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第8話 茨の聖域

 数年前から王都にまで報告が上がっていた集団がいる。


 『茨の聖域』、構成員は、わずか十数人とも言われている組織だ。


 人死にが出ていないこと、一件あたりの被害額が高額でないこと、討伐できていない失態を隠す貴族からはもちろん、平民からの陳情もなく、来るのはなぜか黒い噂の多い大商人からの陳情のみであること。

 結果、優先順位が下がり続け、討伐命令は中央官僚の書類の山に毎回埋もれる。

 

 支配し、富める者から見れば盗賊。虐げられ、搾取される者から見れば義賊。

 『奪う側も、奪われる側も、この不毛な土地の被害者である』という考えから、略奪の際も最低限の礼節を失わない異質な者たち。


 偽善者だと罵る声もあるにはあるが、非支配階級からそんな声が出るほど、この国の生活は甘くない。王都から辺境に至る道中にある、酒場で、街角で、そして家族の団欒で、庶民が隠れて嗜む英雄譚。

 真実かどうかは庶民の娯楽にはあまり意味がない。その好意的な噂は、驚くほど追い風として吹いており、捕縛を助ける密告などは全くなかった。

 特に団を率いる壮年の男と青い瞳を持つ怜悧な美貌の副官の物語は、その名前ですら、もはや誰もが知るところとなっていた。


「この罪は私が背負う。お前たちは、ただ明日を生きる糧を食らえ」とは、オスカー・レビンの言葉…


「泣くのは後。今はただ、このパンの香りを味を忘れないで」とは、シエル・バイスの言葉…


 閉塞した世界では、英雄譚は生きる糧だ。そして土地と身分に縛られた平民は、彼らの存在がある種の希望なのだ。



「あなた方を、“護る側”に組み込みます」

 レオンから発せられた言葉。それは、あまりにも常識から外れた提案だった。


 盗賊を、義賊を、防衛に使う。

 奪う側を、守る側へと転じさせる。

 そのあり得ない発想に、発言に、誰もが思考を止め、すぐには言葉を返せなかった。


 だが──


 沈黙の中で、確実に何かが動き始めていた。

 恐怖でも、怒りでもない。


 それとは別の──


 “選択”という余地が。



 レオンが隊商に向かって駆け出した後を、少し遅れてそっと着いてきたエリザベートは、その光景を見ながら、ゆっくりと息を吐いた。


(……本当に)


 あの男は。

 世界の見方が、違う。


 剣で断つのではなく。

 異なる発想と仕組みと構造で変える。変えようと試みる。


 もちろん、剣を忌避するわけでも、理想論を語るわけでもない。建前ではなく、見栄でもなく、必要なものを必要な方法で掬っているだけだ。損失を止め、負を正にしているだけ。

 この辺境の地に、選り好みをする余裕がないことは、領主であるエリザベートが一番知っている、理解していなければならないのだから。


 夜風がさっと駆け抜けた。冷たい空気の流れが止まっていた思考を動かす。

 そして、レオンの声が言葉として、提案として、この混乱の中で、確かに“意味を持ち始めている”。

 その事実を、もはや否定することはできなかった。


 そして同時に──


 胸の奥に、わずかな熱が生まれていることにも、彼女はまだ気づいていなかった。



 ふいに時が動き出したかのように、先頭にいた男、オスカーが、さらに一歩前に出る。


 背が高い。

 筋肉質の身体には無駄がなく、体幹は揺るぎない。

 フォルスワーグ領とは別の辺境の地で、かつては魔獣から街を守護する高潔な「辺境守備隊」の副隊長だったと噂される男。


 深い灰色の瞳と、少し白髪の混じり始めた黒髪はぼさぼさで、無精髭が顎に広がっている。

 紋章を削り落とした鉄の胸当てと、汚れの目立たない濃紺の外套は、近くで見ると継ぎ接ぎもされ、かなり使い古されていた。


 背負っている大剣は、噂どおりなら、刃を潰し、相手を気絶させることに特化させた大振りの「鉄断ちの鈍剣」。

 その柄に手が伸びる。足捌きを含めた一連の動きは、無駄も緊張もなく、熟練の動きだ。


「命までは取らない。荷と馬を置いていけ」

 オスカーから発せられた低い声。


 威圧ではない。

 ただの事実の提示。

「抵抗するなら、叩き斬る」


 その言葉に、隊商の、兵士たちの、ガレスとサラの緊張が高まる。


 レオンはさらに一歩前に出た。自らの剣に触れるそぶりも見せずに。

「……あなたたちも、余裕がないのでは?」


 その言葉に、オスカーの目がわずかに動く。

「だったら?」


「無理に奪えば、双方に損失が出ます。今回は何とか勝てたとして、次はどうされますか?どうなりますか?」

 レオンの声は落ち着いている。


 オスカーは、用心深く周囲を確認するふりをしながら、若い部下たちを、青い目をした副官を目の端で確認する。落ち着いた動作、だが、その内側では思考が高速で回っていた。


(戦えば、消耗する)


 戦える者の数はこちらの方が上だ。

 だが圧倒できるほど多くない。

(質はどうか、俺とシエルは渡り合える。だが、騎士とレオンと名乗った男、そして、隊商の一番奥にいる蒼瞳の女、向こうは三人だ)


 荷を奪うことができても、かなりの被害がでる。

 そしてそれは、今の『茨の聖域』にはあまりにも重い。その先に未来はあるのか、将来を描けるのか。


(だからといって──)


「だから取引を提案します。双方の損失を防ぐ、いや、お互いに利益がある。」


 その一言に、再び場の空気が止まる。

 

 副官であるシエルも、部下たちも、もっと言えば隊商たちも、それぞれで顔を見合わせて、自然とオスカーへと視線が集まる。折り重なる。


 オスカーがわずかに笑った。

 軍隊で副隊長をしていた彼にはずっと前からわかっていた。兵站の不安定な軍隊には、組織には未来がないことを。このまま続くわけがないことが。


「取引と言ったか?」


「はい」

 レオンは頷いて、言葉を続けた。

 オスカーの笑みに微笑み返した。

 冷たい夜風がわずかに止んで、張り詰めた空気が軽くなった気がした。


「あなたたちがここで奪うのは、一時の利益です」


「……続けろ」


「ですが、その後は?

 追われ続けてこの辺境まで来た皆さんは、この先どこへ逃げ延びるのですか?」


 沈黙。固唾を飲んで見守る。

 いつの間にか下草を食んでいた馬が嘶いた。


「さらなる損失を覚悟して、また奪う必要がある。繰り返すしかない。それは望んだ未来ですか?」


 オスカーの目がわずかに細くなる。深い灰色の瞳がギョロリと光る。


 図星だった。


「なら、別の形で“得る”方が長く続きます」


「……何が言いたい」


 苛立ちが混じる。

 当然だ。

 この状況での提案としては、異質すぎる。

 だが、理解してしまった。否応なしにさせられてしまった。

 だが――


「協力すれば、報酬を出します。居場所を、生きがいを、若者たちの未来を」

 レオンがさらに言葉を紡ぐ。


 その瞬間だった。

 オスカーが纏う空気が、わずかに変わる。


 そして──


「面白い話をしているな」

 別の声が割り込んだ。

 ゆっくりと歩いてくる影。


 エリザベートだった。


 いつものように堂々と。

 濃い紅を纏った艶やかな長い髪を無造作に束ね、蒼く鋭い瞳がその場を支配する。


 その姿に、茨の聖域と呼ばれる何人かが戸惑いを見せる。

 その瞳の色にオスカーとシエルが驚きとともに目を見開く。


 貴族、それも高位貴族を連想させる蒼瞳をもった妙齢の美女は、武器を手に持っていない。剣は鞘に収まったまま。


 緊張の色もなく、逃げる素振りもない。

 その違和感。

 剣を抜き掛けた護衛騎士であるガレスを後ろ手で止めた。


「……お前は何だ」

 信じられない顔でオスカーが問う。


「エリザベート・ル・フォルスワーグ」

 淡々と答える。


「そして、お前らが侵入したこの土地の領主だ」

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