第三話 川と舟
二人がやってきたのは、大きな川だった。
対岸が見えないほどに広大な水面は、山育ちのシンにとっては初めて見る景色だった。
風が湿った川の匂いを運んでくる。
「あそこに渡し舟がある」
タロスの視線の先、細身の男が舟の上で寝転がっていた。
陸の上では少し猫背で、どこか退屈そうに空を眺めている。しかし、その服の隙間から覗く四肢には、無駄な脂肪が一切ない、まるで強靭なバネのような筋肉が引き締まっていた。
「おい、バン。俺だ、タロスだ」
タロスの太い声に、男――バンは、しなやかな動作で上半身を起こした。
「おぉ、旦那。どこまでいくんで? ……てか、そっちのお連れさんは?」
バンの鋭い目がシンを捉える。
「俺の主人だ」
「はい?」
タロスの言葉には、シンも驚いて小さく目を見開いた。
「あー、そうですかい。じゃあ、いつもの場所でいいですかい?」
バンは深く詮索することなく、軽く受け流した。
タロスが金を渡して舟に乗り込む。ただでさえ細身の舟が、大男の体重で一気に狭くなった。タロスが笑顔で招くのにつられて、シンもその後に続く。
「行きやすぜ」
バンが一本の櫂を握り、水面を捉えた。
次の瞬間、シンは目を見張った。
舟が、まるで水面を滑るように走り出したのだ。周りを行き交うどの舟よりも、圧倒的に速い。バンの背筋と体幹の『バネ』が連動し、一漕ぎごとに爆発的な推進力を生み出していた。
「これは、どうしてこんなに速いんだ?」
「バンは目がいい。それだけじゃなくて、泳ぎも凄ぇぞ。川そのものが体の一部みたいなもんだ」
タロスの説明に、バンは前方を凝視したまま、ふっと薄く笑った。
「いやぁ、ただの慣れですよ。それよりも大将、何か大きな目標でもあるんですかい?」
「え? いや、無いです。ただ、世界を見て回れと言われまして」
「あー、なるほど。なら、この大男を連れていて正解ですよ」
飄々としたバンに、何故かシンは興味を持った。だがそれよりも、舟が向かっている先が気になる。
「どこに向かっているの?」
「あー、大男の隠れ家ですね」
「すこしジメジメするが、いい場所だぞ。魚も釣れる」
タロスが胸を張る。
シンはすこし不安になりながらも、しばらく舟の心地よい揺れに身を任せていた。やがて、舟は生い茂る草陰をかき分けるように進み、そのまま口を開けた暗い洞窟の中へと入っていった。
「どうぞ、着きましたよ」
バンに言われて地面に降りる。
硬い大地の感触に、どこかホッとする自分がいた。タロスも巨体を揺らして足場に降り立ち、バンは手際よく舟を繋ぎ止める。
「で、ご馳走はなんですかね?」
終始バンのペースだったが、嫌な気はしなかった。
「魚を頼む。詳しい話は後だ」
タロスはそう言い残すと、シンを連れて洞窟の奥へと進む。
薄暗い通路を抜けたその先、開けた空間に、シンは足を止めた。
そこには、洞窟の中とは思えない、立派な家が建っていた。




