11話
家に帰りづらくて、シンタロウは学校から直接レンジの家へ行っていた。
彼のリビングで、付いてきたハチコと3人、ゲームで遊んでいる。
「なあ、シンタロー」
「なに? ――あっちょっやめっああ〜」
「ふふーん、またアタシの勝ちだね」
うまいこと行きそうなところで何時も掬われるように負けてしまう。
ぐぬぬと歯噛みしつつもう一戦続けようとしたところで、レンジがその手掴んだ。
「なに、レンジ」
「お前、またなんか隠してないか?」
まさか妻との喧嘩、冷戦を勘付かれたのだろうかと考えて、そんなわけ無いと思い直す。
レンジはたまに鋭くなるが、エスパーでは無い。当たり前だが。
努めて平静に、無いよ、と答えると、彼は釈然としない様子で手を離した。
「ちょっとレンジ、あんたどうしたの」
「ハチコ、お前分からないのか? コイツ無理して笑ってるぞ」
「はぁ、またそうやってシンタローに難癖つけるんだから」
「おま、そんな俺が不良みたいなこと言って、なにもそんな……」
「うーるーさーいっ。ほら、次やるよシンタロー」
気勢を削がれたレンジの肩をバシッと叩いて、ハチコはゲームをコンテニューする。
が、当のシンタロウがコントローラーを置いた。
レンジとハチコは顔を見合わせる。
この二人は、精神年齢の違うシンタロウをありのまま変わらずに受け入れてくれたのは、とても稀有な友人達だ。
余計な心配は掛けさせたくないし、負担を背負わせたくなかった。
まだ小学生なのだから。
「バレたならしょうがない……実はイザナギと喧嘩しちゃって」
「イザナギさんと? なんでまた」
怒っている姿がイメージできず、目を丸くして驚くハチコ。
何回か会っているし、あの穏やかそうな彼女が、とでも思っているのだろう。
「理由はまあ、すごくどうでもいいんだけど――とにかく喧嘩して、まあ仲直りはしたんだけどさ」
真実を混ぜると嘘は見抜けにくくなる。
その気の無い嘘は表情に出るのだ。
喧嘩は本当で、仲直りは嘘。
「それで今日が仲直りの翌日だから、なんだか帰るのが気恥ずかしくて」
シンタロウは少しだけ嬉しそうで、でも恥ずかしそうに笑った。演技だ。
嘘をついただけなのに、なぜかチクリと胸が痛む。
「なんだ、そうだったのか。母親にごめんなさいしたようなもんか」
「いや、違うでしょどう考えても。……余計帰りづらくなるだけじゃないの?」
「いやまあ、その通りなんだけどさ」
珍しく口ごもるシンタロウを見て、ハチコは肩をすくめた。
「ギリギリまで遊べばいいって事ね。言っとくけど、帰りづらくなってもセキニン取らないからね」
「ありがとう、ハチコ。そうするよ」
「お、なんだ今日は泊まるのか?」
「明日も学校あるし、暗くなる前には帰るから大丈夫」
「なんだ……」
18時頃に帰ろうとなんとなく決めた。
子供の姿なのだ、たまには子供らしく甘えてもいいだろう。
そんな言い訳を自分に向けて、シンタロウは目を逸らすことにした。
◆
レンジの家を後にして、ハチコを家まで送った帰り道。
夕暮れの真っ赤な日差しを浴びてトボトボと歩いていると、後ろから声をかけられてシンタロウは振り返った。
「……父さん」
「やあシンタロウ。黄昏れてるね」
パートからの帰りである父ノゾムは、いつもと変わらぬ調子だった。
今、家の中はシンタロウとイザナギが喧嘩中ということもありすこぶる静かだ。
姉メグルもそんな雰囲気に当てられて暗い。
だが、それでも両親は何一つ変わること無くこちらに接してくる。
シンタロウはそれがあまり心地良いとは思えなかった。
むしろ、平気で過ごされる方が不可解でしかなかった。
「そんなんじゃないよ」
「そっか。そんなんじゃないか」
なんとなく二人並んで歩く。
どうせ帰り道は同じだし、気まずさが感じるほど多感な時期は過ぎた……元よりその時期にはこちらの世界にはいなかったが。
だからか、あまり余計なフィルターも掛かっていないし、話すことにあまり抵抗はないらしい。
「……父さんも母さんも、僕たちに仲直りしろとは言わないんだね」
「言ってほしいのかな?」
「いや……でも、その、なんとなく家の中暗いし」
「それは仕方がない」
ふっと小さく笑って、ノゾムはシンタロウの頭をなでた。
母とは違い、優しい手付き。
が、慌ててその手を引っ込める。
「ごめんシンタロウ。つい、ね」
「父さんたちにとっては、僕たちの喧嘩は子供っぽく映ってるんだろうね」
つい、口をついて出た。
だが、返ってきた答えは違った。
「いいや。僕もユメさんもそうは思わないな」
「え?」
ノゾムを見上げると、彼は夕日が眩しそうに見つめ目を細めていた。
前を向いたまま、続ける。
「シンタロウ、君はもう25歳だね。それにお嫁さんまでいる。少しイビツとは言え立派なオトナだ。
――なら僕たち夫婦は息子夫婦に干渉はしない。責任ある立場の二人が自力で解決すべきだと、僕は思ってる。ユメさんもきっと同じことを言うと思うな」
いつになく真面目な口調に、シンタロウは驚いた。
いやそれ以上に、まさか自分達を対等に扱っていた事に驚く。
「――あんまり長引くとこっちも辛いけどね」
ノゾムが微笑んで、シンタロウは胸のつかえが下りたような気がした。
子供の面倒事は放任しているのだと思っていた。
心の何処かで、怒られるんじゃないかと思っていた。
だが、それは間違いだった。
自分を子供扱いしていたのは、どうやら自分だった。
シンタロウは猛烈に恥ずかしくなった。
なんと返せばいいか分からず、黙らざるをえなかった。
ノゾムはそんな息子の葛藤を知ってか知らずか、また微笑む。
「家の卵焼きは甘じょっぱいだろう?」
急に話題が飛んで面食らう。
シンタロウは素直に頷いた。
砂糖と塩味が上手く混ざり合って……は、いない、どちらの味もする変な卵焼き。
シンタロウは、小学生になったばかりの頃、レンジの弁当に入っていた卵焼きを食べて大層驚いたのをよく覚えていた。
味が一種しかないからだ。しかもそちらのほうが美味しい。
料理上手で料理好きなノゾムのレパートリーの中で、あまり美味しくない料理の一つ。
「あれはね、甘い卵焼きが好きな僕と、塩味の効いた卵焼きが好きなユメさんとで大喧嘩した末にできた味なんだ」
「た、卵焼きで……?」
「そう、卵焼きで。シンタロウ夫婦は穏やかだからやらないだろうけど、ユメさんはあの通りがさつだからね……パンチが痛いんだよ」
「母さんがそんな……全然想像できない」
「今は言動こそ変わらないけど、本当に落ち着いたからねえ。君達子供を生んで彼女なりに変わったんだよ」
親とて自分と同じ年齢を通過した、過ごした時間がある。
当たり前のことだが、シンタロウは今さら実感した。
「卵焼きの味付けで……あの時はなぜか3日くらい二人共口を利かなかったなあ。それで、僕から謝りたくなって、でも味付けは譲れなかったから塩も砂糖もどちらも均等に入れて作ったんだ。今にして思えば、余計こじれたかもしれないね」
いつも超然としている父が、珍しく昔を懐かしむ口調で続ける。
シンタロウは何となく、黙って聞いていた。
「でもユメさんはぶすっとした顔のまま美味しいって言ってくれたんだ。だから僕もこの変な味の卵焼きが美味しいと思えた。因みに味は当時のままだよ」
「正直、卵焼きは美味しくないよ」
「そうだね~。でも、味付けは絶対に変えないよ」
「もしかして父さんも母さんもまだ意地で美味しいって言い張ってる、ってこと?」
「半分当たり」
ノゾムの微笑みがいたずらっぽいものになる。
流石にこれは呆れた。
でも、同時にとても羨ましいとも思った。
「そんな人にとっては下らないものも沢山積み重なって僕たち夫婦は今も一緒にいるんだよ。だからシンタロウ、君たちもそうやって経験していけばいい」
「でも、それじゃ迷惑にならないかな」
「人様に迷惑を掛けるのは駄目だね。でも、家族にならいくらでも迷惑をかけていい。甘えればいいんだよ」
「甘える……」
自分たちも、両親のような関係になれるだろうか。
自分に問うてみて、それは別段難しくないように思えた。
当たり前だ、今喧嘩していても。それでもイザナギが愛おしい。
「君たちは結婚してまだ数年だし、これから今以上にぶつかることがたくさんあると思う。でも、それ以上に相手のことを好きあっていれば自ずと乗り越えられるさ」
「……父さんって随分ロマンチストなんだね」
「ユメさんとバランスいいだろ?」
クスクスと笑い合う。
お陰で、気分が軽くなった。
と言うより自分がどうしたいか、その気持が決まった。
「――帰ったらイザナギと話してみるよ」
「そっか。仲直りできるといいね」
◆
結果だけ言えば、拍子抜けするほどあっさり仲直りできた。
きっとメグルが助けてくれたのだろう、姉は素直じゃないがとても面倒見が良い。
僕も素直にごめんと伝えられて、イザナギからも伝えられて、物凄くホッとしたし嬉しかった。
それで、そしたら今回の迷惑をかけた罰として家族の前で改めて愛を誓いわせてほしいとイザナギから切実に頼まれた。
僕たち夫婦は、こちらの世界でも結婚式をすることとなった。




