9 怪談
不意に、神々の存在――
神気が大気に揺らぎ、満たされた。
ひとつ。
――女神は記憶を取り戻せぬままだ。
再びひとつ。
――黄泉返りしたから、記憶は失われたようだ。
もうひとつ。
――我々の神気に触れても、思い出さぬところを見ると、そのようだな。
またひとつ。
――案ずるな。男神と交合えば、いずれ記憶も戻るだろう。
それとともに、我らの神威も完全に甦る。
さらにひとつ。
――戻らなければ?
重ねてひとつ。
――それでも、我々の大事な命であることは間違いない。
あらゆるひとつが呼応した。
――違いない。
神々の神気が次々と増える。
女神と男神の帰還により、
様々な神々が目覚め始めた。
神気が揺らぐ。
神威が満ちる。
――豊葦原の中つ国に黄泉の気配がする。
――我々の領界に、黄泉神々が入り込んだ。
――高天原の気配もだ。
――天津神々の気配は未だわずかだ。
神代のとおり、天津神々は最後だ。
それよりも、黄泉神々に気をつけろ。
奴らは再び女神を狙う。
――今度こそ、奪われてはならぬ。
――我らの命を、今度こそ護るのだ。
――女神の記憶と神威が戻るまで、決して黄泉神々を近づけてはならぬ。
言霊が響く。
不完全な神気が揺らめく。
神威が再び大気に満ちて散った。
後には密やかな沈黙のみ――
ちょうど学生には昼休みに当たる時間、
莉子が突然思い出したように声を潜めて言い出した。
「知ってる? 美咲先生。今、校内でお化けが出るんだよ~」
「お化け? まさか」
「本当だよぅ。
学校の七不思議の一つにあるよ。
ずっと昔、旧校舎だった頃、
プールで溺れて死んじゃった男子生徒の幽霊」
「――それ、どこの学校にでもある作り話じゃない?」
「違う違う、うちのはホンモノ。
足引っ張って溺れさせた友達を探してるんだって。
朝来たら机と椅子がプールの水で濡れてるって。
ちょーこわ~い」
「だから、暗くなったら校舎に残ってちゃだめだよ」
美里がさらに付け足す。
「普通棟は4階まで来たらしいから、次は特別棟だよ。
図書館は普通棟と特別棟の渡り廊下だから、
特別棟が終わったら、来るかも。
塩素の臭いしたらすぐ逃げてよ」
美里の低い声は、十分に怖さを醸し出していた。
「怖いの嫌いなのに、そんな話しないでよ」
莉子が美咲の腕にしがみつく。
「あたし達もきらーい。
でも、何でか、こーいう話はみんなとしたくなっちゃうんだ」
今時の女子高生はこんなに人懐こいものなのだろうか。
戸惑いながらも懐かれて嫌な気分はしない。
妹がいたらこんなものなのかと、
美咲は女子生徒の好きにさせていた。
「はいはい、噂話はここまで。
本を借りたら速やかに戻るか、静かに読んでいきなさい」
司書教諭の山中がひょっこりとカウンター奥の
事務室兼図書準備室から顔を出す。
「はぁーい」
「美咲先生、またね~」
ひらひらと手を振って、
二人は校舎へと向かう渡り廊下へと消えていった。
「すみません、山中先生。
うるさくしてしまって」
「いいのいいの。
あの子達はただ、じゃれたいだけなんだから。
藤堂さんが本を薦めてくれたおかげで大分落ち着いたわ。
これからもお願いね。
うるさいけど、根はいい子達だから相手をしてあげて」
「は、はい」
「それより、藤堂さん、書庫から資料を探してきてくれる?
ここにメモしてあるから」
「はい」
「量が多いから助っ人を――お、タイミングいいな。
時枝君、手伝いよろしく」
「いいですよ」
返却本を書架へ返し終わり、
戻ってきた慎也が山中からメモを受け取る。
「これ見つけてくればいいんだね」
「そう。
藤堂さん一人だと時間かかるから、二人でよろしく。
二人なら三十分ぐらいで終わるでしょ。
昼休み終わるまでにはできるよね」
「了解」
カウンター奥の引き戸を開けると、美咲を待つ。
「どうぞ、美咲さん」
「どうも――」
視線を合わせないよう美咲はさっさと書庫に入る。
引き戸が閉められると、
階段を上るところで慎也が後ろに追いついた。
「何か、モテモテだね、美咲さん」
少し面白くなさそうに慎也が呟く。
「ちょっとおしゃべりしてただけよ」
「だって、俺が話しかけると人目を気にしてそっけないくせに、
他の奴らだと態度が違うじゃない。
そんなんだと、かえってばれると思うけど」
階段を上りきった所で美咲は振り返った。
「そんなにあからさま?」
「めちゃくちゃあからさま。鈍い奴でも気づくよ」
肩を竦めて、慎也は吐息混じりに答える。
「だから、もう少し俺にも話しかけてよ」
「む、無理よ。今だって、精一杯なのに」
慎也を見ると、目を離せなくなるのは自分のほうだ。
目が合うと胸が高鳴る。
熱を帯びた視線が自分に向けられるのがすぐにわかるからだ。
軽く溜息をつくと、慎也は階段を一歩上がって距離を詰める。
美咲の顔を下から覗き込んで言う。
「ちなみに、うちの学校の七不思議って、
本物らしいよ」
「嘘っ!?」
「ホント。
肖像画の音楽家の目が動くとか、
誰もいない体育館でボール突く音とかって、
ありきたりな話じゃないし。
この学校、校舎自体は新しいけど、
旧校舎を順に改築していったから、
そのままの敷地だし、
昔の間取りも変えてないしね」
美咲も、この学校の七不思議なら
すでに聞いて知っていた。
学校にはこの手の怪談はつきものだ。
特別棟三階の踊り場。
講堂。
グラウンド手前の桜の木の下の芝生。
職員室隣の金庫室。
普通棟から続く体育館への渡り廊下。
プール。
そして、図書館の書庫。
これら全てにいわくつきの怪談話が伴っている。
確かに、この書庫も、古い造りだ。
静まりかえった書庫に漂うひんやりとした空気。
背筋がぞくぞくする。
「そんなこと言われたら、
次から一人でここ来れないじゃない!」
「いいよ。
ここには、俺がいつもついてくから」
笑いながら、階段を登りきると、
慎也は美咲の手を優しく取る。
まっすぐ進んでから右に曲がり、
美咲を壁側に隠すように引き寄せ、
優しく抱きしめた。




