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高天原異聞 ~女神の言伝~  作者: ラサ
第一章 甦神ーよみがえる神々ー

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10/55

10 異感



 慎也は背が高いので、

 抱きしめられると美咲は簡単にその胸におさまってしまう。


 怪談噺の流れで、抱きしめられて安堵はできるが、

 こんなことをしている場合ではない。


「ちょっと、だめ、資料を探さないと」


 離れようとしても、慎也は動かない。


「五分もかからずに探せるよ。

 だって、去年と同じだから、その資料。

 山中先生は忘れてるけど、俺が探したんだよ、それ。

 去年も、一昨年も」


「え?」


 いきなり慎也が美咲を持ち上げて、

 壁際の低い書架の上に座らせる。


「しばらくは二人きりだ。誰にも邪魔されない」


 そうして、目線の高くなった美咲を隠すように抱きしめた。


「――」


 慎也に抱きしめられると、

 心ではだめだと思おうとしても

 身体のほうが正直に反応してしまう。


 まるで、そうすることが当然のように、抵抗できない。


 大学生だったときに、

 酔っぱらった男友達に迫られて

 無理やり抱きしめられそうになったことはあったが、

 その時とは全く違う。


 多分、慎也だけだ。


 こんなにもしっくりくるのは。


 服越しの体温に触れるといつも、

 泣きたいほど心が震える。


 まるで細胞全てが喜んでいるように反応してしまう。


 自分の鼓動の速さだけが響く。


 それでも、嬉しかった。


 肩にまわった腕で、

 自分も優しく慎也を抱きしめる。


 いつもは背中にしかまわらない腕が、

 首まわりにあるのが新鮮だった。


 身体の力がすっかり抜けたところで、

 抱きしめて動かなかった慎也の指先が

 美咲の背中をゆっくり下りる。


「……え……?」


 咄嗟に漏れた声。


 それでも、慎也は手を止めない。


 背中を優しく動く指先に、

 身体が震える。


 美咲の意識が背中に集中した。


 いつもとは違う慎也の行動に、

 いたたまれない羞恥と

 ほんの少し、不安が頭をよぎる。


 だが、その不安を呼び水に、

 突如湧き上がる未知の感覚に、

 熱が冷えるように、

 我に返る。


「……」


 手を離して慎也から距離を離そうとするが、

 すでに壁際のため、うまくいかない。


 それでも、

 訳のわからない不安に駆られて、

 美咲は弱々しい抵抗を繰り返す。


「お願い……やめて……」


「――」


 涙声で訴える美咲に、慎也は身体を離す。


 しばらく美咲を見つめていたが、

 軽く息をついてさらに一歩下がった。


「――資料、見つけてくる。

 美咲さんはそこにいて」


 返事を待たずに、慎也は奥の書架へ向かう。


 美咲は何とか身体に力を入れて、書架から下りた。


 服や髪に乱れがないか手で触れて確かめる。

 だが、それ以上動くことはできず、

 慎也を待つしかなかった。


 今まで感じたことのない不安に、

 戸惑っていた。


 まるで自分のものではないように、

 突如湧き上がったあの感覚。


 自分だって付き合っている恋人同士が

 抱きしめ合うだけで満足するなんて

 思っているわけではない。


 慎也のことが好きだし、

 抱きしめ合う以上のこともしたいと思っている。


 さっきだって触れられて驚いたけれど、

 慎也の手はとても気持ちよかった。


 さすがに書庫でというのはありえないが、

 初めての相手が慎也なら、

 きっと後悔はしない。


 だが、その後に感じた不可解な感覚は、

 そういった現実のこととはまるで違う感覚だった。

 

 不安――というより、


 深い嘆き、

 絶望、

 恐怖、


 そういったものが入り混じったようで、

 それまでの温かな想いを全部かき消した。


 恋をすると、

 誰でもこんな風に感じるものなのだろうか。


 慎也と出逢ってから、

 確かに美咲の生活はがらりと変わってしまった。


 だが、それと同時に不可解なことも起こり始めた。


 自分のものではないような感情や感覚が、

 頻繁に湧き上がり、

 不安定になる。


 夜は夜で、不思議な夢を見る。


 映画でも見ているかのような、

 不思議な夢で、

 目覚めた後でもその余韻に戸惑う。



 どうしてこんなふうになったのだろう。



 いくら考えても、美咲にはわからなかった。





 最初に慎也が言ったように、

 山中の頼んだ資料は、

 慎也が5分もかからずに見つけてきた。


 かける言葉を探せずに、

 美咲は資料の半分を受け取った。


「――」


「ごめんね、美咲さん」


「え――?」


 慎也からの謝罪に、美咲は驚いて顔を上げた。


「まだ怒ってる?」


 美咲は慌てて首を振る。


 慎也のほうが怒っていると思っていたのだ。


 美咲がそう言うと、


「怒ってるっていうか――

 美咲さんじゃなくて自分に、呆れてた。

 我ながら、がっついてるなって」


 慎也は苦笑した。


「嫌がってる美咲さん、最高に可愛かった。

 続けたくなるほど」


 さらりと言われて、

 顔が赤くなるのが自分でもわかった。


「ど、どうしてそう言うこと口にするのよ!」


 慌てる美咲に、

 してやったりという顔で慎也は続ける。


「ちょっとした仕返し。

 だって、美咲さん、

 俺をアパートに入れてくれないし」


「それは――」


「一緒に帰るのも、いまだに嫌がるし」


「嫌なんじゃないわ、でも――」


「でも、内緒にしておきたいんだよね。

 年下の高校生と付き合ってるってばれたら困るから」


「――」


「内緒にするのは構わない。

 でも、卒業するまでおあずけっていうんなら、

 それは勘弁してほしい。

 そこまでは我慢できそうにないし、待ちたくない」


 最後の言葉は、おどけたようには聞こえなかった。


「――」


 昼休みの終わりを告げる予鈴の鐘の音が遠くに響いた。


「――先に戻ってるね。

 美咲さんはもう少ししたら出てきなよ。

 そんな顔で出て行ったら山中先生に疑われるよ」


 その言葉はいつものように少し軽めに聞こえて、

 幾分美咲はほっとした。


 一人書庫に取り残されて、考える。


 卒業まで。


 確かにそこまでは秘密にすると言ったが、

 自分だっておあずけなんてするつもりはない。


 けれど、

 自分の中の不可思議な感覚を、

 慎也に説明するのは難しかった。


 自分にだって説明がつかずに納得できていないものを、

 どうして慎也に説明できるだろう。


 大きく息をつくと、

 とりあえず美咲はこのことを考えるのをやめた。


 慎也に渡された資料を持って、出口へと向かう。


 気持ちを切り替えて仕事に戻る時間だった。




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