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第6話 支えるもの、奪うもの

 その日の夕方、富める国にも辺境の土地にも等しく訪れる黄昏れ時。

 断崖のような山脈の影が、巨大な鎌となって地平線をなぎ払い、空から最後の残光を奪い去っていった。

 森の深淵からは、風に乗って獣ともつかぬ異様な咆哮が届き、城壁の狭間を吹き抜ける風は、不安気に低く唸った。


 高台の領主館に灯がともる。静寂の幕が下りるなか、館の窓灯りだけが、逃れられぬ運命を刻む時計の針のように、不気味に夜を透かし続けていた。


 赴任の報告をせず、街の宿屋に泊まっていたレオンは、この辺境の中心である領主館へと呼び出されていた。エリザベートから与えられた二週間の期限が今日なのだ。

 謁見の間は使われなくなって久しいらしく、代わりとなる応接室には、他の兵士とは装備が異なる護衛の騎士と、昼間に話しかけてきたサラが、上座に座る領主の左右に立っていた。


 (……それにしても、二十代の若造を寄越すなんて、中央にもずいぶん舐められたものだな)


 エリザベート・ル・フォルスワーグは、濃い紅を纏った艶やかな長い髪を、乱暴にかき上げた。

 魔獣や賊との戦いと政務に追われる日々は、彼女を精神的に成長させてはいたが、年下の高級官僚に対する対抗心なのか、その態度には壁が感じられた。

 向かいに着席することを許されたレオン・ハルバートは、その壁が存在しないかのような穏やかな声で告げた。


「二十七歳の私は、エリザベート様から見ればまだ頼りないかもしれません。ですが、私は楽な生活をするためにここへ来たのではありません」

 レオンは姿勢を正し、彼女の疲れが滲む蒼瞳を真っ直ぐに見つめた。


「この二週間、私はこの街を見続けました。エリザベート様と約束したとおり、観察し、測り、把握することだけを」


 レオンは、言葉を重ねる。

「この貧しい辺境の地で、未だ領主の威光が衰えていないことに、正直感嘆しました」


 エリザベートは、レオンの漆黒の瞳を疑わしげに見返す。

「つまらない世辞はいらない、私も二週間レオン、お前と街の様子は見させてもらった…まあ、不合格ではない」

 鋭い双眸の光が増す。


「まずは私の直属の部下として、常に付いて回ること。そして、この領のことを深く理解すること」

 少し挑戦的な声色で言葉が続く。

 饒舌な領主の姿が珍しいのか、後ろに控える護衛の騎士もサラも目を見開いている。

 

「測ることが、観察することが得意なんだろ。

 その目でありのままのこの領地を見て、観察して、整理して、献策をしろ」


 美貌の領主はなおも続ける。

「私はこの地を、フォルスワーグを、栄えた土地にしたい。領主館から見える灯りを増やし、領民の笑顔を取り戻し、子どもが元気に走り回る姿をみたい。そのために力を貸せ」

(領主補佐として使えるかは、その結果を見てから判断する…)


 応接間の灯りは魔道具らしく、ランプのように瞬くことがない。その真っ直ぐで揺れ動かない光が、レオンにはなぜか領主の鋭い瞳に重なって見えた。

「ありがとうございます。

 わかりました。では、明日から出仕させていただきます」


 その返事に満足したのか、口の端をわずかに上げながら、領主が口を開く。

「サラ、レオンを客間に案内しておけ」


 その日何かが変わった。それはわずかな変化だったが、この場にいる4人は、知らずに漠然と同じ想いを共有していた。



 次の日の朝から、レオンとエリザベート、そしてサラを中心とした行政が始まった。

 もちろん、領主であるエリザベートの外出には、基本的に護衛の騎士が交代制で付く。

 はずなのだが、今日の担当はなぜか昨日と同じ壮年の男性、護衛騎士長のガレス・ヴァレンタインだった。


 鋭いが落ち着きのある深緑の瞳。右目の眉尻から頬にかけて、過去の戦いでついたであろう細い斬傷が見える。少し伸びた銀髪は、戦闘の邪魔にならないよう後ろで無造作に一束に結ばれていた。


 ガレスからお嬢様と言われたのが気に食わないのか、眉間に皺を寄せていたエリザベートが、軽く頭を振りつつ口を開いた。

「レオン、昨日隊商が関所に到着したと先触れがきた。護衛も兼ねて視察に行くのでついてこい」


 四半期に一度しか行商人が来ない辺境の地では、様々な物資の不足が生じてしまう。

 街の商人や小売人の代表者達とサラの部下を兵に護衛させて隊商を組み、隣領から買い付けた様々な物資を運ぶ。それは、公共事業の一環でもあるのだ。


 隊商なら二日から三日かかる道のりを半日と少しで駆けさせて、エリザベートとレオンの二人は馬を降り、ちょうどよい岩に腰掛けて、休憩をしていた。さすがに領主自ら隊商を迎えに行くのもおかしいので、ここで合流したことにする。建前だ。

 人によく慣れた軍馬は、逃げ出すそぶりもなく、次の移動に備えて草を食んでいる。

 

 すでに黄昏れ時を過ぎ、肌寒くなってきたレオンは、枯れ木を集めてエリザベートのために魔道具で火をつけ、小さな焚き火で湯を沸かす。馬の背に括り付けた荷物から取り出した皮製の水筒の匂いが鼻につく。エリザベートに渡す木製のカップに、良い香りのする酒を数滴垂らして差し出した。


「エリザベート様、温まりますので、どうぞ」

 橙の湯気が炎を映してゆらめく。


 同行してきたサラは、積荷の確認も兼ねてガレスを護衛に付けて先行させている。自分のことをお嬢様と呼ぶ、父の代から仕える騎士はさすがに反対していたが、領主命令で押し切っていた。


「すまんな…、そう言えば、ガレスが今日はあっさり言うことを聞いたんだが、レオン、お前が何かしたのか?」


「さあ、特に思い当たることは…」

 なぜか、ガレスに今朝早く呼び出されて剣の腕を確かめられたことは、内緒にしたい気分だった。


「そうか」

 それからしばらく、薪のはぜる音だけが夜空に立ち上る。領主と二人の静かな時間、なぜかレオンにはそれほど苦にならなかった。


 ふと、遠くから、かすかに馬のいななきが聞こえた。二人の脳裏には浮かぶ焦燥感、どちらからともなく顔を見合わせると、火の始末をして隊商との合流を急ぐ。


 それは、日常の範囲ではない。

 この先で何かが起こっている、何か“混じっている”ような違和感。違和感は小さなものではない。


 そして──

 それは、この領地の外から来ている。そんな気がした。

 エリザベートは馬上でゆっくりと目を細めた。確信に近い感覚。長年この土地で生きてきた者だけが持つ“予兆”だった。


 そして、その背後で。

 まだ誰も気づいていないところで。

 “試み”として始まったばかりの小さな仕組みが、新たな息吹が、さらなる変化を求めている、そんな気がした。


 昨日まで妙に澄んでいた空は、思い出したかのように分厚い雲で覆われ、月明かりも星空もない闇が広がっている。その重々しさは、この領地において決して不思議ではない。


 月明かりと星空がない夜は、狙われやすい。

 動きが読みにくい。変化に気づきにくい。


 そして──奪う側は動きやすい。


 そのことを、エリザベートはよく知っていた。

 彼女はレオンとともに領地の外縁に近い街道沿いの丘の馬上で、ゆっくりと周囲を見渡していた。重い空の割に風は乾いており、草が擦れる音が微かに耳に届く。遠くでは荷車の列が進んでいるのが見える。レオンとエリザベートが休憩していた野営地に向かっている。


 普段と変わらない光景。


 だが──違和感があった。


 理由ははっきりしない。

 ただ、長年の経験が告げている。


 (静かすぎる)


 虫の声が少ない。

 風の流れが単調だ。

 そして何より、全員動いているはずの人の気配が“均一すぎる”場所がある。


 視線を細める。

 その瞬間、わずかな動きを捉えた。


 街道脇の林。影が揺れた。

 自然ではない。


「……来るか」


 低く呟くと同時に、彼女は背後に控えていたレオンに視線を送る。


「ガレスなら気づいていると思うが、隊列を崩すなと伝えてこい」


 短い指示。

 それだけで十分だった。


 レオンを乗せた馬は即座に動き出し、荷車の列に伝令として走る。


 その一方で──


 別の場所でも、同じ“異変”を感じ取っている者がいた。



「……妙だな」


 ガレスは立ち止まり、視線を林へ向けた。


 彼は敬愛する領主の指示を受け、サラとともに積荷の確認と護衛強化のため、隊商に合流していた。普段であれば、物資の量や積載状況、野営地までの行程に意識を割くところだが、今日は何かが違う。


 感覚が、警鐘を鳴らしている。


 ガレスの生まれたヴァレンタイン家は、代々辺境伯家に忠誠を誓っている。領主になる前から彼女の剣術指南役を務めており、現在は彼女の「剣」であり、時には「兄」としても支えてきた。


 戦いと訓練の中で育った彼は、“乱れ”に敏感だった。


 戦場のざわめきが一瞬止まるとき。

 兵站の流れが不自然に偏るとき。

 そこには必ず、何かが起きる。


 それと同じ“空気の歪み”が、今ここにあった。


 ガレスの手が、無意識に腰の剣に触れる。鞘から刀身を抜く。

 魔素石と鋼の合金でできたバスターソード(片手でも両手でも扱える大剣)は、刀身に淡い青のルーンが刻まれていた。


「全員、隊列を、間隔を詰めろ」


 落ち着いた声で指示を出す。

 護衛の兵たちを中心に指示に従い、隊形を整え始めたその時だった。


 ──矢が飛んだ。


 鋭い風切り音。

 次の瞬間、荷車の側面に突き刺さる。


「伏せて!」

 サラの冷静な声が響く。


 同時に、林の中から人影が飛び出した。

 五人、いやそれ以上。


 粗末な布と革でできた鎧に身を固め、顔の半分を黒布で覆っている。動きは速いがぎこちない。


 その目は飢えていた。だが、濁ってはいない。ただ、まだ生きていたいという生への執着。


 盗賊。義賊。

 生きたいと願う権利は誰にでもある。金も地位も名誉も身分がなくても、それだけは生まれながらにして平等なのだ。

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