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第7話 交錯する日

 混乱、喧騒、緊張、反射…様々な生き様が露出する。危機に直面した人間の反応は、千差万別で…だから人間なのだろう。


「隊列を詰めろ!」

 誰かの叫びが響いた。


 それはよく訓練された兵士の声だったが、普段よりも高く大きく、そして緊張が混じっている。漏れている。


 商人をはじめとした乱れた人々の動きが、その声を頼りに少しずつ規律を取り戻す。

 荷車が寄せられ、路上の空白が狭まる。


 その変化は、防御のためのものだが、同時に“閉塞”を生む。

 逃げ場が減る。

 密度が上がる。


 それは、襲う側にとっても好都合だった。

 林の中で、影が動く。

 低く、素早く。

 複数。


 そして──


 さらに矢が放たれた。

 空気を切り裂く音。


 次の瞬間、ロバに引かれた荷車の積荷に突き刺さる。

 悲鳴が上がる。

 誰かが足を取られて転倒する。

 取り戻した規律が再び混乱へと崩れ落ちる。


 その混乱を待っていたかのように、一際大きな影が飛び出した。



 先頭に立つ男は、深い灰色の瞳と、わずかばかり白髪の混じり始めた黒髪の壮年の男だった。威圧感よりも「揺るぎない壁」のような安心感を与える、がっしりとした体格。だが、しなやかさも兼ね備えている動き。


 一気に距離が詰まる。

 男の顔がはっきりと見えてくる。


 日に焼けた精悍な顔には、深い皺が刻まれている。無精髭の間から覗く口元は固く結ばれており、決して余裕があるわけではないことがわかる。


 紋章を削り落とした鉄の胸当てと、汚れの目立たない濃紺の外套。着ている外套は擦り切れ、隠し切れない補修の跡が見える。


 それは単なる装いではない。

 “余裕のなさ”の証明だった。


 彼の背後に続く者たちも同様だ。

 その輪郭が動きが目が…若さを醸し出す。

 まだ骨格が完全に出来上がっていない者もいる。


 その中に、一人だけ異質な存在がいた。

 細身の女。

 年は二十代半ばか後半か。


 透き通るような銀色の短髪を耳にかけ、知性を感じさせる青い瞳は、鋭い目つきで周囲を観察している。衣服は他の者よりも整っており、深い緑色の分厚い布製の胸当てと革の小手に暗色の布を重ね、動きやすさと隠密性を両立させていた。


 腰には短剣が二本。

 そして、手には短弓。

 その構えには、明らかな経験と我流ではない規律があった。


「……オスカー、おかしいわ。想定と動きが違う」


 女が一段低く言う。

 声は抑えられており、冷静だ。だが、青い瞳は揺れ動く。


「……わかっているさ」

 オスカーが短く返す。

 背中に背負った剣の位置を確かめる。


 彼女の名はシエル。シエル・バイス。

 もとは別の小領の没落した下級貴族の娘だった。この国の貴族の血縁者、特に女性の瞳に青系等の色が多いのは、平民でも知っている常識だ。理不尽な争いを避けるための知恵でもある。

 この世界での知識は力だ。農業知識、帳簿の付け方、高度な計算、論理的思考などが高い者は、武勇などの物理的な力と同じく優遇される。国民の大多数である平民には、一部の富裕層を除きそもそも三年間しか学ぶ機会はなく、貧しさは時にそれすらも奪うからだ。

 知識階級は貴重であり、貴族の支配力の一つでもある。


 世の中の正義など、所詮はどちら側に立っているか、どこを切り取ったかでしかない。

 矢を射ること。何も好んでやっているわけではないのに、慣れている。魔獣ではなく、人を相手にするのは本意ではない。


 それでも──


(生きるためだ。自分の手が届く範囲だけでも守るのだ)


 その割り切りが、貴族として守れなかった後悔が、彼女をここに立たせていた。



 対する隊商側では、ガレスがサラと即座に合流しつつ現状を把握していた。


(数は多くない……だが)


 問題は数ではない。

 混乱だ。

 人と馬と積荷が密集している。

 統制が崩れかけている。

 この状態で本格的な戦闘になれば、被害は拡大する。


 その瞬間、ガレスの視界に、駆けつけてきたレオンの姿が映る。

 今朝の模擬戦でも気になっていた体幹の強さ、中央の官僚とは思えない馬捌き、もちろんどれも最優とまでは言えないが、とにかく卒がないのだ。


 彼は逃げていない。

 むしろ、状況を見ている。測っている。


 そして──

 驚くほど自然に動いた。

 潮の流れに逆らう帆船のように、混乱する隊商の中をするすると抜けて前へ出る。


「……何を」

 サラが思わず声を漏らす。


 サラが声を掛けたその背を、ガレスの視線が捉えて離さない。剣の柄に手をかけたまま、彼は動かない。声も掛けない。ただ、その目は鋭くレオンを追っている。


(止めるべきか)


 一瞬の判断。


 だが──


 止めなかった。

 理由は明確ではない。指揮官としては失格かもしれない。


 それでも──


(見たい)


 そう思った。辺境の地で長く戦ってきた男の勘がそう訴えていた。

 敬愛する領主の下で補佐役として仕える者が、この状況で何をするのか、何ができるのか、見てみたいという思いが勝ったのだ。



「オスカーさんですよね。私はレオンと申します」

 場違いにも程がある言葉、レオンがはっきりと相手の名を呼ぶ。シエルの低い声が聞こえる位置にはいなかったはずなのに、集団の頭であろう男の名前を。


 レオンの声は、不思議なほどよく通った。

 混乱の中でも、確かに届く。穏やかなのに揺らぎのない声。そこには怯えも緊張もない。


 オスカーの動きが止まる。

 刹那、視線が合う。


「……なぜ、俺の名を知っている」

 低く唸るような声。

 

 会話をしながらも、視線はその場全ての動きを把握しようと忙しなく動く。後ろ手に部下達へ指示を出す。一瞬の静寂のあと、興奮するロバと馬が同時に嘶いた。


 オスカーと相対する青年には、敵意がまるでなかった。

 油断しているわけでも侮られているわけでもない。自然体…いや。

 (俺たちのことを本当に把握しているのか…)


 そこに、わずかな躊躇が生まれる。


「提案があります」

 レオンは、ここがまさに戦場一歩手前なことを忘れるほどの穏やかな笑顔を浮かべて、言葉を重ねた。


 周囲ではまだ家畜の興奮が渦巻いているが、人は固唾を飲んで見守っている。全ての視線が二人に集まる。


 それでも、彼の、レオンの声は揺れない。

「ここで奪えば、短期的な利益は得られます」


「……当たり前だ」

 一度交わしてしまった会話を断ち切れない。


「ですが、損失も出る」


 オスカーの目が細くなる。濃い灰色の目がギラリと煌めく。

「お前らも、ただでは済まない」


 沈黙。


 その通りだった。

 相手は兵士だけでなく、騎士もいる。それも明らかに隊長格だ。そして、レオンと名乗った男の足捌き、雰囲気、雑兵レベルではない。

(ちっ、シエルの前情報と護衛の量も質も明らかに違う)


 完全に無傷で終わる保証はない。むしろ負ける可能性すらある。


 わずかに思案するオスカーの躊躇にレオンが言葉を重ねる。

「なら、別の形を選ぶべきです」


 その言葉に、いつの間にかオスカーの後ろで控えていたシエルが一歩前に出る。


 弓を下げたまま、レオンを観察する。鋭い、だが知性を感じさせる青い瞳で。


「……具体的には?」

 そう問う彼女の声は鋭い。


 試している。

 値踏みしている。


 レオンは、あくまで穏やかな声音で答える。

「あなた方を、“護る側”に組み込みます」


 その一言で──

 場の空気が、さらに固まる。場の全員の耳に入った音が声としてなかなか意味を成さない。

 人々の静寂が伝播したのか、馬たちの興奮もいつの間にかおさまっていた。


 もう争う空気はそこにない。完全に変わっていた。ただ戸惑うだけの沈黙の中で、レオンだけが変わらずそこにいた。

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