1-01.誰?
その日は、日曜日だというのに曇っていた。
灰色の雲が、どんよりと立ち込めて。うっとうしいこと、この上ない。ほれほれ、もうすぐ雨が降るぞー、と言わんばかりの空模様だ。
空気は湿気ているし、窓を開けても風は入ってこない。
暦は六月。昨日、テレビで「梅雨入りした」と気象予報士が告げていた。
毎年のことだし、農作物が育つために必要と言われても、やはりどうしてもこの時期のじめっと感は好きになれない。
せっかくの日曜日だというのに。これでは、どこへも出掛ける気分にはなれない。元々、誰とも約束はしていなかったが。
本当なら彼氏とデート、といきたいところ。だが、中学時代の先輩が入院したとかで、今日はお見舞いに行っているのだ。
両親はと言えば、こんな曇り空など一切気にせず、さっき買い物へ出掛けてしまった。雨になったところで、車だからそう問題はないのだろう。
もっとも、天気なんて関係なく出掛けて行くのだ。自分の両親ながら、いつも仲がいいのには感心する。ちょっと嫉妬にも似た感情があったりして。
風見飛鳥はその買い物にはついて行かず、部屋で一人、雑誌をめくっていた。
一緒に行けば、服の一枚も買ってもらえただろう。でも、高一にもなって、両親と買い物、というのも少し恥ずかしい。
「あーあ、なーんか面白ないなぁ。誰かに電話でもしてみよっかな」
飛鳥は、いまいち興味をそそられない雑誌をぱたっと閉じた。
誰かとおしゃべりでもすれば、少しは気分も晴れるだろう。こんな曇り空ごときで気分がふさいでしまうなんて、もったいない。
「ゆきちゃん、家にいるかな。えーと……スマホ、どこ置いたっけ」
独り言を言いながら、飛鳥はスマホを置いた……ような気がする机の上に目をやる。
その時、妙な音が飛鳥の耳に入ってきた。軽い耳鳴りのような音。その後で、がたがたっという、少し重そうな音。
驚いて、飛鳥は部屋を見回す。
音は確かに、自分の部屋で聞こえた。別の部屋でも、外からでもない。
最初は、開けてある窓からねこでも入って来たのか、と思ったが、それにしては音が大きかったような気がする。
それに、ねこが耳鳴りのような音を出す……とは思えない。
「何や、今の」
洋服ダンス。ローチェスト。鏡台。テレビ。ガラス扉のキャビネット。勉強机。ベランダへ続く窓。
一般家庭の、平均的( たぶん )な女子高生のありふれた部屋だ。
キャビネットの中や机に並べた本が倒れたのか、とも思ったが、全部きちんと立てられたまま。他に音が出る物と言えばテレビくらいだが、今は消してあるからこれではない。
また音がした。今度は絶対、空耳でも何でもない。がたがたっという、間違っても風だけでは出るはずのない音。
「え……この中?」
その音は、洋服ダンスの中から聞こえたようだ。
左半分は、ワンピースなどの丈が長い服が入っている。右半分の上半分は、ジャケットなどの丈が短い服がかけられ、その下半分は四段の引き出し。
あまり考えたくはないが、右上のエリアなら……人が入ろうと思えば入れる。服が邪魔になるだろうが、所詮は布だ。押しのけて、身体を丸めれば隠れられないことはないはず。
左半分のエリアも立って入ることはできるが、幅が狭い。小柄な人間ならともかく、成人男性だと、かなりきついはず。
人が入るとすれば、可能性としてはやはり右上部分が一番高い。
ねこ……などではないだろう。最近はアライグマやイタチなど、害獣扱いされる野生動物もいるが、それらともたぶん違う。
タンスの扉は、マグネットで開閉する。取っ手はなく、扉の横部分にへこみがあって、指で引っ掛けて開くタイプだ。
タンスの前にイスや机などの台になるようなものはないし、小動物が飛び上がって扉を開ける、ということはまず無理。開けられるのは、人間だけだ。
でも、この中に人がいるとして、いつの間に入ったのだろう。
両親が出掛ける際、玄関の鍵をかけるように言われて部屋を出た。その時だろうか。
だとしたら、ずいぶん長い時間、入っていたものだ。もう一時間以上経っているのだから。体勢としては、かなりきついはず。
とにかく、タンスの中に泥棒が隠れていて、それが今から出て来ようとしているのなら。
これは絶対に、好ましくない状況だ。現在の風見家には、飛鳥一人しかいない。
飛鳥は、慌ててもう一度部屋を見回す。何か身を守るものは……と考えるが、武器になりそうなものは何もない。
辞書の角。衝撃はあるだろうが、振り回すのに適していない。それに、攻撃しようする時、相手に近付かなければならないから逆に危険だ。
シャーペンの先は刺されば痛いが、それだけ。ブラシは短いし、軽すぎる。
ムースでは、チカン撃退スプレーのような効果はあまり期待できない。うまく顔にかかれば、一時的な目つぶしにはなるだろう。でも、大した飛距離は望めない。
制汗スプレーをしゅーっとしながら火を近付ければ、うまくいけば大ダメージに……とは思うが、火事になりそうだし、失敗した時に自分も火傷しそうだ。
そもそも、ライターなどがないので、そういうことはできない。
「もうっ、何もないやん」
乙女の部屋に武器になりそうな物など、そうそう置いてあるものではない。
かろうじて、ふとんたたきを見付けた。
素材は何か知らないが、ふとんを思い切り叩いても簡単には折れないから、多少の抵抗はできるだろう。
大人相手に大した効果は期待できないだろうが、先手必勝。相手が少しでもひるんだ隙に逃げれば、何とかなる……たぶん。
落ち着いて考えれば、今のうちに逃げればよかったのだ。しかし、半分パニック状態の飛鳥に、そんな考えは浮かばない。
攻撃あるのみ、である。
来るなら、来てみぃ。
飛鳥がふとんたたきをしっかり握り締めた時、タンスの扉が開いた。
「わわっ」
開いたと同時に、誰かが転がり出てきた。
偏見で、何となくこういう場に出て来るのは「おっさん」を想像していた飛鳥だが、声や姿からして若い。
薄茶色の髪は長く、結わえているが、どうやら男だ。
最近、マグネットの磁力が弱くなっている。力加減がわからずに押したら思ったより簡単に開いてしまい、勢いがついて転がり出てしまった、というところだろうか。
(サンジュリアン!)
飛鳥の頭の中を、覚えのない横文字が通り過ぎる。
「ってー、どこにつながったんだよ、これ」
転がり出た時、床に頭をぶつけたらしく、そこを押さえながら一人ごちる。だが、すぐに飛鳥の気配に気付き、こちらを向いた。
飛鳥より一つか二つ上に見える、少年、と言うか青年。十七、八歳くらい、か。
その顔は、純粋な日本人とは少し違う。目鼻立ちがしっかりしていて、イケメンに分類しても文句は出ないだろう。
飛鳥も、どちらかと言えば顔のパーツがはっきりしている方だ。なので、友達からよく「日本人離れしかかってる」と言われる。
顔だけで分別されたら、飛鳥もきっと彼と同じ区分に入るだろう。
「トゥレーヌ! やっと見付けた」
飛鳥を見て、青年は嬉しそうにそう叫んだ。
立ち上がり、こちらへ来ようとするのを見て、しばらく呆然となりゆきを見ていた飛鳥は正気に戻った。
「来んといて! あんた、誰やの。黙って人の家の、しかもタンスの中に隠れて、何してたんや」
飛鳥は「端から見たら、ふとんたたきを持って怒鳴っている姿は滑稽やろな」と思った。思ったが、そんなことには構っていられない。
「何だよ、水臭い奴だな。そんな簡単に忘れられるような相棒だったのか、俺は」
「相棒? 何やの、それ」
「何って……」
飛鳥の言葉に、青年は少し淋しそうな表情を浮かべる。
それを見て、飛鳥は自分が悪い訳でもないのに、ひどく申し訳ない気がしてしまった。
「お前が、会いたきゃ来いって言ったんだろ。……俺、てっきり記憶があるもんだと思ってたのに」
青年は言いながら、落胆した表情で床にどかっと座り込んだ。
泥棒っ、と叫びながら、ふとんたたきで攻撃をするのなら、まさに今がチャンスだ。
でも、飛鳥はそんな気にはなれなかった。
飛鳥は、彼に見覚えはない。日本人以外の、人間の知り合いはいない。
いないはずなのに、知っているような気がしてしまうのだ。





