番外編 手紙を書く人たち
秋が街を深く染め上げるとき、街のいたるところで静かにペンを握る人々の姿があった。
彼らは皆、胸の中に小さな「言えなかった言葉」を抱えていた。
街の路地裏にある古風な喫茶店。
奥の薄暗い席で、老学者は一杯の温かい紅茶を前に、万年筆の先を走らせていた。彼の便箋に向かう手はかすかに震えている。
『長年連添ったお前に、一度も口にして言えなかった言葉がある。
毎朝、私のために淹れてくれたお茶の温かさ。
私の偏屈さに嫌な顔ひとつせず寄り添ってくれた微笑み。
本当は毎日、「ありがとう」と叫びたかったのだ』
老学者は書いた文字をじっと見つめ、照れくさそうに溜息をつくと、それを投函することなくそっとポケットへ仕舞い込んだ。
またある場所では、花屋の若い店員が、夕暮れの店先で売り余った紅葉の枝を見つめながら、小さなメモ用紙に鉛筆を走らせていた。
『お母さんへ。
遠く離れて暮らすようになって、あなたが送ってくれた手編みのセーターの温かさに気づきました。
素直になれなくて「ダサい」なんて言ってごめんなさい。
この街のカエデが綺麗に咲くたび、あなたの手音を思い出します』
誰もが、心の中に言葉にできない「あたたかな熱」を抱えている。
しかし、照れくささや恐怖、あるいはすれ違いによって、その言葉は声となって相手の耳に届く前に、夜空の泡のように消えてしまう。
人々が日常の中でふと抱き、そして口に出せず諦めてしまった無数の「ありがとう」や「ごめんね」。
それらは消えてなくなるのではなく、秋の冷たい風に乗り、静かに吸い寄せられるように山頂の夕焼け郵便局へと集まっていく。
あの差出人のない橙色の手紙たちは、特別な魔法使いが作ったものではない。
街で生きる名もなき人々が吐き出した、純粋で優しい「心の欠片」が集まって織りなされた、小さな奇跡の姿だったのだ。




