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高天原異聞 ~女神の言伝~  作者: ラサ
第六章 幸神ーさきわう神々ー

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7 不安


 二学期が始まって1週間後、

 慎也達3年生は修学旅行に行く準備でにわかに忙しくなった。


 私立なので、コースは3つに分かれる。

 北海道か、沖縄か、京都かだ。


 いずれも四泊五日で、

 慎也は最初行きたくないとごねた。


 勿論、美咲と離れるのが嫌だという理由で。


 だが、

 敢えて普通の高校生らしく過ごしてほしい美咲は行くよう勧めた。


 3年生の中には国津神(くにつかみ)憑坐(よりまし)もいる。


 山中を憑坐としている宇受売(うずめ)も今回は引率すると言うことで、

 渋々慎也は承諾した。


 宇受売の、何かあったら神威を使ってすぐに戻れる、

 という一言が決定打だったようだ。


 コースは一番近い京都を選んだ。


 建速(たけはや)葺根(ふきね)は美咲の傍で護るとのことだった。


 行きたくない反動からか、

 慎也は前日の月曜日まで美咲のアパートに泊まって、

 不本意そうな顔で葺根に送られていった。


 美咲も寂しいから、たくさんメールをくれと送り出した。


 慎也とは、毎日顔を合わせていたが、

 美咲が仕事中は慎也も授業があるので、逢うのはほとんどが放課後だった。


 だから、いつも通りなはずなのに、美咲はもう慎也が恋しかった。


 安全であるとはいえ、こんな風に離れたのは初めてのことだからだ。


 相変わらず国津神達が美咲の周りにいてくれ、

 今回は、朝から建速も傍にいてくれる。


 それでも、慎也に逢いたい自分は、きっとどこかおかしくなっている。


 いつもはバッグの中の携帯がポケットでメールの着信を告げる。


『逢いたい』


 開口一番のメールに、胸が熱くなる。


 自分も同じだ。


 スクロールすると、続きに笑ってしまう。


『高三で修学旅行って、うちの学校進学考えてないのかな。

 二年で終わらせといてくれれば良かったのに』


 慎也の言い分もわかる。


 大抵は受験生であるということを考慮して二年で行く高校が多いらしいのだ。


 美咲の高校も、確か二年生の時だった。


 苦肉の策か、ここでは京都コースは京大見学が予定されているらしいが、

 北海道と沖縄はそのような配慮がない。


 公立と違っていても、私立だからと格別変にも思わない。

 カリキュラムもかなり変わっているのが、この高校の特徴なのだから。


『受験生にも楽しみが必要なのかも。私も逢いたい』


 返信して、携帯をしまう。


 離れていても、想っていてくれる。


 そう感じると、寂しさも少しは紛れた。


「美咲」


 呼ばれて視線を向けると、

 読みかけの本から顔を上げて、荒ぶる神がこちらを見ていた。


 窓際にある閲覧用の長椅子に座る荒ぶる神は、

 長い足を組んでいて、見るからに絵になる。


「此処へ座れ、寂しいなら話し相手になる」


「――」


 美咲のことなどお見通しなようだ。


 神気を隠していても、建速は特別だ。


 建速が傍にいる限り、自分は安全なのだろう。


 美咲は素直に隣に座った。


 近くで見ると、ますます美しいなと思う。


「何を考えている?」


「建速のこと。建速は、したいこと、他にないの?」


「今している。美咲の傍にいる」


 なぜそんなことを聞くのかという顔で、建速が美咲を視つめる。


「俺達は、美咲の傍にいたいんだ。

 神代からの念願がようやく叶ったんだ。

 そう邪険にするな」


「そ、そうじゃなくてね」


「では、何だ。何が問題だ」


 荒ぶる神が読みかけの本を閉じる。


「こんなこと、いつまで続けるの?」


「いつまで? どういう意味だ」


黄泉神(よもつかみ)は、伊邪那美(いざなみ)を取り戻したがっているんでしょう?

 きっとまた、やってくる。

 天津神(あまつかみ)は、伊邪那岐(いざなぎ)だけを取り戻したいのよね」


「そして、俺達国津神はそれを許さない。

 黄泉神からも天津神からも、あんたと慎也を護る。

 終わりはない。俺達は、永遠に命在る限り、護り続ける。

 それだけだ」


「天に逆らえるの……?」


「天も間違う。

 母なる伊邪那美を豊葦原に取り戻すことで、

 俺達は過ぎ去った神代を再び喚び戻した。

 天津神には思いもつかなかっただろうな。

 彼らの世界は、閉じたままなんだ。だから、変化を好まない。

 天に在っては、変わらぬことが正しい理だからだ。

 豊葦原のように変わりゆく世界は、彼らには理解できないんだ。

 だが、俺にはわかる。

 神々が現象しない豊葦原が、どれほど寂しく、虚しいものか。

 唯独り取り残されて彷徨ってきた俺だからこそ。

 神々を取り戻した世界は美しい。

 全てのものに神が息づく世界は、あまりにも愛おしい。

 美咲、あんたは、全ての命の母なんだ。

 あんたがいなければ、俺達はこの豊葦原に、世界に、存在し得ない。

 だからこそ、生きて、此処に、この豊葦原に在ってほしい。

 それが、俺達の願いなんだ」


「でも、今の私は人間よ。記憶もない。いつか歳をとって死ぬわ」


「そうはならない。その前に、きっと記憶と神威を取り戻す」


「どうして、そんなことわかるの……?」


「咲耶比売が言っていた」


木之花咲耶比売(このはなさくやひめ)が?」


 胸の奥が、ざわりとする。


 自分の中にいたという木之花咲耶比売。

 伊邪那美が、黄泉国(よもつくに)で待ちこがれていた女神。


 彼女が神去って、黄泉路(よみじ)を降ったから、

 伊邪那美は現世へ返ることができたのだ。


 だが、本当に、待っていただけだったのか。

 ただ黙って、見ていただけなのか。

 

「伊邪那美は、豊葦原に、戻りたかっただけなのかしら?」


「それは、俺達にはわからん。

 咲耶比売は違うと言っていたが、それは、俺にはどうでもいいことだ。

 伊邪那美の傍らで、伊邪那美が記憶と神威を取り戻すまで護り続ける」


「どうして、そんなに、大切にしてくれるの……?

 神代では、建速は伊邪那美から産まれたわけじゃないのに」


「そうだ。俺達三貴神(さんきしん)は伊邪那美の(はら)から産まれたわけではない。

 だが、黄泉国の領界で、死神(ししん)となった伊邪那美と生神(いきがみ)であった伊邪那岐の

 交合(まぐわ)いから成りませることには変わりはない。

 死と生の強大な神威が、俺達を現象させたのだ。それもまた、(ことわり)なのだろう」


「理……」


「我々神が産まれた理由、神代が去った理由。

 伊邪那美が木之花咲耶比売を伴って黄泉返った理由、

 伊邪那岐が瓊瓊杵(ににぎ)とともに追った理由。

 そうして、再び豊葦原に神々が返った理由。

 それに伴い、引き離されていた神々の領界が再び交わった理由。

 それら全てが、伊邪那美に通じるんだ。

 母なる伊邪那美が始めたのなら、終わらせられるのも伊邪那美だけだ。

 俺達はそれに従う」


「その終わりが、どんな結果になっても?」


「ああ。それが、伊邪那美の意志なら」


 荒ぶる神の言霊に、美咲は身を震わせる。


 一体、伊邪那美は何を思って現世に黄泉返ったのか。


 伊邪那岐への思慕か。

 それとも憎しみ故か。


 夢で見た、神々を救うとは、どのような意味を持つのか。

 そして、全てが終わった後、何が残るのか。


「――咲耶比売と、話がしたい」


「わかった。午後でいいか」


「ええ」


「では、咲耶比売を()んでおこう。不安がるな」


「ええ……」


 豊葦原の神々の中で一番強いだろう建速。


 それなのに、美咲の感情は波のように揺れ、定まらない。


 慎也が傍にいないと、いつも自分は不安で、寂しくて、仕方がない。



 早く週末になればいいのに。



そう強く願った。






 準備室で昼食を食べ終え、カウンターに戻ると、

 すでに館内にはまばらに人がいた。


 その内の一人が、近づいてくる気配に、美咲は顔を上げた。


「あ、綾、さん……」


 長い髪を揺らして、歩いてくる女は坂崎綾(さかざきあや)――女神の憑坐だった。


「母上様――」


 その一瞬で、綾の身体から神気が揺らめくのか見えた。


 温かく穏やかな神気。

 それは、夢の中の女神と、同じものだった。


「木之花咲耶比売、ですか……?」


「はい、母上様」


 にっこりと咲う咲耶比売は、本当に美しかった。






 図書館の裏にある木陰のベンチで、

 美咲は綾――木之花咲耶比売と一緒に座った。


 校舎の反対側なので、カーテンに遮られた館内は見えず、

 こちらの様子も見えることはない。


 熱い日差しを遮る木々の葉が、風に優しく揺れる。


「お身体は、大事ないのですか?」


「え?」


 唐突な問いに、美咲は戸惑う。


「私が母上様のお身体から出た後のことを伺いました。

 父上様がいてくださって、本当にようございました」


「――」


 羞恥で顔が赤くなる。


 誰も彼もがみんな自分達のことを知っていて、

 いたたまれない。


 大らかなのはいいのだが、

 そこら辺のことは話題にしないでもらいたいのが美咲の本音だ。


 だが、咲耶比売は赤くなった美咲の心情を察してか、優しく言を継ぐ。


「母上様。お気になさらずに。

 我々神々は、人の理とは違う理で生きているのです。

 交合いに関して恥ずかしがる必要はございません。

 我々神々は父上様と母上様の交合いを何より尊びます。

 祖神様の産みの神威により、私達は産まれ、生かされているのですから」


 そうして、咲耶比売は白く美しい腕を上げた。


「ご覧ください。この美しい豊葦原を」


 咲耶比売の指し示す方へ視線を向けると、

 その先には青い空と流れる雲、図書館を囲む木々と、

 塀の向こうに小高い山の連なりが見える。


「この美しい世界全てが、父上様と母上様の交合いから産み出されたのです。

 別天神(ことあまつかみ)神代七代(かみよななよ)の他の神々も、

 父上様と母上様の偉大なる御業(みわざ)に敵うことはございません。

 その御業たる交合いを讃えこそすれ、蔑むものなど神々の中には在りますまい。

 貴女様は私達神々の母だけでなく、あらゆる命の母なのです」


「咲耶比売……」


 微咲(ほほえ)む咲耶比売は、美咲の記憶の中の綾とは違っていた。


 それでも、美咲を温かく包んでくれる思いは同じだった。


「私に尋ねたいことがあると、伺いましたが」


「――」


「何なりとお尋ねください。私が答えられることであれば」


「伊邪那美は、記憶も神威もなくすことなく、豊葦原に返りたかったから、

 あなたとともに、黄泉国を出たんですよね」


「さようでございます」


「でも、現世に戻っても、伊邪那美の記憶も神威も戻りません。

 私は何も思い出せないままです。

 なぜ、記憶が戻らないのか、咲耶比売はご存じですか?」


「建速様にもお話ししましたが、

 母上様の記憶が戻るのは、恐らく最後の(とき)でございましょう」


「最後の(とき)? それは何を指すのですか?

 黄泉国との決着がつくと言うことですか?

 それとも、人の世が終わって、再び神々の世になると言うことですか?

 こんなことが、いつまで続くんですか?」


「母上様……」


「伊邪那美は、ただ、伊邪那岐に逢いたかっただけなんでしょう?

 それだけなんでしょう?

 だから、こうして出逢えた今、このままで、

 終わりにしちゃいけないんですか?」


 咲耶比売は何も答えなかった。


 美咲は、頷いてほしかった。


 そうだと言ってくれれば、こんな不安は感じないで済む。


 だが、自分達が出逢ったことで、

 日常とかけ離れた大きな流れができてしまった。


 今が一番幸せなのに、同じ強さで、怖くて堪らない。


 この幸せが長く続かないことが怖くて堪らないのだ。



 一緒にいたいだけなのに。



 いつも、願いが叶わない不安に襲われる――





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