マリオネット
「これが、私の前世⋯」
流れてきた記憶の濁流の処理を終え、身体中がなにかに包まれるかのような、空っぽの飢えたグラスの底に、前世の私という新鮮な水がグラスに少し満たされて行くような感覚に陥る。
こんなにも身体から込み上げてくる熱を実感したのは初めてで、この見慣れない感覚に私は少し戸惑ってしまう。
いつも、私の奥深くに吹雪いているものは冷えついてしまったものだけだったから。
「魔法少女、か⋯」
魔法少女は前世の私の唯一の希望的存在であると同時に、あの病気の有無に関わらずものすごく好きだった存在たち。
私は、彼女達をひと目見てみたい。
それがきっと前世の私がある種の恋焦がれていたもの。
「けど⋯」
だけど、今の私は囚われの身。
このままでは、自由を禁じられたただの憐れな人形とそう違いはない。
「そんなの、嫌」
私は人形という枷を脱ぎ捨て、この手に宿る熱く、強い感情に身を委ねたい。
もちろん、この気持ちに従おうにも、従わないにしても⋯何をしようにもまずはここを出なければならないわけで。
「あ⋯⋯出ればいいじゃん」
容易にここを抜け出せるとは思えないけど、それでもこの退屈な空間で一生人形を演じて過ごすぐらいなら⋯。
私はこんなところで終わることなく、前世の私が恋焦がれ、願い、最後の瞬間まで諦めなかったように、私も同様自由を手にして生きていたい。
「賭けをするには十分⋯?」
どうしてこんな簡単なことを早く実行しようとしなかったのだろう、その力は十分、詰め込まれたというのに⋯⋯。
「じゃあ⋯はやくここから逃げたい、けど」
ここから出れる力があるとは言っても、不安要素はいくつもある。
「私は、彼について何も知らない⋯」
彼は秘密主義だった。
私の手に届く範囲や見える範囲には一切の秘密を出そうとせず、数年は経過しているというのに、一切ボロを出さない程彼は慎重だった。
「彼は⋯何を企んでいるんだろう」
そんな人が私に何かあった場合の保険を何も施していないことなんて、あるんだろうか。
もしかしたら何かとんでもないことを仕掛けている可能性もある。
無意識に拳に力が入ってしまう。
「私が全力を出せば、もしかしたら⋯⋯いや、だめ」
リスクはもちろん承知しているつもりだけど、この脱出の前提は私が生きること。
そして最終的には私が自由に生きるためのもので、そこまでのハイリスクを冒すには、まだ何もかもが足らなすぎる。
正面衝突で勝てる見込みはもちろん0ではないのだけれど、その歪な力を私に無理矢理与えた彼が私より弱いという保証は一切ない。
「努力をした記憶もさせられた記憶もないのに⋯一体どうして私にこんな力が⋯⋯彼は私に、なにをしたんだろう」
いくつか、わけのわからない魔物と戦わされたことはあった気がするけど、あれで強くなれるほど甘くないことはわかってるつもりだ。
だから⋯あの注射器の中身が原因の可能性が非常に高い。
もしそれが本当にそうだとしたら、例えば私の体内に小型の爆発装置を仕込んでいても、まったくおかしくない。
体内に異物が入るとどうなるかなんて知識のない私には全くわからないけど、そんな次元で扱える人ではない。
「でも⋯」
記憶が私の中に溢れてからというものの、私には
ここから逃げ出す他にもやりたいことが芽生え始め、私の灰色だった器は鮮やかな色を取り戻しそうな状態にある。
「彼には悪いけど、この熱を⋯逃す訳には、いかない」
今世こそ、色と⋯⋯とある嗜好のために、この悍ましい力を使ってでも──私は生きたい。
私の願いは強く、まるでその力で運命を引きずり出したかのように、私が待っていた転機は訪れる。
運命が残酷で皮肉めいたものなのは私自身がよく知ってるけど、今回に関しては、味方。
運命が味方をしてくれてる理由、それは⋯⋯
「──!!」
耳を劈くようなこの不快な声には、何度聞いてもゾワッとする。
その声の主は魔物のもの。
心にざわめきが轟き、それらは沸き立ち、私の胸の鼓動が耳に入る。
それは前世のトラウマからか、チャンスが来たことからかのものなのか、ひとまずそれらの邪魔なものを消し、私は準備を行う。
再び轟音が鳴ると共に、遠くから不安を誘うかのような警報音が聞こえてくる。
運がいいのか悪いのか⋯もしかしたら私は危険度の高い魔物に好かれているのかもしれない。
前世は魔物で終わり、今世は魔物で始まる。
「⋯⋯これが、いちばんの好機」
再び湧き上がってきた心臓の音を沈めさせ、私は再び自分の成すべきことを再認識する。
今私に必要なのは、この魔物の出現の好機をどう活かすか、それを成すための覚悟はあるのか、自身に問いただすこと。
私の体については私が1番知らず、この身の記憶は奥深くに眠ったまま、目を覚ます様子もない。
ここに来てしまったことの経緯、あの注射液の正体、そして、私自身のこと──。
全ては謎だらけで、どれに手を伸ばそうとも、それははるか遠くにあって、今は手が届きそうにない。
「⋯⋯」
深呼吸をし、リラックスを始める。
「今更、不安がっても仕方がない」
これは、私の命すら賭けている一世一代のオールイン。
私が勝つためなら、どんな犠牲も厭わない⋯ことはないけど、大体のことは厭わない。
「⋯とはいえ前科は、あんまりつけたくないんだけど」
私は別に人殺しを好む悪役でもないし、彼女ら魔法少女のように悪を執行するような正義の味方でもない。
ただ自由と嗜好を追い求める元男の子であり、ただの不運な女の子、それだけ。
悪役でも正義の味方でもない私が切るのは、目的を達成する手段、それと単なる自己防衛にすぎない。
私のいる部屋へ知らない気配が集まってくるのをひしひしと感じる。
「変身」
そう唱えると、魔法少女達のような光り輝くもの──なんかではなく、全てを飲み込んでしまいそうな、漆黒の闇を身に纏いはじめる。
私には良くお似合いの、お人形のようなドレス。
それが意味するのは、もう考えなくても良い事。
「脱出、できるといいな」
私は、迫り来る者達を切り伏せるために、この漆黒のドレスと共にドアを破壊した。
「マリオネットは、もうおしまい」




