64《7》聖女は王宮で舌鼓を打った
チャイムを鳴らすと、屋敷を取り囲む水堀の水位が下がって、ズゴゴゴゴと跳ね板が降りて橋になった。
どうやって中に入るんだろうと思っていたら……こういうことだったのか。イアンと屋敷の敷地内に入り歩きながら、さすが水魔法のマーリン家と思うエレンである。
執事らしき人が屋敷のドアを開けて、マーリンが出てくる。エレン達に気づくと、淑女らしい優雅なお辞儀をしてにこっと微笑んだ。
「イアン様、エレンさん、こんにちは。迎えに来てくれて、ありがとうございます」
「マーリン様こんにちは。いえいえ、ご一緒できて光栄ですよ」
「マーリン様こんにちはー。右に同じく! ここ、マーリン様のお屋敷だったんですね」
「ふふ、エレンさんには来ていただいたの初めてですね。今度はぜひお2人を、我が家にも招待させてくださいね」
「はい、喜んで!」
「左に同じく。じゃあ、行きましょうか」
「ええ。では、いって参ります」
「お嬢様、いってらっしゃいませー!」
マーリンが後ろを振り返り声をかけると、執事と侍女達がいっせいに挨拶を返した。イアンの話を聞く限り、学園では悪役令嬢にされそうな感じのマーリンだけど、屋敷の人達との仲は良好そうだ。
そうしてエレンが真ん中になって3人で歩く。
ウィリアムが一体全体どんな料理を作ってくれるのかを、3人で予想しようとするのだけれど、さっぱり想像できない。
「奇抜系か、王道系か……どっちでしょうね?」
「やっぱり肉ですよ、肉! 王道に肉!」
「うーん、どうでしょう? ウィリアム様は、結構、変わった物事がお好きですわ。きっと肉だとしても、ひとひねりしてると思います!」
マーリンがいつもよりなんとなくテンション高くて、エメラルド色の瞳もいつもよりきらきらしている気がする。
エレンは奇抜系の王道を1つ知っている。
「闇鍋とかだと嫌ですねえ……」
「闇鍋ってなんですか?」
エレンがつぶやくとイアンが質問して、マーリンもきょとんとした。
この世界にはないのね……なんて平和な世界!
「沸騰させた黒い煮汁の中に、おのおのが持ち寄った秘密の具材を入れて……箸でつかんだものは、どんなものでも必ず食さなければいけない恐怖の料理です……!」
エレンが語る闇鍋に、マーリンとイアンが恐れおののいた。
「た、食べ物への冒涜ですわ!?」
「エレンさん……その話、ウィリアム様の耳には絶対に入れないでくださいね。知ったら、やりたいって言われるやつです……!」
エレン的には、人生に一度くらい闇鍋をやってみたいので、ちょっぴりショックだった。ガーン。
まあでも、お城で食べたいものではないので、エレンはこくりと神妙にうなずいた。
でもお肉だといいなあ。……は! よだれが。
****
お城に着くと、あれよあれよという間に、王宮の一室に連れていかれたのだけど、通った道が複雑すぎて、一人では帰れそうにない。
「なんか、迷宮みたいですね」
「防犯の一種なのかもですね。外部の人が簡単に出入りできないように」
「ええ、わざと複雑に作っているそうですわ。使用人達も、序列が低い間は、自分の持ち場以外の道順がわからないようにしてるそうです」
「へえー、しっかりしてますね。あ、でもでもそういえば、隣国のお城も、うろうろしてたはずが、気づくと元の場所に戻ってたんですよ……!」
てっきりストーリーを歪めない為の強制力的なあれかと思っていたけれど、意外とお城の常識?
そんな話をしていたら、今日のランチの主宰のウィリアムが現れた。
「あ、ウィリアム様、こんにちは!」
「こんにちは、エレンさん。マーリン、イアンもいらっしゃい。迷子にならなかった?」
なんでコックさんって白い服着てるのかしらん。油とか飛び散ったら目立つでしょうに……エレンなら柄物エプロン一択だ。
でも、にこやかに迎えてくれたウィリアムの真っ白なコックスタイルはとてもかっこいいので、コックさんの服が白でよかった! とエレンは思い直した。
「案内がなかったら危なかったですね。本日はお招きいただきありがとうございます」
「こちらこそ、来てくれてありがとう。イアンと休日に会うと、すごくレアな気分になるよ」
「私も今日をとても楽しみにしてたんです。衣装も様になっていますね」
「でしょう? 形から入るの、気分上がって好きなんだ。惚れ直してくれた?」
エレン達は、真っ白なクロスの丸テーブルを囲む形で座っていて、ウィリアムが話しながら、グラスに飲み物を注いでくれる。
エレンはくるくるとワイングラスを回して匂いをかいだ。これは……炭酸のグレープジュースですね!
「いいお色だこと……何年物かしら?」
「エレンさんの瞳のようでしょう? 今朝買ったやつですね」
エレンのなりきりにも付き合ってもらいつつ。
そうこうしている間に給仕の人達がテーブルに色々な料理を並べていった。1品ずつじゃなくて、一気に出すパターンのようだ。そして……わああ! お肉だああ!!
250gはありそうな大きなステーキが現れましたよ! きゃーステキー! え? グラムで言われても分かりづらいって?
例えるならば、うーんうーん……B5サイズくらいである。言っててエレンもわからない!
とにかく美味しそうなので、今にもよだれがたれそうなのだけど、そんなエレンにウィリアムが待ったをかけた。
「あ、まだ食べないで。これからが見所だから」
「見所?」
給仕の1人が大きなチーズを持ってくると、ウィリアムは白い手袋をはめた手で掴んだ。そしてもう片手にナイフを持つと、小さな火の玉が出現してチーズの上をぴょんぴょん跳ねてとろとろに溶かす。
そしてとろけたチーズをステーキの上へ、とろーん、と落とすのだ。
わー! これ、絶対おいしいやつー!
****
小さな火の玉は、消えずにぴょんっと小さな器に収まりにいった。
「チーズが固まったら、この火の玉であぶって溶かして食べてくださいね」
「へー、ここで火魔法を使うんですね」
「うん、ぼくらしいでしょ?」
「ふふ、そうですね。1つ1つ別制御ですか?」
「これはね、意外と単純で、あらかじめ動きのパターンを決めてるんだよ。コンロとかの仕組みを知ってるとイメージしやすくて……」
そんな会話からなにやら3人で軽く魔法談義が始まって、エレンは『みんな真面目だなあ』と思いながら小さなメラメラと遊んだ。
「生き物みたいですねえ……かわいい」
フォークでツンツンすると、容器の中をぴょこぴょこ逃げて楽しい。魔法って色々できるんだなあ。きゃわわ!
ウィリアムは自分の分のステーキにもチーズをかけ終わると、コック衣装を脱いで給仕に預けた。中には普通の服を着ていて、いすに座りグラスをかかげる。
「おまたせ。じゃあ食べようか。では、友人に食べてもらう初めての手料理に、乾杯!」
「かんぱーい!」
ウィリアムの料理はとてもおいしかった。
みんなでおいしさを褒め称えながら、色んな話をして楽しく過ごす。
ランチの後は、王宮の中を色々案内してもらった。
他国から食客が来ることもあるので、外に出なくても不自由なく暮らせる感じになってるらしく、図書館とかマッサージルームとか音楽スタジオみたいな部屋もある。
ウィリアムが即興でバイオリンを弾いて、なんの曲かわからないけれどなんかすごかった。……芸術に疎いエレンには、なんかすごいとしかわからない。でも綺麗な音色で良い曲でございました。
イケメンがバイオリン! やばし!
ただ、歴代の王族の肖像画の飾られている部屋では、少し不思議な気配がした。
「……?」
「エレンさん、どうしました?」
じっと1枚の絵を見つめていたら、イアンが声をかけた。エレンは、ハッと意識を戻して「なんでもないです」と笑顔を向けた。
「では、次に行きましょう。置いていかれますよ?」
エレンの髪の毛を撫でて、出口にうながす。
イアンに導かれるままに、ウィリアム達を追いかけて部屋を出る時に、エレンはもう一度だけ振り返った。
絵の中の綺麗な女性は寂しげに微笑んでいる。不思議な絵だった。なんというか、見る度に印象が……違う……ような? 部屋に入った時はもっと穏やかな表情をしてた気がした。
すると、また絵が歪んだ。ぐらりと視界が揺れる。足がもつれて、体勢が崩れたところをイアンがキャッチする。
「エレンさん」
「あ……ごめんなさい、大丈夫です。ちょっと立ちくらみがして……」
「帰りますか? 送りますよ」
「どうしたの? なにかあった?」
なかなか来ないエレン達を不思議に思って、ウィリアム達が戻って来た。イアンがウィリアムと話している。
「エレンさんが立ちくらみしたらしくて」
「立ちくらみ? 大丈夫ですか?」
「はい、もう全然」
「でも、顔色がすぐれませんわ……」
「そうだね、今日はもう帰ったほうがいいかも。
具合悪い日に招待してごめんね。馬車を出そうか」
「あ、いえ、そんな。……イアン様に送ってもらいます。せっかく楽しい時間だったのに、ごめんなさい」
エレンだけは、エレンの顔色がわからない。
立ちくらみももう収まって全然平気なのに、エレンをのぞき込むみんなの表情が心配そうで、結局帰ることにした。
楽しかったのに、自分のせいで微妙な終わり方になってしまって、エレンはしょんぼりした。




