に話しかけるなんて危険、と思うべき。でも、彼は危険ではない……気がした。
「お前が死ぬ二、三日前だ」
予想外の答えが返ってきた。
「はあ? 死ぬやて、縁起の悪いこと、言わんといて」
「実際、お前は俺達の前で死んだんだよ。縁起もへったくれもあるか」
「ちょっと。うちがあんたらの前で死んだんやったら、ここにいるうちは誰なんよ」
「誰って……お前はお前だ。今の名前は、お前が一番よく知ってるはずだろ」
「そらそやけど……」
どうも話がよく見えない。
だが、彼の言葉を信じるとして。そこから推測するに、どうやら彼は飛鳥の、いわゆる「前世の友人」か何からしい。
前世の飛鳥が「生まれ変わるから、また会いたいのなら来い」などと言ったのだろう。
で、彼は本当にやって来た。
しかし、飛鳥にそんな記憶はないし、こうして本当に来られても何をすればいいのか。その時の飛鳥は、どうするつもりで彼にそんなことを言ったのだろう。
青年は、髪と同じ薄茶色の瞳で飛鳥を見た。言葉は通じるようだが、その顔はやはり日本人とは違うように思える。
細身の身体だが、筋肉はしっかり付いていそうだ。少しふてくされたような表情を浮かべているが、そんな彼の顔を見ていると、やはり知っているような気がしてくる。
だから「何、あほなこと、言うてんねんっ」と言い返せない。
「てっきり、人手がいるならやってやるって意味に取ってたのに。記憶がないのなら、力もあるはずないよな」
「力? 何の?」
飛鳥にあるのは、ごく平均的な知力と体力くらい。でも、彼が言っているのは、そんなものではないだろう。
「魔法だよ」
またまた、予想外の答えが返ってきた。飛鳥は目をぱちくりさせる。
「魔法? 魔法って、魔法使いが使う、あの魔法か?」
「……お前、俺をおちょくってんのか?」
普通にこういう話を持ち出された場合「おちょくっているのか」と言うのは飛鳥のはずだ。
科学や様々な技術が発達しているこの現代に、魔法なんて言葉を真面目な顔で出されても、笑い飛ばすのがオチである。
「ちょっと待って。ほんなら、うちは前世では魔法使いやったってことか?」
「……いいよ、もう。俺、帰る。トゥレーヌのことだから、もっと期待していいと思ってたのに。いきなり来て、悪かった。忘れてくれ」
青年はそう言って、ため息をつきながら立ち上がった。
「ちょっと、待ちぃな。忘れろ言うたって、こんな状況でそんな話されて、ぱっと忘れられるはずないやろ。こら、タンスの中に入って、どうするつもりなんや」
「帰るんだよ」
青年は不機嫌に答える。
飛鳥はふとんたたきを放り出し、彼の服を掴まえた。
「あかん。こんな訳わからんまま帰られたら、今日寝られへんようになるやんか。ちゃんと最初から説明していき。あーっ、ちょっとあんた、よう見たら土足やんか。そんなんでタンスの中入ら……」
言いながら、タンスの奥を見た飛鳥は言葉を失う。
自分の服が吊ってあるはずのタンスの中が、白く光っているのだ。扉を開けたら電気が点く、というクローゼットもあるが、飛鳥のタンスはそんなものではない。
どんなに窓からの光が入っても、こんなに明るく光るはずがないのだ。それに、掛けてあるはずの服がない。
さらには、明らかに本来のタンスの高さを超えている。中へ入ってしまえば、立って歩けるくらいの高さになっていたのだ。
さっき彼が転がり落ちたのも、扉が予想以上に軽い力で開いたことと、出た先の段差がありすぎてバランスを崩したからだろう。
足下がわからず、階段を三段くらい踏み外したようなもの。
「何やの、これー。うちのタンスはナルニアか」
「放せよ。帰るから」
「いやや。こんなん見たら、ますます寝られへん」
少し怖い気もしたが、好奇心の方が勝っていた。
それに、疑問をこのままにしたくない。夢で終わらせるには、あまりにも実感がありすぎる。
青年の服をしっかり握ったまま、飛鳥はタンスの中へと入って行った。
☆☆☆
タンスの中に入った、と思ったら、すぐに外へ出た。
ただし、自分の部屋ではない。洋画などで見る、外国の田舎に出てくるような家の中だ。
木で作られた素朴と言おうか、簡素なテーブルやイス、窓枠。床も木。フローリングと言えば聞こえはいいが、土足で出入りしているらしく、そんなにきれいではない。
飛鳥の足下には、その木の床に白い塗料で円が描かれ、様々な模様や文字が書き込まれている。
「これって……魔方陣ってやつ?」
「知ってるのか?」
青年が、多少驚きの含んだ表情で聞き返す。魔法ができないのに、といったところか。
「マンガやアニメで見たことはあるけど、ほんまもんは初めて見た」
「そうか。よくわからないけど。しかし……結局、ついて来たな」
嬉しいのかいやなのか、複雑な顔をしている。
「うちに魔法使いの記憶があったら、連れて来るつもりしてたんやろ? 別にかまへんやんか」
さっきタンスが明るかったのは、この魔方陣のおかげでこの場所とタンスの中がつながっていたためだろう。
飛鳥は魔法使いが出るような本やマンガを好んで読むので、そういった事情はすぐに飲み込めた。
飲み込めたが……さすがに実体験するとは思ってもみない。正直なところ「もしかして、夢?」という気持ちがある。
でも「現実なんやろなぁ」という、確信のようなものもあった。
あと「これって、異世界やんな、やっぱり」とも思う。あんな光る道を抜けて、自分の家とは全く違う場所にいるのだから、世界が違っていても不思議ではない。
「あれ、魔方陣が消える。魔法が終わったら、勝手に消えるもん?」
「ああ。消えないようにする時は、それなりに細工をするから。……なぁ、トゥレーヌ。本当に俺のこと、覚えてないのか?」
窺うようにして、青年が尋ねた。
さっきは「誰?」と言われたが、あきらめきれないらしい。
こうして向かい合って立つと、彼が長身だとよくわかる。飛鳥と頭一つ分くらい違った。
以前にこんな状態があったような、なかったような。
「見覚えはないけど、知ってるような気はすんねん。どっかで見たような感じは」
「じゃ、俺の名前はわかるか?」
知っているような気がする、と聞いて、青年は少し期待を込めた目で飛鳥を見た。彼としては「お互い知り合いである」ということを確信したいのだ。
サンジュリアン。
さっき頭に浮かんだこの言葉が、彼の名前なのだろうか。彼の顔を見た途端に浮かんだ、あの言葉が。確かに、それっぽい気もする。
何でもいいわ。違たらそれまでやし。
飛鳥がその言葉を口にしようとした途端、大きなノックの音が響いて、返事を聞くこともなく扉が開かれた。
どうやら、その扉はすぐ外へ続くものらしく、生えてる草だの木だのがわずかに見える。
わずか、と言うのは、戸口に人がいて視界がふさがれていたからだ。
現れたのは、二人。二十代前半くらいで、短い黒髪の大柄な男性。絶対何かスポーツをやっているだろうと思われる、がっしり体型だ。
その後ろには、二十歳前後のきゃしゃで色白の女性。薄い金色の長い髪をポニーテールにした、穏やかそうな美人だ。
「サンジュリアン、別世界の……」
男性の方が何か言い掛け、飛鳥の姿を見て言葉を切る。茶色の瞳が、大きく見開かれた。
「グルナッシュ……ユニ・ブラン」
飛鳥の口から、自然にそんな言葉が紡ぎ出されていた。自分でも全く意識しないうちに。
「トゥレーヌ!」
叫びながら、女性の方が飛鳥に抱き付いた。
飛鳥は自分が知らない言葉を口にしてしまったことや、抱き付かれたことに目を白黒させる。
「え、あの、ちょっと……」
「まさか、またあなたに会えるなんて、思っていなかったわ」
飛鳥がユニ・ブランと呼んだ女性は、涙ぐんですらいる。
前世の飛鳥と、浅からぬ縁があったようだ。そんな彼女の様子を見ていると、思い出せてはいないが、かなり親しい間柄だった……ような気がした。





