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高天原異聞 ~女神の言伝~  作者: ラサ
第五章 闇神ーよもつ神々ー

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4 帰願



――御子様、どちらにおわします?



 宇受売(うずめ)は、館の外を捜し回る。


 嫡妻(むかひめ)を喪ってからの日嗣の御子は、

 死神(ししん)のように虚ろだった。


 誤解により嫡妻を追い出して、その後すぐ神去られたと聞き、

 慌てて往って、(まが)神霊(みたま)の呪いをかけられ返ってきた。


 それから、

 日嗣の御子はこの館を出て、豊葦原を彷徨うようになった。


 まるで、嫡妻の姿を捜し回るかのように。


 ついこの間も、ふらりと出て往って、三日三晩戻らなかった。


 戻った時は、さらに(やつ)れ、絶望に満ちた眼差しが痛々しかった。


 このようにいなくなるのは、

 黄泉返る比売神を視逃すまいとしているのか。


 だが、すぐには戻って来るまい。


 黄泉の国は安息の国。


 死神も神霊を癒し、死の苦しみを和らげなければ。


 黄泉返るのはそれからとなろう。


 待ちきれぬ御子の気持ちは痛いほどにわかる。


 自分も、夫を喪ったから。


 待っていると言った神田比古は、海神によって殺された。


 国津神でありながら天津神に降った神田比古の随身(ずいしん)は、

 裏切りと視なされたのだ。


 自分のもとには、知らせだけ。


 別れさえ、言えなかった。


 じわりと滲んだ視界の先に、不意に日嗣の御子をとらえる。


――御子様!!


――宇受売か……


 虚ろな眼差しが宇受売を視つけ、

 よろめくようにこちらに向かってくる。


 腕を支えて、館へと連れ戻し、褥に入れる。


 抗うことなく大人しくされるがままの日嗣の御子に、

 ようやく、肩の力が抜けた。


 空を視据える瞳は静かで穏やかだった。


 今日は、何故か絶望を湛えた眼差しはなりを潜めている。



 今なら、この言霊も届くかも知れない。



 横たわる日嗣の御子に宇受売は静かに問いかける。


――何処へ往かれていたのですか?

  もう、供もつけずに出歩くのはおやめください。


――笠沙の岬に往ってきたのだ。そこで初めて咲耶と出逢った。

  一目で心を奪われた、美しい比売だった……


 うっとりと、夢視るように日嗣の御子は想い出を語る。


 心が、壊れかけていた。


 愛しい妻を死に追いやってしまったせいで。


 宇受売の瞳から、涙が零れる。


 あんなにも幸せそうに視えた御子の、今の姿を視るのは辛かった。


 どうして、こんなことになってしまったのだろう。


 天津神と国津神の恋は、幸福にはなれない定めなのか。


 だから、自分達は、対の命を喪ってしまったのか。


 禍つ神霊となった姉比売――木之花知流比売(このはなちるひめ)の禍つ言霊が、

 日嗣の御子にかけられた。


 呪いが日嗣の御子を蝕み、御子自身もそれを受け入れている。


 妻の不義を疑い、死に追いやった自分には相応しい末路とばかりに。


――御子様、お心を強くお持ちください。

  貴方様は天孫の日嗣で在らせられます。

  禍つ神霊の言霊など、天津神の御治(おち)の前には意味を成さぬのです。

  我々天津神には、無限の時がございます。嫡妻様を待つのです。

  きっと黄泉返って来られましょう。


――黄泉返りを……宇受売は、待つのか?


――私は、待ちます。神田比古はきっと黄泉返って来ます。

  誓ったのです、必ず、戻ると。

  そして、待っていると。


――宇受売らしい。そなたは、確かに待てる。


 日嗣の御子は、儚く咲った。


――だが、私は、待てない。


――御子様?


 空を視据える眼差しは、何かを決めてしまったようだった。


――待てないから、追いかける。


 そう言って咲って目を閉じた日嗣の御子は、それから間もなく神去った。


 残された三柱の御子の火遠理命(ほおりのみこと)が跡を継ぎ、

 確かに天孫の血は続いた。


 しかし、

 日嗣の御子が禍つ神霊の言霊を受け入れ、儚く神去ったように、

 日嗣の御子の末もまた、儚く神去る定めとなった。


 宇受売は、日嗣の御子が神去った後、

 火遠理命が豊葦原に君臨したのを視届け、去った。



 自分が愛した神々が、黄泉返ることを信じて――







 濃い闇の気配が徐々に肌を刺す。


 ねっとりと絡みつくような闇の気配だ。


「闇の神気が濃くなってきたな」


 神田比古が呟く。


「黄泉国が近いのか?」


「ああ。

 暗闇の回廊を抜けたから、すぐだ。

 あそこに視える大門が、黄泉国へ通じる門だ」


 神田比古が指さす先に、確かに大門がある。


 ようやくやってきた。


 闇の神気が包み込む、死者の国――黄泉国だ。


「建速様」


 宇受売が振り返る。


「ここは、生神(いきがみ)が入れぬ国。

 伊邪那岐の気配もこの門の向こうにはない」


 荒ぶる神が静かに目を閉じる。


「神威を使えば闇の主に気づかれる恐れもある、

 どうしたものか――」


 その時、大門が音もなく開いた。


「何者だ、生者が黄泉国の扉をくぐる事は許されぬ。

 疾く去れ」


 開いた門前に立っているのは、闇を身に纏う女神だった。


 闇にも劣らぬ漆黒の髪。


 切れ長の目の、瞳さえ闇色に満ちていた。


 闇色の衣と裳が、女神の白く滑らかな肌と美貌を際立たせる。


 それが、黄泉国の女神の姿だった。


 建速の隣にいた女神が音もなく前に歩みでる。


 そうして、闇を纏う女神に一礼する。


黄泉日狭女(よもつひさめ)殿、私を憶えておいでですか」


 名を呼ばれた女神は、

 訝しげに呼んだ女神を視やり、

 驚愕に一歩後ずさった。


「貴女様は――比売神様ではございませんか!?

 しかし、そのお身体は母上様のものではありませぬのか?

 密やかな、母上様の気配が致します」


「はい、かの女神はここに。

 黄泉国に入りたくないと仰せですので、

 私が代わりにお連れ致しました」


「比売神――? では、そなたは」


 荒ぶる神が続きを言う前に、

 一番最後にいた、闇山津見くらやまつみが走り出て、

 美咲の中の女神に跪く。


「ああ、やはり!!

 貴女様ですね。

 姉比売様は視誤ってなどいなかった。

 お捜ししておりました、妹比売様。

 我ら国津神の幸わい、木之花咲耶比売(このはなさくやひめ)様――!!」






 跪く国津神を懐かしそうに視つめながら、

 美咲の中の美しい比売神は言霊を紡ぐ。


「久しいわ、闇。皆はどうしていた?」


「山津見の国津神は皆、豊葦原にて目覚めました。

 姉比売様が、我らを豊葦原に留めおきくださったのです」


「お姉様が……禍つ神霊となってまで、私を思ってくださったのね」


 木之花咲耶比売が寂しげに咲う。


「比売様、何故に祖神(おやがみ)様のお身体にいらせられるのですか……?

 我らはずっと比売様をお捜し申していたのです。

 姉比売様は間違いないと仰いましたが、

 大山津見(おおやまつみ)様は比売様ではなく、

 祖神である伊邪那美(いざなみ)様の神気を強く感じておられたご様子。

 我らには深く感じ取れず惑うておりました」


「黄泉返りを拒む私を、祖神様がお救けしてくださったの。

 記憶も神威も無くさず、この黄泉国から出られるように」


 その言霊に、日狭女が驚く。


「なんと――では、遙か昔、

 ご一緒に黄泉国からお出になったのですか?」


「はい。

 女神様の神威により何も失わずに黄泉返る私の中に女神様は隠れ、

 誰にも知られぬように黄泉国から逃れました。

 黄泉返ってからは私が記憶と神威を封じた女神様の中に隠れ、

 おかげで只人として、視つかることなく今日まできました。

 女神に近い神々は女神の気配を感じ、

 私に近い神々は私の気配を感じるのでしょう。

 我が父大山津見命のように両方に近い神は両方を感じ取る――

 だから戸惑うのです」


 一つの身体に記憶も神威もなくさずに二柱の神が入る――


 そのようなことは本来できぬはず。


 だが、太古の女神――生と死を操る伊邪那美なら、できるのか。


 荒ぶる神は密かに微咲う。


「やってくれたな。通りで何処を探しても視つからぬはず」


 その言霊に、日狭女がはっと、荒ぶる神を視る。


「貴方様は……父上様の神霊を守護していた神威を感じます。

 もしや最後の貴神(うずみこ)ですか?」


「そうだ。奪われた伊邪那岐(いざなぎ)の神霊を取り戻しに来た。

 何処にいるか、そなたにはわかるか」


生神(いきがみ)は、たとえ神霊であっても、

 黄泉国へ入ることは叶いませぬ。

 恐らく、黄泉大神(よもつおおかみ)である主様が創る闇の異界へ

 姉比売様とともに囚われたのでしょう。

 我ら黄泉神であっても、

 主様の許しなくば入れぬ闇の檻――それが、闇の異界です」


 日狭女の言霊に、荒ぶる神が眉根を寄せる。


「そなたの主は今何処に」


「今は深き眠りに」


「――その間は、我らが何をしようとも気づかれぬか」


「さようにございます」


「では、その間に闇の異界の入口を探さねば。

 入り口さえ視つかれば、神威を使って開けて視せようぞ。

 葺根、慎也につけた俺の神威を追って往け」


「御意」


 葺根の密やかな神威が空間を歪め、姿が消える。


 闇の異界の入口を探すべく、空間を渡ったのだ。


 その場に残ったのは、

 道往神と宇受売、建速、慎也の身体を護る久久能智(くくのち)石楠(いわくす)

 闇山津見と木之花咲耶比売、そして、日狭女であった。


 暫しの沈黙の後に、

 日狭女が躊躇いながらも、木之花咲耶比売に告げる。


「母上様――いえ、比売神様、貴女様方が黄泉国を去ってから

 父上様が再びおいでになったのです。

 それも、まだうら若き天津神を伴って。

 かつての父上様のように、産褥で神去った妻を迎えに来たのだと」


「……え?」


 木之花咲耶比売の容が驚愕に色をなくす。


「あの方が……もしや、私を、迎えに……?」


「正しく、天孫の日嗣の御子です。

 貴女様を求めて、父上様とともにやって来たのです。

 すでに此処にはいないと知ると胸も裂けんばかりに嘆き、

 そのまま現世に戻って往かれました。

 以来、此処に来られた事はございません」


「お待ちください。あの方は、神去られたはず。

 それなのに、黄泉国に来られなかったのですか?」


「父上様同様、一度もこちらにはいらしておりませぬ。

 ですから、私は、貴女様方が黄泉国を出られたと同じ様に、

 なんらかの手妻で御子様も貴女様方を追いかけて往かれたと――」


 美咲の瞳から、美しい涙が零れる。


「ああ、瓊瓊杵(ににぎ)様……」


 木之花咲耶比売の密やかな言霊に、突如異変が起こる。


 久久能智に抱き上げられていた慎也が

 閉じられていた目を開ける。


 淡い神気とともに、力のない身体が目覚める。


「父上様!?」


 その言霊に驚いた石楠が駆け寄るが、

 慎也は久久能智の手を離れ、立ち上がる。


 久久能智が石楠を視やる。


「違う、石楠。神気が――」


 慎也がその身に纏う神気は、全く別の神のものだった。


 その神気に、驚いた宇受売が思わず跪く。

 傍らの神田比古も、跪いた。


 黄泉国に在っても神々しく眩い神気。


 それはかつて視知った、懐かしくも愛しい――


「御子様……?」


「宇受売、神田比古、久しいな……」


 それは、天孫の日嗣の御子の神気であった。





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