65《8》聖女は夢に囚われた
「ん……ううん……えーもう朝……?」
カーテンの隙間から射し込む日射しに目を細めて、エレンはうにゅうと掛け布団を抱きしめた。
うう、うううー。まぶしい……目が、目があ! 破滅の呪文バルスをくらった気分だ……ぐはっ。
なんだか、酷く不安な夢を見た。
どんな内容か、覚えてないけれど。
「でも、最近ずっとこんな感じかもしれない」
エレンは、最近、寝る度に疲れてる。
八百屋でアルバイトをしていた時は、常に気を張っていたからか、体調が悪いことなんてなかったのに……最近は気がゆるんでいるのかしらん。
でもちゃんと朝は起きよう。エレンは、ぐらぐらする頭を振ると、気合いを入れて『えいや!』と起き上がった。
「おはよー……」
「おはよう、エレンちゃん」
「あれ? 顔色が悪いね。どうした?」
リビングに降りると早速家族に気づかれるくらい、エレンの表情は疲れてるみたいだ。
今朝は誰かがおにぎりをいっぱい作ってくれていたから、エレンは眠気でぐらぐらしながらも、おにぎりをもきゅもきゅ食べた。疲れていても塩シャケおにぎりは、おいしい。幸せ。
「んー……なんか最近夢見が悪いんだよね。
あんまり深く眠れてないのかも?」
「あらそう……じゃあ今日はゆっくりしたら?」
「うん、そうしようかなあ。また寝る……」
「ん、おやすみ」
こういう日は、仕事も学校もなくてよかったなあと思う。眠りたい時に好きなだけ眠れるって贅沢だねえ。
元々眠かったところに、おにぎりをお腹に入れて体が消化モードに入ったものだから、エレンは余計に眠たくなった。
そうして、朝からがっつりお昼寝する贅沢。
部屋に戻って、ぬくぬくのベッドに入ると即意識が飛んだ。
エレンは深い深い眠りにつく。
久々にぐっすりと眠る。真っ白な世界。
でも、長い長い眠りの中で、1つだけ悪夢のような、明晰夢のようなものを見た。
****
炎が赤々と燃えていた。ゴウゴウと燃えているけれど、不思議なことに、部屋の中のものも外にも火は燃え移らない。
『火がついたように泣く』という言葉があるけれど、その言葉が直訳されたような光景だった。
部屋の中には、ぽつんと赤ちゃんがいる。
ぎゃん泣きしながら、人を求めるように手を伸ばすけれど、周りには誰もいない。泣けば泣くほどに、炎は強く燃え上がる。
エレンは幽体みたいになっていて、炎の中でも熱さを感じなかった。
普通、赤ちゃんって、なにか困った時とかに泣くよね?
お腹が空いた時とか、おしめが気持ち悪い時とか。他の理由は、エレンにはよくわからないけど。
そんな時に、どんなに一生懸命に泣いても1人ぼっちなままな赤ちゃんが、なんだか不憫で、エレンはそっと、豪奢なベビーベッドに近づいた。
でも、やっぱりエレンは幽体みたいで、赤ちゃんに触れることができない。
『どうしたの? 困ったねえ。よしよし』
触れないけれど、触ってるふりをする。
感覚がないけれど、頭をなでなでする。
そうすると、赤ちゃんと目が合った。
エレンを見ると泣き止んで、火も下火になる。
小さな手が、エレンをつかもうとする。
エレンは、指をつかまれたような仕草で赤ちゃんの手の上下に合わせて、自分の手をゆらゆらした。そうして、微笑んで声をかける。
『ん? どうしたの?』
「う! ああー」
赤ちゃんが、エレンになにかを必死に伝えようとしている。
エレンの手をつかんでいるほうと反対の手で、天井を指さした。なにかを見ている。
『なあに?』
エレンが振り返り顔を上げると……エレンの背丈ほどある大きな黒い左手が眼前に広がりエレンをつかんだ。
そして引きずり込まれる。どこか取り返しのつかない場所に。
でも。赤ちゃんが泣き叫んだ。
ゴウ! と再び炎が大きくなる。
****
「あ、なんかめっちゃ寝たー」
やっぱりただの睡眠不足だったみたいで、エレンはすっかり元気になった。んー、と伸びをして、そのままストレッチをして、体中の関節をしっかり伸ばす。はう、ゴキゴキ鳴らすの気持ち良い。
まだ空は明るくて、時計を見るとおやつタイムくらいだった。寝すぎて1日が終わるとものすごくもったいない気分になるから、まだ明るいうちに目が覚めて嬉しい。
久々に訓練場にでも顔を出そうかしらん。最近、寝不足で気分がのらなかったから、ずっと出掛けていないのだ。
イアンとも、王宮に行った日を最後に、しばらく会っていない。
そうして、再びリビングに降りたエレンは「おそよー」と挨拶した。あら今日は、ルカも新お父様もいて、新旧家族が大集合だ。
「おそよー」
「よく寝てたなあ」
「顔色も良くなったわね」
「うん、久々にぐっすり寝れたよ」
「ん? 具合悪かったのかい?」
「ううん、なんかねえ、寝不足だったの」
「そうなの……じゃあ温かい紅茶入れるわね」
新お母様がそう言って動こうとするからみんなで止めた。
「いーよいーよ、お母様は安静にしなきゃ! 私がやる」
「これくらい大丈夫よ?」
「ぼくがやってもいいよ?」
「いや、私がやろう」
「いやいやここはぼくが」
「いいえ私が」
「どーぞどーぞ」
はい、お約束。このネタを作った某芸人は偉大だなあ。新旧家族がこのネタをみんな知っているのは、エレンが広めたからである。汎用性が高くてとても使いやすい。
エレンの家ではどーぞどーぞされるのは最後に言った人なので、タイミングを逃すとうああってなるよ!
「ああ! 乗り遅れた! 悔しいー」
今日は旧母さんが最後になって、お茶を取りに行った。旧父さんが、その後ろをのこのこついて行くけれど、たぶん応援という名目でちょっかいかけるだけだ。
「今日は訓練場に行こうかなあと思っていたけれど、久々にみんないるし、やっぱりやめて家にいようかな」
そんなことを言ったら、ルカが気になることを言った。
「うん、いいんじゃない? 今日はイアン様も訓練場に行かないみたいだよ。お姉ちゃんに伝えて、って言ってた」
「え、そうなの? 珍しいね。理由も聞いた?」
「うーん、なんか、最近眠りが浅くて疲れてるから、早く寝たいんだって」
「へー、エレンと同じようなこと言ってるなあ」
「本当、タイムリーだねえ」
ふうん。なんだ、そうなんだ。
じゃあ訓練場に行くのはやーめた。
この日のエレンは、家族団らんで過ごした。
****
そうして今夜も夢を見る。
エレンは『ああ、またこの夢だ』と思った。
起きている時は忘れていたけれど、エレンは毎晩これと同じ夢を見ていることを思い出した。
否、完全に同じではない。
とても怖くて心細くて、気持ち悪い。
窓のない白い壁の廊下。この先を進むとたぶん、これまでと同じような分岐があって、どこまで歩いても似たような廊下が続く。壁には窓代わりのように、大きな額縁の絵が飾られている。
昨日も、散々歩いたエレンは、昨日の夢の最後に見た絵が、壁に飾られているのを見てぞっとした。
「私、昨日の夢の続きを見ている……この世界に閉じ込められている……どうしたら、この夢から出られるの……?」




