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高天原異聞 ~女神の言伝~  作者: ラサ
第一章 甦神ーよみがえる神々ー

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8 秘響



 二度の國産みが実を結ばなかったとき、

 男神と女神は大いなる意志を持つ、

 創めの独り神に(みことのり)を戴きに天へと戻った。


 天主たる造化三神は二柱の神の奏上を聞き、答える。


――女神から声をかけてはならぬ。


――言祝(ことほ)ぎは、男神からするものである。


――再び天の御柱(みはしら)から創めるがよい。



 神命に従いて、二柱の神は再び天降る。


 男神は右。

 女神は左。


 出逢った場所で、言祝ぎを。


 今度は、男神から。

 続いて、女神が。


 そして二柱の神は今一度互いの心を寄せ合った。


 二神の願いが一つに重なったとき、

 八尋殿(やひろどの)に美しき言霊が満ちた。


 女神のあえかな声が、

 大気を満たし、

 世界を満たす。


 その美しい響きに呼応し、

 次々と神々が生まれた。



 大八洲はあらゆる神々で満たされた。



 御所(みと)交合(まぐわ)いから生まれた神々は、

 緑の茂る豊葦原に降り、

 国津神々となった。


 彼らこそが、

 美しき豊葦原の中つ国となった。






 午後1時を過ぎて、

 カウンターに座りながら雑務をこなしていた美咲は、

 一般の利用者用玄関から初老の紳士が

 ゆっくりと杖をつきながら歩いてくるのに気づき、

 立ち上がった。


「こんにちは」


「斉藤さん、こんにちは」


 美咲は笑顔で挨拶を返す。


「今日のお勧めは、なにかあるかな?」


「残念ですが、今日はお求めの本がまだ返却されてません――

 そうだ、登山がお好きでしたよね、

 去年の暮れに入った山の写真集はどうですか?」


 斉藤はにっこり笑うと、


「ああ、それはいい。

 最近は足腰が弱ってしまって、

 山登りもできないからね。

 写真で満足することにするよ。

 いつもありがとう」


 頭を下げて、カウンターを一歩離れる。


「いえいえ。

 お求めの本は返却されたら、すぐご連絡しますね」


「そうしてください。では」


 再び会釈をして、

 斉藤はゆっくりと写真集のコーナーへと向かう。


 あいかわらず礼儀正しい紳士だ。


 仕立てのよい着古した上着も、杖も、

 上品さを際立たせている。


 この地域の利用者はみな人懐こいのか、

 気さくに美咲に話しかけてくる。


 利用者も今年になってから急激に増えたようで、

 美咲としてもたくさん本を借りに来てくれるのは嬉しかった。


 授業で利用されることもたまにあるが、

 この蔵書で、利用するのが学生だけでは惜しいと思っていただけに、

 毎日の一般の利用者と放課後の学生の学習室利用で、

 なかなかの盛況だ。


 斉藤のような、品のよい利用者はマナーも弁えていて、

 この図書館の利用者として文句の付け所がない。


 上機嫌で斉藤の後姿を見送る美咲に、


「美咲先生、ああいうおじいちゃんが趣味なんだ~」


 些か品のない言葉が聞こえた。


 声のほうに視線を向けると、

 この学校の女子生徒が二人、

 含みのある笑顔で美咲を見ていた。


 いつも本を借りに来る常連なので、

 美咲はとっくに名前を覚えていた。


 ショートカットの背の高いほうが坂上美里、

 美里よりも頭一つ分低い、

 セミロングでポニーテールのほうが吉原莉子だ。


 美里が腕組みをしてニヤニヤしている。


「若い男より、年上の男か。渋い趣味だな」


「すてきなおじいちゃんだもん、あたしもときめくかもぉ」


 茶化すように莉子が続ける。


「何莫迦なこと言ってるの。

 いつも利用してくださってる方よ。

 変なこと言わない」


「愛に歳の差は関係ないのだ」


「そうなのだぁ」


 さらにふざける二人に、美咲は呆れてしまう。


「そんなことより、本を返しに来たんじゃないの?」


「あ、そうそう」


 そう言われて、二人はようやく手に持っている本に気づいたようだ。


「これ返して、こっちは借りるね」


 そうして莉子が差し出したのは、

 女子高生が好きそうな今流行の恋愛小説だ。


 対する美里は、硬派な推理小説の続きだ。


「美咲先生のおススメ、ちょーおもしろかったw

 この作家の他のやつチャレンジするんだぁ」


「あたしも。シリーズ読破する」


「はいはい。ありがとう」


 うるさくならないように、

 お勧めの本談議に花を咲かせ、

 返却と貸し出しの処理をする頃には、

 斎藤も写真集を二冊抱えて戻ってきた。


 こちらも貸し出し処理をする。


「では」


 短く言って、斎藤は一般用の玄関から出て行った。


「あたしたちも行こう、莉子」


「うん。またね、美咲先生」


 美里と莉子も学生用の渡り廊下へと消える。


 ようやく、館内はいつもの静けさを湛え、

 静寂に、美咲は満足する。


 斎藤や美里、莉子と話すのは嫌ではない。


 だが、図書館という空間の静謐さをこよなく愛する美咲には、

 やはり、この静けさが心地よい。


 沈黙が、

 違和感なくなじむこの空間。


 厳かともいえるこの空間。


 静けさを満喫した美咲は、

 カウンターにたまった返却用の本を重ね持つ。


 すでに、誰もいない。


 山中はカウンター奥の司書室の扉を閉めて仕事中だ。


 近くの9類にまず、

 シリーズものを返却して、並びをそろえる。


 シリーズものの背表紙の

 秩序ある並びが戻ると嬉しい。


 カウンターに戻ると、今度は奥まった書架への返却だ。


 一気に重ねて持ち上げても、今日は視線は隠さない。


 重さも気になることなく、余裕だった。


 図書館の中心の大きな柱にまっすぐ向かい、左に沿って回る。


 その時。


「!?」


 いきなり柱の陰に誰かがいるのに気づいた。


 美咲は息を呑み、その人物にぶつかった本はバランスを崩した。


 落ちる――そう思った。


 けれど、落ちなかった。


 その人物が、美咲を支えながら

 本も受け止めてくれたからだ。


「大丈夫、美咲さん?」


「し、慎也くん?」


 見慣れた紺のネクタイが間近にある。


「美咲さんの静かな時間を邪魔しないようにこっそり見てた」


 最後の言葉が、胸の奥で小さく波紋を広げる。 


「本のせいで美咲さんが遠い」


 不満げな慎也の声ではっとする。

 誰もいないとはいえ、

 この体勢はだめだろう。


「何が遠いよ、離れて」


 今の体勢では抱き合っているようにしか見えない。 

 

「今離れたら、美咲さんの大事な本が落ちる」


 一瞬ためらったが、それとこれとは話が別である。


「落ちてもいいから、放して」


 間に本があるものの、誰がどう見ても

 まずいことは否定できない。


 ここで誰かが来たら――


 考えただけで血の気が引く。


 本を愛する美咲だが、今持っている本は

 床に落ちても被害は少ないと判断し、

 とにかく慎也から離れることを優先した。


「美咲さんらしくない」


「今、『らしさ』はどうでもいいの!」


「いいや。大事だ。

 俺は美咲さんの”美咲さんらしさ”が好きだから」


 顔を上げて離れるよう言おうとしたが、

 できなかった。


「――」


 美咲は額の生え際、前髪よりも少し上に、

 柔らかな温もりを感じた。


 それは、

 触れたというより、

 そっと置かれた “気配” のようだった。


 結局、本は思ったより音を立てずとも、

 美咲の手を離れ、床に落ちた――




「ホントに、もう――」


 最後の返却本を書架に戻すと、

 それまで無言だった美咲は

 振り返って慎也をにらんだ。


 気が済んだのか、

 あの後大人しく床に落ちた本を拾い、

 書架に戻すのを付き合ってくれた。

 

 終わった今、美咲の背後に控え、

 忠犬のように後ろをついて回っている。


「怒らないで、美咲さん」


 全く悪びれない慎也の態度に、

 何かダメージを与える言葉を探し、


「今度ふざけたら、一緒に帰るの禁止」


 短く言った。


 一矢報いたようで、

 慎也は急に真顔になった。


「もうふざけない」


 片手を上げて誓う。

 その仕草はどこか冗談めいていた。


「嘘っぽい」


 疑う美咲に、


「ホントだよ」


 今度は慎也が両手を上げる。


「大丈夫、信じて。

 ――美咲さんが忘れた頃にする」


 カチンとくる。


「――忘れないから!」





――男神と女神が心通わせた。


――寿ぎを。


――黄泉返りし女神とともに、男神もまた甦った。


――言褒ぎを。


――中つ国に男神と女神が還りこし、国津神々が(さき)わいでいる。


――言誉ぎを。


――神代の世界が甦る。


――言祝ぎを。


――美しき豊芦原の中つ国が甦る。


――言祝ぎを!





 大気が澄んだ音を響かせた。


 喜びに、世界が優しく震えた。


 美しい言霊が、神々の帰還を言祝ぐ。


 最初に目覚めたのは、水と風だった――





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