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高天原異聞 ~女神の言伝~  作者: ラサ
第七章 遠神ーとおつ神々ー

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10 十種



 朔が来た。


 死の力が満ちる。



 同時に死の神威が幽世(かくしよ)から現世(うつしよ)へと流れ込む。


 死神(ししん)が現世に還り越し、理が崩れる。


 現世が、闇の領界に侵食されつつある中、

 一際輝くのは、生の力に満ちた神器のみ。


 夜空の星のように、暗闇に輝く九つの煌めきは、

 神であれば誰でも感じ取れた。


 界を隔て、夜の食国に在る闇の主にさえ、それは感じられた。



「死の神威が、生の神威を越える。現世が、幽世となる」



 それは、夢の終わりだった。


 待ち望んでいたはずなのに、心は今も夢に囚われていた。


 それでも、往かねばならぬ。


 伊邪那美(いざなみ)を取り戻さねば。


 闇の主は、静かに、夜の領界から姿を消した。






 何かが窓を揺らす音で、咲耶比売(さくやひめ)は目を覚ました。


 辺りは闇に包まれていた。


 時計を視ると、まだ午後の三時過ぎだ。


 何故こんなに暗いのだろう。


 そして、この音は?


 風にしては、強すぎる。


「――」


 咲耶比売は時計とは反対の方向に首を巡らせ、


「!?」


 驚きに目を視張った。


 レースのカーテン越しの大きな窓は、

 張り付いたように闇に覆われていたのだ。


 それが、今にも窓ガラスを破り、

 部屋へなだれ込もうとガラスを揺らしていた。


 闇が押し寄せてくる。


 死が押し寄せる。


「……あぁ……」


 恐怖に、咲耶比売はベッドの上で後退った。


瓊瓊杵(ににぎ)様……瓊瓊杵様ぁ――――っ!!」


 愛しい夫の名を喚ぶ。


「咲耶!!」


 結界を越え、入ってきたのは瓊瓊杵だった。


「瓊瓊杵様っ!!」


 咲耶比売は愛しい夫に縋り付く。


「瓊瓊杵様、これは――」


「理が崩れた。幽世の神威が現世を覆い尽くしている。

 このままでは、現世の青人草は全て死に絶える」


 瓊瓊杵の言霊に、咲耶比売の容から、血の気がひいていく。


「死がやってきます――私を捕らえに」


「渡さぬ。今生では、決してそなたの手を放したりはせぬ。

 そなたも子も、この豊葦原も護ってみせる――」


 だが、天津神である瓊瓊杵の神威をもってしても、

 押し寄せる闇の神威は祓えない。


 何かが、闇に力を与えていた。


 現世はすでに強大な死の神威で覆われた。


 このままでは、豊葦原は失われてしまう。


「ああ……」


 瓊瓊杵の結界が揺らぐ。


 窓に、亀裂が入った。


 亀裂とともに、耳障りな音がした。


 そして、


「!?」


「きゃあぁぁぁぁ――――――!!」


 窓ガラスが粉々に砕け散り、同時に闇が部屋へとなだれ込んできた。






 図書館の外に出た荒ぶる神と国津神々達は、

 幽世の神威が、現世の領界を越えたことを悟った。


 高校の敷地内は、全て建速と国津神々達の結界で覆われていた。


 ドームのように半球の空間は、以前と何ら変わることのない景色だった。


 だが、本来なら星空が視えるはずの頭上は、

 真っ暗な闇に包まれていた。


 視えるべき星は、一つもない。


「神器が、神器を喚んでいます」


 宇受売(うずめ)が呟く。


 最後の神器を持つ天之宇受売には、

 闇の中でも一際輝くように在る神器の存在を感じ取っていた。


「最後の神器がこちらにあるのなら、

 死神は必ずこちらにやって来るはず。

 宇受売様、比礼(ひれ)をお護り下さい。

 死神を倒せば、神宝(かんだから)を取り戻すことはできましょう」


 荒ぶる神と宇受売が振り返る。


 背後には、静かな怒りを湛えた八塚(やつか)が立っていた。


「八塚」


「神器を取り戻すのです。一族の長たる私がやらねば」


「そなたは人だ。死神に真向かってはならん」


「無駄死にはしません。誓ったではありませんか。

 この命尽きるまで、お傍でお役に立つと」


「生きていなければ傍に在ることも、役に立つこともできん。

 そなたには、まだすべき事がある」


 八塚は空を仰いだ。


「感じます。神器が、近づいてきています。死神とともに」


建速(たけはや)!!」


 慎也の声に、その場の神々全てが視線を向ける。


 慎也は、胸を押さえて辛うじて立っている美咲を

 抱きしめるように支えていた。


「母上様!!」


「美咲、大丈夫か!?」


 慎也に支えられながら、

 美咲は駆け寄ってきた荒ぶる神の腕を掴む。


「建速……教えて。遠呂知(おろち)は、神去ったの?

 だから、黄泉返ったの……?」


「違う。黄泉返るなど、ありえん。遠呂知は、滅したのだ。

 神殺しの剣によって、その神霊(みたま)を滅ぼした。

 黄泉国へは逝けぬ。(みこと)がないのだから」


「……じゃあ、やっぱり……」


 美咲の瞳から涙が零れた。


「美咲、何を視た?」


「……建速……、あなた、知ってるの?

 櫛名田比売の……最初の子供は――」


「建速様!!」


 美咲の最後の言葉を遮ったのは、

 国津神達の敷いた結界の中に入ってきた瓊瓊杵と咲耶比売だった。


「瓊瓊杵、咲耶比売――」


 荒ぶる神の言霊をかき消すように、突如結界が耳障りな音を立てた。


「!?」


 それは、ガラスを擦るような不快な音だった。


 慎也と美咲には、黒板を爪でひっかいたような音に聞こえた。


「結界が――」


「建速様、我々の神威に勝る神威が、

 結界をこじ開けようとしています!!」


「瓊瓊杵、咲耶比売、下がれ!! 死神が来る!!」


 軋んだような、擦れるような、音だけが大きくなる。


「信じられぬ……我々国津神の結界を破るなど……」


 石楠(いわくす)久久能智(くくのち)が驚きとともに呟く。


「入れてやれ」


 荒ぶる神の言霊に、国津神達が目を瞠る。


「よ、よろしいのですか?」


「このままでは結界が壊れる。死神だけならどうとでもなる。

 宇受売、葺根(ふきね)、八塚、下がれ。神宝(かんだから)を護るのだ。

 死神と真向かうのは、我々国津神の役目だ」


「仰せの通りに――」


 宇受売が下がる。


 八塚も、不本意ながらも宇受売に従う。


 それを視届けて、葺根も下がった。


「入れるのは、死神のみ。それ以外は入れてはならぬ」


 逡巡したものの、国津神達は荒ぶる神の言霊に従う。


 皆が手を虚空に伸ばす。


 神気が揺らぎ、神威が満ちる。


 たくさんの神々の手から、神威が放たれた。


 その途端、耳障りな音が、ぴたりと止んだ。


 死の気配が、身近に感じられた。



――天津神よ……最後の神宝(かんだから)を、渡してもらおう



 結界の内に入り込んだ死神が、そう言った。






「あ、貴方様は――」



 山津見の国津神と天之葺根が、驚いたように、

 その死神を視据えていた。


 すでに死神は闇にその身を隠すことなく、

 紅い瞳と、麗しい(かんばせ)が誰の目にも明らかになっていた。


 荒ぶる神は、驚いてはいなかった。


 一切の感情を隠したまま、ただ、死神を視据えていた。


「た、建速様、あれはまさしく八島士奴美(やしまじぬみ)様。

 ですが、あの紅い瞳は――」


 訳もわからず、葺根が荒ぶる神を視やる。


「下がっていろ、葺根」


 その言霊に、葺根が従う。


 その前に、荒ぶる神が進み出る。


 死神である八島士奴美が神宝を護る葺根や宇受売、

 八塚に気づき、その前に立つ荒ぶる神と目合(まぐわ)う。



――父上……お久しゅうございます。

  今となっては、父上とお喚びするのも憚られますが……



「八島士奴美……何故だ?」



――死神となって、気づいたのです。

  私は、荒ぶる神の末ではないと。

  私は、八俣遠呂知(やまたのおろち)の末なのだと



 紅い瞳がその時だけ、悲しみに揺らいだ。



――母は、すでに遠呂知(おろち)に穢されていたのですね。

  そうして、私を身籠もった……



「そなたの母は知らなかった。最期まで、俺の子だと思っていた」



――いいえ。気づいていました



 静かに八島士奴美は告げた。



――必死で、その疑念を打ち消そうとなさっておいででしたが、

  心の何処かで気づいていたのです。

  だからこそ、私を遠ざけておられた



 八島士奴美は(わら)った。



――ですが、そのようなことはもうどうでもいいのです。

  私はただ、妻を取り戻したいだけです。

  そのために、この遠呂知(おろち)の血すらありがたいもの。

  このように、死神となってさえ、強大な力を手に入れられたのですから。

  本来豊葦原を治めるべき遠呂知の末が持つに相応しい神威です。

  私は、妻を取り戻し、豊葦原を治めて視せましょう。

  神宝をお渡しください。最後の一つです



神宝(かんだから)は渡せぬ。これは、死神には扱えぬ。

 八島士奴美。誰の血をひこうと、現世の理を覆す理由にはならぬ。

 豊葦原はすでに人間の領界であり、生者の領界でもある。

 そなたはもはや豊葦原には、関われぬ」



――だから、諦めろと?

  穢れた血を持つ私には、神宝(かんだから)を持つにも、

  咲耶比売を求めるにも相応しくないと



「そうではない。神宝(かんだから)は、天津神にしか扱えぬのだ。

 そなたが手に入れてもどうにもならぬ。

 そして、すでに木之花知流比売(このはなちるひめ)は――そなたの咲耶比売は存在せぬ。

 この世界の何処にも」



――そのようなこと、信じぬ!!



 死神の言霊が、大気を劈く。



――妻が戻るべき器が、そこにある。

  天津神の血をひく人間が、そこにいる。

  どうにもならぬわけがない。

  私は妻を取り戻す――誰にも邪魔はさせぬ!!



 八島士奴美の紅い瞳が、瓊瓊杵に寄り添う咲耶比売をとらえた。



――そなたは、我が妻ではない。

  姿や神気が同じでも、我が妻は独りだけ



「八島士奴美様……」


 咲耶比売の瞳から、涙が零れた。


 紅い瞳に視据えられ、夢で感じた愛おしさが募る。


 それは、この憑坐が覚えている姉の心の名残なのか。



――咲耶……我が妻よ。

  妹比売がこの憑坐から去れば、戻ってこられる。

  もうすぐだ……



 かつては木之花知流比売の憑坐だった坂崎綾(さかざきあや)に、

 八島士奴美は優しく語りかける。


 しかし、其処にはもう木之花知流比売はいない。


 (まが)神霊(みたま)の木之花知流比売は、

 神殺しの剣から放たれた浄化の炎に焼かれ、

 神去ることなく消滅したのだ。


「……いけませぬ、八島士奴美様。私が神去っても、姉は戻りませぬ」



――否、木之花咲耶比売はただ独り、我が妻のみ。

  本来豊葦原を治める者は私であり、その連れ合いは、姉比売なのだ。

  黄泉大神(よもつおおかみ)誓約(うけい)した。

  豊葦原を手にすれば、私の願いを叶えると



 死神の言霊に、荒ぶる神が鋭く言い放つ。


「八島士奴美。黄泉大神には、そなたの願いを叶えることはできぬ」



――十種の神宝(とくさのかんだから)があれば、我が妻の魂も戻る。

  私は、妻を取り戻す。その為に死神となったのだ。

  妹比売よ、そなたも死神であろう。

  ならば、おとなしく黄泉国へ返れ。

  姉を禍つ神霊へと変えたその罪を、黄泉国で償え



「!!」


 八島士奴美の言霊に、咲耶比売は蒼白となる。


 震える身体を瓊瓊杵命がきつく抱きしめる。


「八島士奴美殿、やめてくれ!! 咲耶が悪いのではない。

 全ては私の罪なのだ!!」



――ならば、もろともに、神去るがいい!!



 血のように(あか)い瞳が、二柱の神を視据える。



――そなたらの宿るその憑坐は、私と、妻のものだった。

  何故、今更現世に戻ってきたのだ。

  そなたらさえ戻らねば、我らは憑坐の中で、

  静かに、穏やかに、一緒にいられたのに。

  そなたらが祖神(おやがみ)とともに返ってきたために、

  私の咲耶はいなくなり、我らの憑坐までそなたらに奪われた



「!?」


 死神の告げる言霊が、瓊瓊杵と咲耶比売をさらに驚愕させた。


 坂崎綾だけでなく、その夫坂崎真尋(さかざきまひろ)にも、

 すでに神降りがなされていたのだ。


 禍つ神霊の木之花知流比売とその夫たる八島士奴美が。



――『木之花咲耶比売』は、本来我が妻となるべき定めだったのだ。

  そなたが、私達の運命をすり替えたのだ。

  豊葦原も、国津神も、我が妻も、全て奪ったではないか。

  私から、これ以上何を奪うつもりだ



「……八島士奴美殿……」


 返す言霊を失くし、

 瓊瓊杵と咲耶比売はただ立ちつくすしかなかった。


 全てを奪われた八島士奴美にそれ以上何を言えよう。


 愛しい(つい)(みこと)を取り戻したいと願う心を、十分に知っているのに。



 それを奪ったのが、他ならぬ自分達であったとは――



 燃えるような真紅の瞳に宿る憎しみの眼差しが、

 (かたき)である天孫(てんそん)日嗣(ひつぎ)と妹比売を強く射貫く。



――全て返してもらう。そなたらが奪った私の全て――

  私の愛した全てを、今日、此処で!






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