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第28話 風鳴りの村

 翌朝。

 当番の兵士に見送られ、男女五人組の一行は、カウム村へと進み出す。

 雲一つない空は霞もなく澄み渡り、肌寒い風と温かな陽射しが心地よい。


 エリザベートは、侍女兼護衛役のシエルとともに、馬車の中から外を眺めていた。フードも被らず、書類の山もない。こんな穏やかな気持ちで自分が治め、そして生まれ育った土地を見渡すのはいつ以来だろうか。

 美しい春の色に彩られた草原や丘陵、そして緑豊かな山々、こんな平和な時間がいつまでも続けばよいのに、そんなことをぼんやりと脳裏に浮かべながら、馬で並走するレオンをふと眺める。


 (優秀な行政官、だが、軍馬に乗り慣れている)


 腰に佩いた剣には、先日、エリザベートが贈った魔素石が嵌められている。

 馬の歩みに合わせて動くそれは、春の陽光を受け翠色に煌めいていた。


 どれくらい眺めていたのだろうか。レオンの後ろに同乗していたリオが、背伸びをしてレオンの耳元に何かを囁いた。

 穏やかな笑みを浮かべて振り返ったレオンの漆黒の瞳が、エリザベートの蒼い瞳に映る──なぜか勢いよく視線を切ったエリザベートは、慌ててシエルに話し掛け始めた。胸の奥が、理由もなくざわついた。


 こんな感情を抱くのは、いつ以来だろう──エリザベート自身にも分からなかった。


 不思議そうに視線を戻すレオンを視界の端にとらえた彼女の濃紅の髪が、草原を駆ける風に煽られて後ろへ流れ、美貌の横顔があらわになる。

 その耳は、恥じらいでほんのり赤く染まり、濃紅の髪色を映したように見えた。



 砦という名の小屋から半日と少し。

 縮んでいくばかりだった影が伸び始めた頃、ちょっとした丘を越えたその先に、小川と村が見えてきた。

 

 少し高台になった丘陵から見るその村は、陽光を映す小さな湖とそれを囲むように生い茂る林のそばにあった。

 魔素が薄いからか、土地が瘦せているからなのか、魔獣や大型の獣が少ないこの土地でさえ、村は頑丈な塀と柵で囲われている。それが辺境で生きるということなのだ。


 辺境にあるフォルスワーグ領の中でも、最西端に位置するカウム村は、特に質素な村だ。


 村人の多くが従事している産業は、羊の牧畜を中心とした畜産業と山肌に点在する岩塩の採取だが、特に主産業となっている羊が十分に育っていない現状がある。

 また、木材となる豊かな森には恵まれず、家々は石積みと泥壁で作られることが多い。

 屋根の藁は色褪せ、風が吹くたびに軋むように揺れている。


 痩せた牧羊犬。

 粗末な服に身を包んだ子供たち。

 擦り切れた外套。

 豊かさへの渇望に乏しく、村全体に現状維持で、このままで、といった諦めの空気が染みついていた。


 村のすぐ近くまで進むと、駐屯している兵士の一人が門番として立っていた。


 レオンが身分を示す証明書を提示すると、機敏な動きで門を開け、丁寧な態度で一行を中に招き入れる。

 馬車の中のエリザベートは、外套に付いたフードを深くかぶり直し、おとなしく文官のふりをしていた。たぶん、サラを真似ているつもりなのだろう。


 あまり活気のない静かな村内を、状況を把握するためにゆっくりと進む。

 静かすぎた。

 人の気配はあるのに、どこか張り詰めた空気が漂っている。

 村人たちの視線は、一行を見てもすぐに逸らされた。


 村の広場では、羊舎から出てきた十数頭の羊が囲いの中で草を食んでいた。

 だが、毛並みが悪い。

 脂肪が少ない。

 仔羊も小さい。


 レオンはリオに馬の手綱を預けると、囲いの前へしゃがみ込み、一頭の仔羊の顎下へ手を添えた。


 軽い。

 骨が浮いている。


「そいつは、夏まで持たねえだろうな」

 後ろから声がした。


 振り返ると、大柄な男が立っていた。

 日に焼けた顔。

 深い皺。

 羊毛でできた年季の入った外套。

 腕は太いが、身体は痩せている。


 彼の名はハインと言う。

 カウム村で最も大きな羊群を持つ牧舎頭だった。


「毎年、減るんだ」

 ハインは、愛おしそうに悔しそうに羊を見ながら言う。


「春には仔が生まれる」

「だが夏の真っ盛りに死ぬんだ」


 母親の栄養状態が悪く、満足に乳が出せない状態で育った仔羊は、体力がない。

育ちの悪い羊は、自分で草を食む力が弱く、夏の酷暑を超える体力がつかない。


「だからさ、結局、増えねぇんだよ」

 その声には疲労が滲んでいた。淡々とした言葉の中には諦めの色があった。


 彼らは、彼女たちは、そして家畜たちは、何年、何回繰り返してきたのだろうか。

 頑張っても豊かにならない生活を。



 レオンは、牧舎頭のハインに身分を明かして今回訪問した趣旨を説明すると、明朝、この広場に主だった村のメンバーを集めてもらうようお願いする。

 フォルスワーグの最西端にあるこのカウム村でも、エリザベート様の補佐役に就任したレオンの名前は、魔獣討伐での雄姿とともに噂になっているらしく、拍子抜けするほどの快諾だった。


 ハインの後ろ姿を見送ったレオンは、馬車の中にいる美貌の上司に状況を報告すると、馬にまたがって進み出す。オスカーが御者席から軽く鞭を入れて、後を追う。

 今日もずっと馬車に閉じ込められていた女性陣二人のためにもと、気持ち急ぎながら、エリザベートの指示に従って村の中央にある代官屋敷を目指す。


 前の領主の時代、八年前まで常駐の代官とその家族が住んでいた屋敷は、質素ではあるが、この村には珍しく木材だけで作られていた。

 今でも、村人や兵士たちによって定期的に維持管理だけはされている屋敷は、意外にも清潔で傷みが少なく、領主はともかく、文官とその護衛の宿としては十分機能した。

 「明日からが本番です。今日はお疲れでしょうから、ゆっくり休んでください」

 オスカーとシエル、そしてリオに、食事や滞在の準備、そして文官のふりをした領主様のことをお願いしたレオンは一人、この土地をもう一度見るために馬へとまたがった。


 傾き始めた陽が、西にある山地の端にかかり始めている。

 長く伸びた影が湖に落ち、山から吹き下ろす風が、水面をなでる。

 遮るものが少ない草原と荒野を吹き抜ける風音が、耳元に鳴り響く。

 

 レオンは、馬上から草原と荒野を見渡していた。

 馬をだく足で走らせながら、周囲を観察し、止まり、測り、いつもの少し装丁が豪華な帳面に記録して、また走らせる。


 草の種類、土の硬さ、風の向き。

 レオンの視線は、村人が気にも留めない細部を正確に拾い上げていく。

 行政官というより、まるで熟練の開拓者のようだった。


 土地自体は広い。

 問題は、“使い方”だった。


 今の村のやり方は、羊を好き勝手に放しているだけだ。

 羊は、自分たちの縄張りを作り、結果、同じ場所ばかりが食い荒らされる。


 草が育たない。いや、雑草は育つが、牧草が育たない。

 地面が痩せる。

 同じ場所ばかり踏み固められ、牧草よりも生命力が豊かな雑草ばかりがさらに増える。


 夏の暑さを乗り越えたとしても、次は冬の寒さに耐えられない。

 放牧ができない冬は羊舎で過ごすことになるが、その冬を越すだけの飼料がそもそも確保できない。

 そして、羊や家畜たちは、また死んでいく。


 まさに悪循環だった。

 レオンは、乾いた風の中で小さく息を吐いた。

 この村を変えるには、まずこの連鎖を断ち切らねばならない。

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