↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
辺境領再建記 〜追放された天才文官は、鉄血の女領主をロジカル内政力で救い出す〜  作者: 雅 佳人
第十章:満たされる初秋

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

70/122

第70話 戦友の笑み、戦士の顔

 秋の気配が、ゆっくりとグランディアの街を染め始めていた。

 昼間はまだ夏の熱気が残るが、夕暮れの風はどこか涼しく、街路樹の葉もほんのり色を変えつつある。


 かつて沈んだ空気が漂っていた辺境の都──領都グランディア。

 今では、日が落ちても人の流れが途切れない。


 木箱を運ぶ音が遠くで響き、

 宿屋からは旅人の笑い声が漏れ、

 酒場には商人や職人が集まり、

 夜の灯りが街を温かく照らしていた。


 その一角。

 古くから兵士たちに愛されてきた酒場《赤鹿亭》の扉が、軋む音を立てて開く。


⸻


「隊長、来たか」


 木の梁に染みついた古い酒と、薪の煙の名残が溶け合う中、低く落ち着いた声が店内に響いた。

 声の主──ドーガンは、奥の席でどっしりと腰を据え、軽く手を上げて隊長を迎えた。

 二人は若い頃から幾度も戦場を共にし、ガレスがまだ実戦に不慣れだった頃には、ドーガンが何度も支えてきた古参同士だ。


 兵士としては決して大柄ではない。

 だが鍛え抜かれた肩と腕、無駄のない体つきは、長年の戦場で培われた確かな力を物語っていた。

 短く刈った髪には白いものが混じり、頬を走る古傷は、若い頃からフォルスワーグ辺境伯家に仕えてきた年月そのものだ。

 その姿は、背丈以上の存在感を放っている。


「待たせたな」


 ガレスが椅子を引き、向かいに腰を下ろす。

 その動きに合わせて、ドーガンは自然と背筋を伸ばした。

 長年の仲間でありながら、隊長としてのガレスへの敬意が、無意識の所作に滲む。


 三十代後半。護衛騎士隊長にして、エリザベートの傅役であり、兄代わりであり、相談役でもある男──ガレス。

 気づけば肩書ばかり増えたが、どれも彼が望んだわけではなく、気づけば周囲が頼っていた。


 店主が慣れた手つきで、辺境で昔から造られてきた雑穀のエールを置く。

 小麦やライ麦を混ぜて仕込む素朴な濁り酒だが、兵士たちには馴染み深い味だった。

 泡が静かに揺れ、二人は言葉もなく杯をぶつけた。

 乾いた音が、古い酒場の空気に心地よく響く。


「……うめぇ」


 最初に口を開いたのはドーガンだった。

 喉を鳴らし、満足げに息を吐くその顔は、戦場では決して見せない柔らかさを帯びている。


「仕事終わりの酒は最高だな」


「年中言ってるだろ」


 ガレスが呆れたように返すと、ドーガンは肩をすくめて笑った。


「毎回本気だ」


 その言い方が妙に真剣で、ガレスは思わず吹き出した。

 この男は、酒を飲む時だけは戦場の緊張を忘れ、少年のような顔になる。

 それが昔から変わらない。


 しばらく二人は黙って酒を飲んだ。

 若い兵士には味わえない、静かで贅沢な時間。

 言葉を交わさなくても、互いの呼吸だけで十分だった。


 やがて、ドーガンが窓の外へ視線を向ける。

 夜の街に灯りが揺れている。

 以前よりずっと多く、ずっと明るい。


「変わったな」


 ぽつりと漏れたその声には、長年この街を見守ってきた者だけが持つ重みがあった。


「何がだ」


 ガレスが杯を置きながら問い返す。


「全部だよ」


 ドーガンは窓の外を見つめたまま、静かに言った。


 ガレスも外を見る。

 確かに、驚くほど変わった。


 街道は整備され、荷馬車が途切れなく行き交うようになった。

 落ち目だった鉱山が息を吹き返し、ザルツ村の男たちが誇らしげに働いている。

 カウム村の牧畜は安定し、宿場町レストは旅人で賑わい、フィヨル村は亜麻仁油の名産地として名を上げた。


 どれも、つい最近まで想像すらできなかった光景だ。


「正直なところよ」


 ドーガンが杯を揺らしながら言った。

 その声音には、長年この領地を見守ってきた者だけが持つ率直さがあった。


「最初、レオンのことは胡散臭ぇと思ってた」


「分かる」


 ガレスが苦笑する。


「若造だったしな」


「しかも中央の官僚だ」


「変なことばかり言う」


「金使う」


「働かせる」


「笑う」


 ドーガンが眉をひそめる。


「笑う?」


 ガレスが聞き返すと、ドーガンは鼻を鳴らした。


「なんかいつも余裕ありそうだった」


 その言い方に、ガレスは思わず頷いた。

 確かに、レオンは問題を前にしても眉ひとつ動かさない。

 困るより先に考え、考えるより先に動く。


 どう解決するか。

 どう利用するか。

 どう未来へ繋げるか。


 そういう男だった。


⸻


「お嬢も変わったな」


 ドーガンが、ふっと目尻を下げながら言った。

 その声音には、長年エリザベートを遠くから見守ってきた者だけが持つ、静かな実感が滲んでいる。


 その言葉に、ガレスの口元が自然と緩んだ。


「だろう?」


 ガレスの返しは短いが、どこか誇らしげだった。

 まるで自分の妹を褒められた兄のように。


「昔はずっと気を張ってた」


 ドーガンは、かつてのエリザベートを思い返すように、ゆっくりと雑穀エールを揺らした。

 その横顔には、若い頃から彼女を守ってきた兵士としての、深い情が宿っている。


「知ってる」


 ガレスが静かに頷く。

 その目には、幼い頃から彼女のそばにいた者だけが知る、痛みと誇りが混ざっていた。


「笑わなかった」


 ガレスの声は、どこか遠い記憶をなぞるようだった。

 父を亡くした年若い領主が、領地を背負い、必死に立とうとしていたあの頃──

 彼はずっと、その背中を見守ってきた。


「今は?」


 ドーガンが、からかうように目を細める。

 その表情には、仲間としての親しみと、隊長への軽い意地悪が混ざっていた。


「よく笑う」


 ガレスは、思わず吹き出しそうになるのを堪えながら答えた。

 その声には、隠しきれない嬉しさが滲んでいる。


 本当に、よく笑うようになった。

 執務中でも、視察中でも──

 そして何より、レオンといる時は特に。


 その変化を思い返すと、胸の奥がじんわりと温かくなる。

 兄代わりとして、それが何より嬉しかった。


 かつて、笑う余裕すらなかった少女が、今では未来を語り、仲間と笑い合い、時に頬を膨らませ、時に照れたように視線を逸らす。

 そんな当たり前の姿が、どれほど尊く、どれほど救いだったか。


 ガレスは杯を軽く揺らしながら、静かに息を吐いた。

 その横顔を見て、ドーガンは何も言わずに笑った。

 古くからの戦友だからこそ、言葉にしなくても分かるものがあった。


⸻


「まぁ、そろそろくっつけばいいんだがな」


 ドーガンが、わざとらしく肩をすくめながら言った。


 ガレスは思わず吹き出した。

 酒が危うく喉に入りかけ、咳をこらえながら笑う。


「お前もそう思うか」


 笑いながらも、どこか照れくさそうにガレスが返す。


「領民全員思ってる」


 ドーガンは断言した。

 その表情は真顔に近いのに、目だけが愉快そうに細められている。


 その一言が決定打となり、二人は腹を抱えて笑った。

 酒場の古い木壁に、笑い声が温かく響く。

 本人たちだけが気づいていない。

 それがまた、どうしようもなく微笑ましかった。


 やがて笑いが落ち着くと、ドーガンの表情がふっと引き締まった。

 冗談を言っていた男の顔ではない。

 長年、前線で命を張ってきた兵士の顔だ。


「……だが、良いことばかりじゃねぇ」


 低く落とした声に、ガレスも自然と背筋を伸ばす。

 隊長としての本能が、空気の変化を敏感に察していた。


「ああ」


 短く頷くガレスの声も、先ほどまでの柔らかさを失っている。


 発展すれば人が集まる。

 人が集まれば荷や金が動く。

 荷や金が動けば、必ず狙われる。

 この辺境では、それは人間だけの話じゃない。

 魔獣は人の営みの匂いに敏感だ。だからこそ、豊かさの匂いにも寄ってくる。


 それは、昔も今も変わらない。

 むしろ今の方が、狙われる理由は増えている。


「北だな」


 ドーガンが、窓の外の暗がりを睨むように言った。


「北だ」


 ガレスも同じ方向を見る。

 短い言葉だが、二人の間に共有された危機感は重い。


 北方山脈のふもとに広がる魔の森──

 魔獣の領域。

 毎年のように被害が出る危険地帯。


 今年の群れは大きかった。

 もし規模がもう少し大きければ──

 街道も、村も、鉱山も、穀倉地帯も守り切れなかっただろう。

 

 その想像だけで、二人の胸に冷たいものが走る。

 笑い声が消えた酒場の片隅で、

 彼らは静かに、しかし確かに、

 “守る者の顔”へと戻っていた。


⸻


「レオンも言ってた。次は北の備えだとな」


 ガレスが杯を置きながら言うと、ドーガンは深く頷いた。

 その頷きには、ただの同意ではなく、長くこの領地を守ってきた者としての覚悟が宿っている。


「当然だ。せっかく育ってきた領地だ。守らなきゃ意味がねぇ」


 ドーガンの声は低く、しかし力強かった。

 彼にとって“領地”とは、地図の上の区画ではない。

 顔を知る村人たちの暮らしであり、仲間の汗であり、守るべき灯りそのものだ。


「北の砦を強化する。砦そのものの強化に加え、土塁と堀を補強し、物見櫓と備蓄倉庫も増設する。それから──護衛哨戒隊との連携も、これまで以上に密にする」


 ガレスが淡々と実行中の計画を口にすると、ドーガンの目が鋭く光った。

 その瞬間、彼の表情は完全に“精鋭”のそれへと変わる。

 戦場を知る者だけが持つ、静かな闘志が滲んでいた。


「面白くなってきたな」


 ドーガンが口元を吊り上げる。

 それは戦いを望む笑みではなく、

 “まだ自分は戦える”

 “まだ守れる”

 という誇りの証だった。


 ガレスもその表情を見て、思わず笑みを返す。

 この男は、どれだけ歳を重ねても、戦場に立つ覚悟を失わない。


「平和になったら引退するかと思ったが」


 ドーガンが冗談めかして言うと、ガレスは肩をすくめた。


「無理そうだな」


「諦めろ」


「だな」


 二人は同時に笑った。

 その笑いには、静かな信頼が滲んでいた。


 酒場の灯りが揺れ、窓の外では夜風が街路樹を揺らしている。

 その静かな揺らぎの向こうに、守るべき領地の広がりが確かにあった。


⸻


 窓の外では、夜がゆっくりと深みを増していた。

 昼間の喧騒が落ち着き、代わりに静かなざわめきが街を包んでいる。

 遠くを行く荷馬車の車輪が石畳を擦る音、家路を急ぐ人々の足音、どこかの店先で鳴る小さな笑い声──

 それらが重なり合い、ひとつの“暮らしの気配”となって流れていた。


 かつてはこんな夜の音すら、もっと薄かった。

 今は違う。

 街が息づいている。

 人が増え、店が増え、灯りが増え、

 その分だけ、この土地に宿る“温度”も確かに増していた。


 ガレスは最後の酒を飲み干し、静かに息を吐いた。

 胸の奥に、ひとつの思いがゆっくりと沈んでいく。


 ──エリザベートとレオンが未来を作るなら。

 ──自分たちは、その未来を守る。


 それでいい。

 それが騎士であり、兵士だ。

 誰に言われるでもなく、自然とそう思えた。


 窓をかすめる夜気が、酒場の灯りをわずかに揺らす。

 その揺らぎの向こうで、遠くの見張り台の笛が短く鳴った。

 豊かになり始めた辺境領の夜は、静かに、しかし確かな温もりを抱いて更けていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。