第27話 荒野に吹く春風
領都の西には荒野が広がっている。
フォルスワーグ領の東の端には、北の山々から染み出す雪解け水を束ねた大河が横たわり、隣領との境界線となっている。
一方、領都の西側には大きな川がなく、木々も森というにはこじんまりとした林が所々にあるだけで、草原と荒地が継ぎはぎのように広がっている。
フォルスワーグ領の西の端、北の山脈より低い山地の麓、そこに広がる湖のほとりに”カウム村”がある。
領都からカウム村へと続く道は、整備されているとは言い難いものの、元々、植物があまり育たない砂地部分を踏み固めて作られているため、一日数往復する荷馬車や警戒する兵士たちの往復には、それほどの支障は出ていない。
その道を、一組の集団が進んでいる。
馬車が一台と軍馬が一頭、馬車には男性の御者が一人と車内に女性が二人、並走する馬には男性と一回り小さな少年が乗っている。
湖畔の村へと続く道には、春の朝を迎えた山風が吹き抜けていた。
整備が進んだ南部の街道とは違い、馬車の車輪が小さな石へ乗り上げるたびに小刻みに揺れ、乾いた土埃が後ろへ細く流れていく。
だが、その荒涼とした景色には独特の美しさがあった。
低く波打つ草花。
その向こうに広がるどこまでも続く丘陵。
遠く連なる緑と黒が混ざり合った山脈。
風が吹くたび、草は湖面のように揺れ、朝露が陽光を反射して銀色に煌めく。
この土地は痩せ、わずかな川が細く流れるだけだ。
農耕には向かない。
だが──
(だからこそ、使い道がある)
痩せた土地は、逆に言えば奪い合う価値がない。
だからこそ、工夫次第で領の負担を減らし、新たな収益源に変えられる余地がある──レオンはそう読んでいた。
レオンは馬上で、静かにその可能性を思い描いていた。
⸻
領都から村へは、騎乗しての移動でない限り、片道二日かかる。
荷馬車や徒歩での旅程では、どうしても野営を一日挟むことになるため、途中の小川のほとりにある小屋の近くで一夜を明かすのが定番になっている。
なぜなら、そこが一番安全だからだ。
魔獣や獣が跋扈する辺境領において、安全な場所は貴重で限られる。
哨戒の兵士が交代で詰める砦とは名ばかりのその小屋は、周囲をぐるりと木柵と木塀で囲まれていて、いざという時のための野営地として整備されていた。
数十人が野営できる広場は、数台の荷馬車と旅人たちが安全に一夜を過ごすには十分な広さがあり、厳重に荷などを検められた後、領民や商人たちにも使用が許可されているのだ。
黄昏、誰そ彼、逢魔が時。
青と橙、赤と紫、そして黒、空が様々な色を織りなす数少ない時刻。
その中で、野営の準備を始めようとしているのは、先ほどの一組の集団だけ。
騎乗していたレオンとその後ろにいたリオ、御者をしていたオスカー、そして馬車の中から出てきたのは、シエルと…サラによく似た文官の恰好をしたエリザベートだった。
「エリザベート様、ガレス隊長がめちゃくちゃ不機嫌で、先輩たちがすっごく困ってたんですが…」
茨の聖域という義賊集団の中で、最年少だったリオが緊張した空気に耐えかねたのか、明るい声で話しかける。
「領主が最側近である補佐役の仕事ぶりを視察することに、何の問題があるんだ」
エリザベートは、羽織っていた上着のフードを脱ぐと、露わになった美貌に蒼い瞳を煌めかせる。
「留守番させられたのが悔しいだけなのだから、放っておけばよい」
春の冷たい夜風が通り抜けるたびに、濃紅の艶やかな長髪が揺れる。
「そのせいで、私たちが護衛役として付いて行かされることになったんですが…」
短く切り揃えた、透き通るような銀髪のシエルが、少し不服そうに愚痴る。
口調は不服そうなのに、表情が柔らかいのは、茨の聖域で副官として仕えたオスカーが一緒の任務だからだろうか。
レオンは、不器用ながら打ち解けようと言葉を重ねる三人のやり取りを優しく見つめながら、珍しく困惑した口調で呟いた。
「どうして、こんなことになったのでしょうか」
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強く気高い美貌の領主として、領民から畏れ慕われているエリザベートの我儘、それは鉱山改革の報告を行った、あの晩に始まった。
「ガレスもサラもドーガンでさえ、お前の街道整備や鉱山改革に携わったというではないか」
「領主たる私が、補佐役であるレオンの仕事ぶりを間近で見ていないのは、上司として怠慢と言えよう」
「次の改革は何をするのだ。必ず連れて行くように」
その声音には、領主としての責務だけでなく、レオンが自分の知らぬところで領を変えていくことへの、わずかな置いていかれたような感情が滲んでいた。
少し酔っぱらった一つ年上の領主の珍しい我儘に、酔った勢いもあって押し切られてしまったレオンは、彼女の御守役を自負する騎士隊長ガレスの許可さえあれば良いですよと丸投げし、あの日、執務室をどうにか辞したのだった。
翌朝、再び領主館に呼び出されたレオンは、苦虫を噛み潰したような顔のガレスに、親の仇と言わんばかりに睨みつけられながら、許可が出たぞ、と当たり前のように言い放つ美貌の領主を見ることになる。
「……お嬢様。その無茶を止めるのが私の仕事ですが、行くというなら道を作るのも私の役目です」
言葉とは裏腹に、普段は落ち着きのある深緑の瞳が、鋭く光る。
「もちろん私も行きます。よろしいで…」
「駄目に決まってるだろ。ガレス、お前が私の留守を守らずして、誰が領都を護るのだ」
エリザベートの端正な唇から間髪入れずに否定され、ガレスの握りしめられた拳が小刻みに震える。
目の前にいる美しい領主を、幼き頃から常に支えてきた鈍い銀髪の騎士隊長は、大きな溜め息とともに天井を見上げると、こればかりは譲れないと護衛の人選について、敬愛するお嬢様と話し始める。
「まず……」
レオンは、その間、何も口を挟むことができなかった。いや、そもそもできる空気ではなかったのだから、仕方がない。
⸻
「で、私たちが護衛兼エリザベート様のお世話係として呼ばれたわけですか……」
レオンと野営の準備をしながら、事の顛末を知ったオスカーが嘆息する。
深い灰色の瞳に、白髪の混じり始めた黒髪。
威圧感よりも「揺るぎない壁」のような安心感を与える、がっしりとした体格。
そして、正規の訓練を受けていたことが一目で分かる身のこなし──
この領で最強を決めるなら、彼かガレスしか候補はいない。
「で、エリザベート様の身の回りの世話ができ、いつでも側に仕えることが可能な元貴族で女性のシエル、小間使いとして動きが軽く融通が利くリオですか……、理にはかなっていますね」
塀の外では、絶えず風が草を揺らす。音が鳴る。荒野の風は冷たいながらも、微かに春の陽気が混ざっている気がした。
二人の女性と一人の少年が、楽しそうに親睦を深めていく様子を横目に、二人の男性はこの先の村で予想される困難を目で共有しつつ、野営の準備を進めていく。できる男たちは、余計な無駄口を叩く危険性を熟知しているのだ。
いつの間にか、空の色は紫と黒だけになり、星が幾つか瞬き始める。
西の空に僅かに残る濃い赤色が、明日の晴れを予感させる。
美しい空の色が、レオンには領主の艶やかな髪に重なって見えた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今話から「第五章:風鳴りの村」が始まります。
フォルスワーグ領の西の端にある新たな舞台で描かれる物語を、
これからも楽しんでいただければ幸いです。
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反応をいただけることが、作者にとっては本当に大きな励みです。
レオンとエリザベートの旅路を、今後とも温かく見守っていただければ嬉しく思います。
※本作は、カクヨム様にて先行投稿しております。
続きが気になる方は、ご確認いただけますと幸いです。




