1-19.風の魔獣
トゥレーヌとサンジュリアンは、ユニ・ブランの祖父であるマルベックに魔法を教わっていた。
トゥレーヌは、マルベックに引き取られてからしばらくすると魔法書に興味を示し、簡単な魔法ならすぐにこなしてしまう。
これは見込みがありそうだ、と喜んだマルベックから本格的に教えられた。
サンジュリアンは、マルベックの家とは近所ということもあって元々顔見知りだったが、やはり魔法に興味を持ち、教えてほしいとせがんだのである。
マルベックは十年前に引退していたが、シェルヴァンナの高位の魔法使いだった。その技術力の高さと経験の多さから、魔法使いを統括する役を担い、多くの人から頼られていたのだ。
そんな彼に教えを請いたい、という魔法使い志望の人間は大勢いる。
だが、年齢と体力低下を理由に「弟子はとらない」と断り続けていた。
それなのに、サンジュリアンを指導するようになったのは、自分からトゥレーヌに魔法を教えるようになってしまい、彼女のことを考えればともに修行に励む相手がいた方がいいのでは、と考えたからだ。
周囲には「孫の遊び相手をしているようなもの」と、少々苦しい言い訳をしておく。
師であるマルベックは風の魔法を得意としていたが、サンジュリアンはどちらかと言えば水の魔法に長けていた。それでも、水の次に得意なのは、風だ。
トゥレーヌは、風の魔法が一番上達した。風に乗って少しの距離なら、移動もできる。彼女は、風と同化することができたのだ。
どうやら、天性の才能を持っていたらしい。確かめようはなかったが、彼女の血筋に魔法使いがいたのだろう。
風に乗り、黒髪をなびかせる彼女はとてもきれいで、鳥のように優雅だった。その姿は、年を追うごとに美しくなる。
サンジュリアンは、そんなトゥレーヌがとてもうらやましかった。
同じ年であれだけ自然に風を操る魔法使いは、彼の周りにはいない。それどころか、十も年上の魔法使いにだって、いないだろう。
それは、幼なじみとして自慢に思えたし、ライバルとして悔しかった。
だから、トゥレーヌがペガサスに乗れるようになりたい、と言った時に反論してしまったのだ。
「お前なぁ、いくら風が操れるからって、風の中で生きる魔獣を操れるかよ」
「あら、そんなのわかんないわよ。同じ風を使う者同士だもん。それに、あたしが考えてるのは操るとか支配するとかじゃなくて、友達になるってことだもん」
「はあ?」
友達? 魔獣と友達だって? そんなこと、できるはずがない。魔力の強い奴らは、人間なんか下等な生き物としか見ていないのに。
そう思いながら、それでもサンジュリアンはトゥレーヌならできそうな気がした。普通の魔法使いがやりそうにないことでも、彼女ならあっさりとやってしまいそうな。
でも、それを素直に認めるには、サンジュリアンはまだ幼い。十一の少年が同調し、うなずくには、ちょっと悔しかった。
だから、ついつい、頭から否定してしまう。
「無理無理。ペガサスがどんなに神秘的な生き物だって言っても、やっぱりあいつらは魔獣なんだ。人間におとなしくなついたりするはず、ないだろ」
あくまでも冷たい、サンジュリアンの言葉。
トゥレーヌは怒ったような顔でそんなサンジュリアンを見ていたが、肩や腕に力を込め、はっきり言い切った。
「ぜーったい、ペカサスを呼び出して、あたしのものにする。んでもって、その子に乗って移動するんだもん」
その時は、売り言葉に買い言葉、と思っていた。
それまでも、トゥレーヌとはこういう口ゲンカをしょっちゅうやっていたし、それと同じだ、と。
サンジュリアンにとってこの時の会話は日常の一部でしかなく、そんなことを言い合ったことすら、忘れていた。
それから数ヶ月が経った頃、やけにトゥレーヌに生傷が絶えなくなってきた。
最初は誰かとケンカでもしているのかと思ったが、こうも毎日するはずはない。
そもそもトゥレーヌが自分以外と、それも生傷ができる程に取っ組合いのケンカなどをするとも思えなかった。
あんな傷を作るくらい暴力を振るう女の子に、サンジュリアンは心当たりがない。あいつならやるかも、という犯人候補の男の子なら、若干名。
でも、毎日となると、それも怪しくなってくる。さすがに誰かの目にとまるだろうが、トゥレーヌが誰かとケンカをしている、という噂は流れてはいなかった。
何をしているのかを聞いても、トゥレーヌは言わない。ケンカみたいなものだけど、自分の問題だから口出ししないで、と言われては、サンジュリアンも余計なことは言いにくくなる。
マルベックやユニ・ブランにもそれとなく聞いてはみたが、どうやらトゥレーヌは彼らにも言っていないようだった。
口止めでもされているのかと思ったが、二人の顔を見ても、ごまかしているようには見えない。
しかも、時々もっとひどいケガをしているらしい、とも聞いた。それは治癒魔法で消しているようだが、その気配が残っているのだ、と。
何やってんだ、トゥレーヌの奴。
後をつけてみようかとも思ったが、トゥレーヌは風の魔法を使ってうまく姿をくらましてしまう。
その気になれば、サンジュリアンにも追えないことはない。だが、そんな魔法を使ってまで見られないようにしているのだから、と考え直し、しつこく追うのはやめた。
「お前が何をしているのか知らないけどさ、おてんばも適当なところでやめておけよ」
「あーら。おてんばって、そうすぐにやめられるもんじゃないわよ。楽しくって」
サンジュリアンの軽口に、トゥレーヌもしゃらっと返す。
「そのうち、傷の中に身体があるってなことになるぞ」
内心では心配していても、サンジュリアンはそれを伝える言い方がわからない。
「ふーんだ。まだ若いもん。こんな傷なんて、すぐに治るわよーだ」
「傷だらけの女なんて、嫁のもらい手がなくなっちまうからな」
「サンジュリアンにもらってもらおうなんて、ぜーんぜん考えてないもん。そんなこと、心配してもらわなくて結構よ」
ベーッと舌を出して、ぷいっと横を向くトゥレーヌ。見ている限り、その生傷以外に変わった所はない。
気になりながらも、表には出さずに心配しつつ、そんなことが長く続いたある日のこと。
トゥレーヌは、いきなり風を連れて来た。
風に属する魔獣、ペガサスを。
真っ白な身体に、真っ白なたてがみ。透き通るような碧い瞳。背には、身体よりもさらに白く大きな翼。
そこにいるのは、白と碧だけの魔獣。
素晴らしい翼を持つ風の馬に、黒髪の少女は乗っていた。風に乗り、風そのものと化して。
少女の身体は傷だらけだったにも関わらず、とても美しかった。一瞬、全てを忘れて見惚れてしまう程に。
ペガサスの白い身体と、少女の長い黒髪が目に焼き付く。
「お前……まさかこのために、傷だらけになってたのか?」
この光景を見て、いつだったかのペガサスの話を思い出す。
サンジュリアンは、これを見るまですっかり忘れていた話。でも、トゥレーヌは本気で考えていて、彼を見返すために今までがんばっていたのだ。
「そう。この子もあたしに似てなかなか頑固なものだから、乗せてもらうまでが大変だったわ。グルナッシュでさえ、風に殺されるぞって言う程だったんだもの」
トゥレーヌは何でもないような顔で言うが、サンジュリアンはそれを聞いて背中が寒くなった。
あの多少のことでは動じないグルナッシュでさえ止めようとするのだから、トゥレーヌとペガサスの力のぶつけ合いは相当なものだったはずだ。
「よく……従えられたもんだな」
今度こそ、サンジュリアンも素直に感心した。
風に属する魔獣だから、風の魔法で抵抗していただろう。いくらトゥレーヌが風の魔法を得意としても、人間よりもずっと風に近い生き物が使う魔法には、おいそれと対抗できない。
それを防ぎ、なおかつ支配したのだ。
「言ったでしょ、ペガサスに乗って移動するんだって。サンジュリアンは無理だって言ったけど、ちゃんとできたもん。どーだ」
すりむいた鼻の頭を高くして、トゥレーヌは胸を張る。
その顔は本当の年齢より幼く見えたが、とても誇らしげでもあった。





