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第33話 芽吹きを待つ価値

 レオンとエリザベートの有意義な視察が終わった次の日から、いよいよ石塔を建てる作業が始まった。


 石造りの倉庫(石塔)を使った貯蔵葉作りは、秋から冬にかけて行うことから、初夏の今できることはそのための準備をすること。

 石工の指示に従って、皆で協力しながら石塔を少しずつ建てていく。

 まだ基礎の段階ではあるものの、一日一日僅かずつ進む積み重ね。日々形になっていく石塔の姿は、村人たちの毎日の楽しみになっている。


 貯蔵葉づくりは、機密性を確保するために、丁寧な作業と仕上げの繰り返しが必須となる。

 そのため、石工たちとの作業は若い兵士と村人を中心に割り当てられた当番の者による、数名ずつの交代制で担っている。


 石塔を建て始めて十日余り。作業は順調に推移していた。

 日中の陽射しが少しずつ力強さを増し、日陰の涼やかな風がこぼれ落ちそうな汗を拭う。


 石工たちがレオンの指示を仰ぐことも少なくなってきたその日。

 いつもの時間、いつもの広場にいつものメンバーを集めたレオンは、さらに新しい提案をすることにした。


「次は、カウム村の特産品である羊毛の品質向上に取り組みます。ハインさん、羊毛の質はどうすれば良くなると思いますか?」

 レオンが、当たり前のように牧舎頭のハインを指名する。

 

「羊毛の質は羊の良し悪しで決まるんだから、牧草や干し草をいっぱい食べて太らせたら、それで良くなるんじゃねえのか?」

 ハインも慣れたもので、視線を泳がすことなく落ち着いて返す。


「そのとおりです。でも、それだけでは他領の羊毛と同じ水準にしかなりません。

 では、競合品より高く売るために必要なことは何でしょうか?」


 エリザベートが自信ありげに手を挙げる。

 最近の彼女は表情が豊かになった気がする。


 「エリザベート様には、鉱山改革の報告という大きなヒントをあげていますので、最後です」

 大人で気品あふれる領主様はもちろん我慢できると思いますが、と漆黒の瞳に穏やかな色をのせて、エリザベートの蒼い瞳を見る。


「では、シエルさんは何だと思いますか?」


 シエルは驚いたように一瞬青い瞳を瞬かせると、詰まることなく話し出す。

「品質が同じなら、値段を下げることで競争力を上げればよいと思います」

 

 リオや村人たちが、我が意を得たりと大きく頷く。


「それも正解の一つです。確かにそれなら今よりもたくさん売れるかもしれません。

 でも、一時的に伸びた売り上げはすぐに元に戻ります。なぜなら、真似が簡単にできてしまうから。他領の村が真似をして、同じ値段、場合によってはそれより安くしたらどうなるでしょう?」


「買う人が喜ぶと思います。同じお金でたくさんの羊毛が買えたら嬉しいから!」

 リオが勢いよく答えた。


「そう、そのとおりですね。そして、値下げ競争が始まります」

 レオンがハイン、シエル、リオと順番に目線を合わせていく。

 その落ち着いた視線に、場の空気が自然と引き締まる。

 一歩下がった位置で見つめるエリザベートの鼻先が、わずかに誇らしげに上向いた気がした。


「では、その先に待っている結末はどうなると思いますか?オスカーさん」

 レオンと同じ柔らかな視線で成り行きを見守っていた、経験豊富な壮年の顔が引き締まる。


「誰も儲からないまま持久戦になり、蓄えが少ない産地から疲弊して、潰れてしまう村も出てくるでしょう」


「そのとおりです。そして、今のカウム村は貧しい。値下げ前提の体力勝負を挑めば他領には勝てません」

 頷いたレオンの目に、オスカーへの信頼の色がにじむ。


「では、もう一度聞きます。競合品より高く売るために必要なことは何でしょうか」


 自信を持って得意げに挙げられる白く美しい手。

 勢いに合わせて濃紅の長髪がふんわりと流れ、蒼い瞳が得意げに輝く。

 その表情には、領主としての誇りと、補佐官への深い信頼が滲んでいた。


「カウム村の羊毛に特別な価値を付けてやればよい。それによって他領との差別化を図り、価格を下げずに売り上げと利益の両方を確保することだ」

 聡明で端正な落ち着いた美貌の領主…の緩む口元が、そこはかとなく漂う可愛らしさを隠しきれない。


「さすがはエリザベート様ですね」

 よくできた教え子を慈しむような柔らかい笑顔。


「私が領主で上司で年上だということを、忘れるなよ」

 凛とした口調とは違い、蒼い瞳には笑みがあった。

 

 冷たさが和らぎ、爽やかさを増した風がそっと吹き抜ける。

 二人の穏やかなやり取りを見ていた、リオがシエルがオスカーが、声を押し殺して笑っていた。


「それで、エリザベート様、具体的にはどうすればよいのでしょうか」

 つられて笑顔を浮かべていた牧舎頭のハインが、姿勢を正して遠慮がちに伺う。


「簡単なことだ、他領が真似をできない方法で“極上の羊毛”にすればよい」

「そうだろう、私の補佐役殿」


 自信満々な敬愛する領主様を見て、少し困った表情の牧舎頭の男がレオンへと視線を移す。有能な補佐役は、小さく頷くと一歩前に出た。



 辺境の羊毛、フォルスワーグ領カウム村の羊毛は評判が悪い。


 理由は単純。

  

 毛に傷が多く、長さがバラバラで、品質が不揃い。

 くすんだ色ばかりで染めにくい。

 脂、泥、草屑のせいで汚い。


 だから商人に買い叩かれる。

 安かろう悪かろうでは利益が出ない。



「領主様のご指名ですので、私から説明させてもらいます。羊毛づくりは、皆さん“共同作業場”でされていますよね?」

 村のほとりにある湖から流れる、放牧地をうるおす清らかな小川の近くに、羊毛づくりのための共同作業場がある。


「牧舎ごとに作業場を作る余裕なんてどこにもねぇからな。村内で順番を決めて使っちゃいるが、特に問題は起きてねぇぞ」

 ハインが、怪訝そうな顔をしながら村人を代表して答える。


 交代で同じ場所を使っている。

 でも作業方法は、各々の牧舎や家庭に任されている。

 時に、簡単な情報交換をすることはあるが、基本的に親から子へと受け継がれてきた方法で作業をしている。


「だから、品質が揃わない。向上しない。個々に商人と交渉するから安値で買いたたかれる」

 レオンの言葉に、ハインは黙るしかなかった。村人たちも顔を見合わせるだけ。


 牧舎頭のハインですら、実際の作業をすべて把握しているわけではない。

 羊毛づくりは、受け継がれていくものだという暗黙の了解。

 だが、そこには特に根拠があるわけでも、理由があるわけでもない。

 “そういうものだ”という思い込みだけがある。


「準備もありますので今日はここまでにして、明日の同じ時間、今度は共同作業場に集まってください。そこで具体的な方法を説明します」

「ハインさん、どなたかにお願いして、“刈り頃の羊”を一頭用意してもらえると助かります」

 よくとおる声で説明を〆ると、レオンが手を一つ叩いて解散を促す。

 また事前報告がないと、エリザベートの双眸の煌めきが増す。


  村人たちが三々五々仕事に戻る後ろを、ハインが上の空でついていく。


 ハインは長年、“売る側は弱い”と思って生きてきた。


 商人の言い値で売るしかない。

 それが当たり前だった。

 だが、この男は違う。

 “価値を上げる方法”を考えている。

 今に満足しない。理由を考えずに停滞することがない。


 そして、根底にあるのは、この村を、この領をどうすれば豊かにできるか。

 どうすれば人々の笑顔が増えるのかということ。


 ハインは、牧舎頭としての自分が無性に恥ずかしくなった。滲んだ視界を隠すように思わず天を仰ぐ。

 だが同時に、胸の奥に小さな火が灯るのを感じた。

 “もっと良くできるはずだ”という、久しく忘れていた感情だった。


 初夏を迎えたカウム村の空は今日も青く、所々に浮かぶ羊に似た白い雲が楽しそうに流れていた。

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