幕間① レオが怖いもの ※嘔吐表現注意
大海原を航海する小さな海賊、アレグ海賊団の船にて。レオは甲板に座って、うとうとと居眠りしていた。傍らに置かれた竿の先がぴくぴくと反応しても、レオは微動だにしない。
「……そろそろ、やばいっすね」
荷運びをしていたノエルは、作業の手を止めてぽつりと呟いた。
「今日で……五日目か」
「っすね」
「近々停泊してやらねえとな」
ミレーユとアレグも小さくうなずく。舵輪を動かしていたガルドが静かに口を開いた。
「……夜中の散歩が、増えている」
「やっぱりか。……気を付けて見てやらねえと」
「……ネレイアに、説明したか?」
「あ」
「……まだっすね」
「説明しとくよ」
ミレーユが立ち上がった、その瞬間だった。
「レオ、釣り?」
ネレイアがレオの後ろから近づく。竿を見た彼女は、そのまま大声を出した。
「レオ! 魚、かかってる!」
波で船が揺れる。かしゃりと、鎖がこすれる音がした。レオの肩が、大きく跳ねる。
「はっ、かひゅ……、ふっ……」
レオは大きく目を見開き、荒い呼吸を繰り返す。口元を抑え、その場にうずくまった。アレグたちはすぐにレオに駆け寄る。ネレイアはそっとレオの背中に手を伸ばそうとした。
「やめろ」
アレグはその腕を慌ててつかむ。
「……え?」
「大丈夫だ。ちょっと下がってろ」
彼はにかっと笑い、ネレイアを下がらせる。そのまましゃがみ込んで、レオに呼びかけた。
「こっち向けるか?」
レオはゆっくりとアレグへ体を向ける。アレグはゆったりとした調子でつづけた。
「ここはおれの船だ。大丈夫だ」
「ほら、ゆっくり息を吐きな」
ミレーユはゆったりと言葉を続ける。レオは彼女のカウントに合わせて、少しずつ息を吐き始めた。
「レオさん、桶っす。ここに吐いていいっすよ」
ノエルは桶を渡す。レオはその桶を抱え込んだ。
「おえっ、げほっ……」
口から吐瀉物があふれ出る。レオは肩を震わせて吐き続けた。ガルドは何も言わず、レオの前にしゃがみ込む。
「……どうしよう、どうしよう……」
こんなレオは、見たことがない。レオが苦しそうなのに。
「落ち着きな。大丈夫さ」
ミレーユの声が響く。……落ち着ける? ……なら。
「~~」
ネレイアは静かに歌い始める。不思議な言葉でできた歌。レオの震えは、少しだけ収まった。
「……落ち着く声だね」
「レオにも、効いてんな。ネレイア、続けられるか?」
「うん」
ネレイアは頷いて、ゆったりと歌を続ける。少しずつ吐く間隔が空いていく。やがてレオは大きく息を吐き、顔を上げた。
「……ごめん」
「落ち着いたか?」
「……うん」
「水、飲めるっすか?」
「……なんとか」
「一応診とくっすよ」
「……ありがとう」
ノエルは診察を始める。アレグはそれを見ながら、口を開いた。
「レオ、今日はもう寝ろ」
「……でも」
「海図はおれでも読める。近くの港につけるくらい、できる」
「……分かった」
「寝れるか?」
「……ここが、いい」
「荷物にもたれて寝な。見といてやるから」
「……うん」
「……立てるか?」
「……ちょっと、むり」
「分かった」
ガルドはレオの肩を支え、隅に置かれた荷物へと連れていく。レオは樽に背中を預け、目を閉じた。ミレーユは小さく息を吐き、ネレイアを見る。
「ネレイア、こっち来な」
「うん」
手招きするミレーユに、ネレイアはぱたぱたとついて行った。
「はい、ココア」
「……ありがと」
ネレイアはココアの表面を見つめる。ミレーユは静かに「びっくりしたろ?」と聞いた。
「……うん」
「悪かったね。説明するの、忘れてたよ」
「……説明?」
ネレイアはこくりと首を傾げる。
「……レオが奴隷だった、ってのは知ってるね?」
「うん」
ミレーユは少しだけ笑顔を浮かべた。
「何されてたのかは、あたしらも知らない。けど、相当ひどいことされてたみたいでね」
「……ひどいこと」
「記憶飛ばすくらいだ。相当だろ」
「……そっか」
ココアにネレイアの顔が映る。
「……たまに、眠れなくなる時があるみたいで」
「眠れ、ない?」
「そうだ。早朝の散歩をしてること、なかったかい?」
ネレイアは視線を上に向ける。
「……そういえば。洞窟にいたころ、だけど。……朝早くに、洞窟内を歩いてた」
「そうか」
「うん。一緒に、願掛けしてくれて」
「ネレイアが一緒にいてくれたんだね。ありがとよ」
「ううん。私も、元気づけてもらったから」
ミレーユは静かに笑う。
「寝不足が続くとね、大声とか鎖の音とか……縄を打つ音みたいなのが駄目になることがあるんだ」
「だめに?」
「うん。びっくりして、ごくたまにああなっちまう」
「びっくりして……」
「そうだよ。今日みたいな日は、後ろから近づかれるのも駄目なんだ」
ネレイアは顔を上げ、ミレーユを見た。
「……私」
「あたしらが教えるの、遅くなっちまった。次から気を付けてやってくれ」
「……分かった。……私、どうすればいい?」
「普通にしてやって」
ミレーユは笑う。
「普段は大丈夫なんだ。うちの人も声でかいし、背中ばしばし叩くし。でも、平気だろ?」
「……うん」
「ほんとにたまに、昔の傷が疼くみたいでさ」
「……たまに」
「そうだよ。うたたねが増えた時は、気を付けてやんな」
「うたたね?」
「ああ。釣りしてんのに、歌ってなかったろ?」
「うん」
「歌バカが歌ってる時は平気さ」
「……歌バカって」
「事実だろ」
「……そうだけど」
ネレイアはくすくす笑う。
「……じゃあ、レオがうたたねしだしたら、寝かしつけた方がいい?」
「本人に聞きな」
「はあい」
「さて、停泊の準備だ。手伝っておくれよ」
「うん。先に港、見てくるね」
「気を付けるんだよ」
ネレイアはぱたぱたと駆け出す。
「走ると息が切れるんだろ?」
「これくらい平気!」
「声が大きい」
「あっ」
ネレイアは口を押さえつつ、「行ってくるね」と海へと飛び込んだ。
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