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辺境領再建記 〜追放された天才文官は、鉄血の女領主をロジカル内政力で救い出す〜  作者: 雅 佳人
第十章:満たされる初秋

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第69話 二人の歩幅

 夏の名残りを含んだ陽光が、グランディアの石畳を白く照らし返していた。

 季節は秋へ向かっているはずなのに、街の熱気は衰えない。


 領都グランディア──

 フォルスワーグ辺境伯領の中心にして、人と物と金が絶え間なく流れ込む“辺境の要”。

 その要は、今日はいつにも増してざわめきを増していた。


 月に一度の大市の日。

 普段の露店に加え、宿場町レストやカウム村、ザルツ村やフィヨル村から人々が押し寄せ、最近では隣領リールスタットからも商人がやってくる。


 大通りは人の波で埋まり、香辛料の匂い、焼き菓子の甘い香り、木工の削り屑の匂い、呼び声、笑い声、値切り交渉の声……

 領都そのものが巨大な生き物となり、息づき、脈動しているようだった。


 その喧騒を行政府の窓から見下ろしながら、サラは深いため息をついた。


「……どうしてこうなるんでしょう」


 机の向かいには領主補佐のレオン。

 そしてその隣りには──護衛騎士隊長のガレス。


 二人とも、まるで子供が悪戯を見つかった時のような、申し訳なさそうな顔をしていた。


 申し訳ないと思うなら依頼しないでほしい。

 心の底からそう思う。


「本当は俺が行くべきなんだがな」


 ガレスが頭をかきながら言った。


「北方砦の強化対応がずれ込んでてな。報告書が……」


 レオンも肩をすくめる。


「私もカウム村の二次改革案について、エリザベート様への報告予定が入っていまして……。どうしても外せません」


 サラは冷ややかに言った。


「つまり──二人とも忙しいから私が行けと」


「そうなる」

「そうなります」


 声が揃った。


 腹が立つ。

 とても腹が立つ。


 だが、仕事なのだから仕方がない。

 それがまた腹立たしい。


「……分かりました」


 サラは諦めたように立ち上がった。


「市場の視察ですね」


「頼む」


 ガレスが申し訳なさそうに頷く。


 その時──

 レオンが、まるで何でもないことのように付け加えた。


「一人だと大変ですから、ジークにも同行してもらいます」


 サラの動きが止まった。


「……誰が?」


「ジークです」


「なぜ?」


「商人だからです」


「嫌です」


「即答ですね」


 レオンが苦笑する。

 ガレスも「まあまあ」と手を上げたが、サラの表情は氷点下のままだった。


 よりによってあの男。

 元神童と呼ばれ、最近では本当に商会まで立ち上げてしまった、あの生意気な商人。


 最近ますます調子に乗っている。

 そして、彼と一緒に行けば──


 絶対に面倒なことになる。

 確信できる。


 サラは窓の外の喧騒を見つめた。

 陽光は眩しく、街は活気に満ちている。

 だが彼女の胸の内には、嫌な予感だけがじわりと広がっていた。


⸻


 一時間後。

 グランディア中央市場。


 昼下がりの陽光はまだ強く、露店の布屋根が揺れるたびに光と影が地面を斑《まだら》に染めていた。

 人の波は相変わらず途切れず、香辛料の匂いと焼き肉の香りが混ざり合い、喧騒は耳の奥にまで響く。


「サラさん、その……随分と不機嫌そうに見えますが」


 開口一番、ジークが言った。


「あなたがいるからです」


「それは奇遇ですね。私も同じことを思っていました」


 お互い、迷いなく即答だった。


 近くの商人たちが、また始まったと肩をすくめる。


「仕事です」


 サラがきっぱりと言う。


「余計なことはしないでください」


「その言葉は、そのままお返しします」


「私は余計なことをしません」


「……自覚がないのが一番怖いですね」


 ジークが肩をすくめた。


「まったく心外です」


 その様子に、さっきの商人たちが苦笑する。


「相変わらずですねえ」

「今日はどっちが勝つんだか」


 サラは聞こえないふりをして帳簿を抱え直した。


「視察です。遊びではありません」


「もちろんです」


 即答。

 信用できない即答だった。


 サラは小さくため息をついたが、それ以上は何も言わなかった。


 仕事は仕事だ。


 サラは帳簿を抱え直し、ジークは人混みへと視線を向ける。


 視察は始まったばかりだった。


⸻


 まず向かったのは中央市場の食材区画だった。


 広場には山のように積まれた小麦袋が影を落とし、カウム村の羊肉、隣領リールスタット産の干し肉、さらにはザルツ村の鉱夫たちが好む保存食まで、各地の品が所狭しと並んでいる。


 人々の声が飛び交い、木箱を動かす音がガタリと混じる。

 その喧騒の中で、サラは帳簿を開き、素早く数字を追った。


「……おかしいですね」


 低く落とした声に、ジークがすぐ反応する。


「どこがです?」


「この店。小麦の価格が周辺相場より明らかに高いんです」


 ジークは店頭へ視線を向け、客の流れを観察した。


「ですが……売れていますね。むしろ他より客が多い」


「そこが変なんです」


 サラの目が細くなる。

 数字を読む者特有の、冷たい光が宿った。


「値段が高い店ほど客は離れるはずなのに──逆です」


 その一言で、店主の顔色がみるみる青ざめた。

 ジークは思わず口元を押さえる。


「……相変わらず鋭い。数字の前では、まるで逃げ場がありませんね」


 サラは無言で店主に近づき、袋の一つを持ち上げた。

 重さを確かめるように軽く揺らし、次に秤へ乗せる。


 針が、微妙に──しかし確実に──軽い方へ傾いた。


「……やっぱり」


 ジークが肩をすくめる。


「重量をごまかして、あえて高値で売る……“質が良いように見せる”手口ですね」


 サラは淡々と頷いた。


「信用を悪用した典型です。数字を見れば、すぐ分かります」


 店主は完全に観念したように肩を落とした。


 ジークは横目でサラを見て、苦笑する。


「ほんと、あなたの目は怖いくらい正確だ。でも……頼りになりますね」


 サラは少しだけ眉を上げた。


「褒めても何も出ませんよ」


「褒めてません。事実を言っただけです」


 二人の視線が一瞬だけ交わり、すぐに離れた。

 市場の喧騒の中で、二人のやり取りだけが妙に印象に残った。


 その静けさを破るように、店主が地面に額がつきそうなほど深く頭を下げ、必死に弁解した。


 サラは容赦なく是正命令を出した。

 その声は冷たく、しかし一切の迷いがなかった。


「……怖いな」


 ジークが小さく呟く。


「何か言いました?」


「いえ、何でも」


 サラの視線が向くと、ジークは即座に笑顔で誤魔化した。

 だがその内心では、別の感情が芽生えていた。


 自分なら利益率や流通量、客層の変化から異常を探す。

 だがサラは“数字の違和感”そのものを嗅ぎ取る。


 同じ商売でも、見ている角度がまるで違う。

 それが、妙に面白かった。


 市場の喧騒の中で、ジークはほんの少しだけ口元を緩めた。


⸻


 その後も二人は市場を歩き続けた。


 鍛冶屋では、鉄を打つ音が空気を震わせ、

 羊毛商では、ふわりとした白い毛が風に舞い、

 薬草商では、乾いた草の香りが鼻をくすぐり、

 魚屋では、川魚の干物が風に揺れ、細かな鱗が陽光を受けて淡く光っていた。


 サラは帳簿を片手に淡々と数字を確認し、

 ジークは人の流れや商品の配置を観察する。


 そして──

 今度はジークが足を止めた。


 ある木工品の露店の前だった。


「どうしました?」

 サラが問いかける。


 ジークは店ではなく、店の前を通る人々を見ていた。

 若い夫婦、子供を抱えた母親、木製の玩具を手に取って笑う子供たち。


「この店……半年後には大きくなります」


「ただの木工品店に見えますが?」


 サラは素っ気なく言う。


 ジークは首を横に振った。


「客層が違います。若い夫婦が多い。子供向けの商品を見ている。

 生活が安定してきたフォルスワーグ領の人口増加と合わせれば──」


 彼は木材の質や職人の手際、商品の回転率まで一瞬で見抜いていた。


「これは“伸びる商い”の兆しです」


 サラは黙った。


 そこまでは見ていなかった。

 数字は見える。

 だが未来の流れは見えない。


「……なるほど」


 素直にそう言った。


 ジークが少し驚いた顔をする。


「珍しいですね。認めてくださるとは」


「腹は立ちますが、才能は認めています」


 サラは淡々と言ったが、ジークは一瞬だけ言葉を失った。

 予想外だったのだろう。


 そして、ふっと小さく笑った。


「……そう言っていただけると、嬉しいですね」


 その笑みは、いつもの皮肉や挑発ではなく、どこか素直で、少しだけ照れたようなものだった。


 サラは視線を逸らした。

 返す言葉が、なぜかすぐには見つからなかった。


⸻


 夕方。

 長かった市場の視察がようやく終わった。


 西日が街を茜色に染め、露店の布屋根が赤く揺れる。

 片付けを始める商人たちの声があちこちで響き、昼間あれほど賑やかだった子供たちの声も、今はもう遠くに消えつつあった。


 帰り道。

 ふと、香ばしい匂いが風に乗って流れてくる。


 焼き菓子の屋台だった。


 最近人気の“亜麻仁油の焼き菓子”。

 フィヨル村で改良された亜麻仁油を使った、新しい名物だ。

 黄金色の油と蜂蜜を生地に練り込むことで、外は香ばしく、中はしっとりと甘い──そんな評判が広まっている。


 ジークは迷いなく二つ買った。


「サラさん。どうぞ」


「結構です」


「遠慮なさらず」


「してません」


「では……仕事代ということで」


「いりません」


 頑固だった。

 いつものことだが、今日は特に頑なだった。


 しかし──


 ぐうぅ……


 小さな音が、夕暮れの静けさに妙に響いた。


 沈黙。


 サラの顔が、夕日の色よりも赤く染まった。

 昼を食べ損ねていたのだ。


 ジークは堪えきれず吹き出した。


「……食べてください」


「……」


「サラさん。食べてください」


「……一口だけなら」


 サラは観念したように受け取った。


 一口。


 外は香ばしく、中はほんのり甘い。

 亜麻仁油特有の香りがふわりと広がり、舌に優しく溶けていく。


 サラは思わず目を見開いた。


「……美味しいですね」


「でしょう。フィヨル村の油は、本当に良い出来ですよね」


 まるで自分だけで作ったかのような誇らしげな顔をしている。

 ……腹が立つ。


 でも──

 少しだけ。

 本当に少しだけ。


 今日のジークは嫌いではなかった。


 隣りを歩く横顔を見る。


 天才。

 生意気。

 傲慢。


 けれど努力家。

 そして──

 誰よりも真剣に商売を愛している男。


「……」


 サラはまた視線を逸らした。


 焼き菓子をもう一口だけかじる。

 思ったより甘かった。


⸻


 一方で、ジークも同じことを考えていた。


 面倒な女性だ。

 融通が利かない。

 金に細かい。

 頑固。


 でも──

 誰よりも誠実で、

 誰よりも領地を思い、

 誰よりも仕事に真剣だ。


「……悪くないですね」


「何か言いました?」


「いえ、何でもありません」


 サラが怪訝そうに眉を寄せ、ジークは軽く笑って誤魔化した。


 そして二人はまた歩き出す。


 西日に長く伸びた二つの影が、石畳の上で並んでいた。

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