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高天原異聞 ~女神の言伝~  作者: ラサ
第四章 睡神ーまどろむ神々ー

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31/55

1 夢逢


「その服は却下だ」


 キッチンの明かりに照らされたまま。


 開口一番にそう告げられて、美咲は思わず自分の着ている服を見直した。


 動きやすい様にと選んだジャージ素材のデニムと

 Tシャツに七分丈の麻のジャケットの何が悪いのか。


「何がだめなの?」


 問われて建速はもう一度上から下まで美咲を眺め、首を横に振った。


「美咲らしくない。いつもの服装でいい」


「いつものって、スカートよ。何かあったとき困るんじゃ――」


「何かあっても、俺が護る。

 美咲はいつも通りの可愛らしい格好をしていろ。髪もだ」


 建速はきっぱりそう言うと、

 美咲が敢えて後ろで一括りに纏めたシュシュもとってしまった。


 肩に触れるくせのない髪がさらりと音を立てた。


「――あの、今から根の堅州国へ行くのよね?」


「そうだ」


「そこは、おしゃれして行く必要があるところなの?」


「ないが、俺が気に入らん。

 美咲はいつものように女らしい格好でいるところが似合うし、視たい」


「――」


 どんな理屈だと、美咲は呆れてしまう。


 これから行くところへの緊張感が萎えていくのを否めない。


「ああ、ミニスカートはよせ。膝が隠れる丈がいい。

 今時は少々恥じらいが足りない。

 誰の目にも裸に近い身体を晒すのは感心しない。

 ああいう姿は惚れた男にだけ視せればいい」


「ずいぶん古めかしいのね……」


 言ってから、美咲はその通りなのだと悟った。


 見かけだけは青年に見える建速も咲う。


「当たり前だ。いつから生きていると思っている」


 いつからなのだと聞いてみたい気もしたが、

 理解を超えた年数を真面目に言われても困るのでやめておく。


「――わかった。着替えるわ」


「ああ」


 諦めて息をつくと、美咲は部屋へ戻りクローゼットを開ける。

 いつも着ているスカートの中から膝丈のものを選ぶ。

 そうなるとトップスも替えねばならない。


 なぜこんな服選びをしているのかわからぬまま、美咲は軽く苛立つ。


 いっそ結婚式用のフォーマルドレスでも着てやろうかと思ったが、

 否定されなかったときが怖いのでやめた。


 結局、建速の望み通りに膝下丈まであるワンピースにサマーニットのボレロを合わせ、

 髪もサイドを後ろに持っていきバレッタで留める。


 鏡に映し出された姿は、

 今からショッピングかデートへでも行くような軽い装いだ。


 玄関で待っている建速の元へ向かうと、美咲を眺める建速は満足そうだ。


「これでいい?」


「上出来だ」


 靴を履こうという段階ではっとする。


「スニーカーは、勿論だめなのよね……」


「その服には似合わんだろう」


「……」


 言い返す言葉を探せずに、美咲はせめてもと思い、

 ヒールのそんなに高すぎず、足首にストラップのついたサンダルを選んだ。


 これならある程度走れる――そういう危機的状況があればの話だが。


 いや、あるのではないのか――?


 そんな美咲の思いを全く気にしていないふうに――実際気にしていないのだろう、


 建速はエスコートでもするかのように恭しく美咲を車の後部座席へと導いた。


 いつも運転役を務める男と、助手席にはコートのフードを被った女が乗っていた。


 車は緩やかにスタートし、

 すでに深夜を過ぎ、まばらな街灯以外の明かりは少ない。


 夜にあまり出歩くのを好まない美咲には馴染みのない景色だった。


「ねえ、建速?」


「何だ」


「どうやって根の堅州国へ行くの?」


 問う声音には不安が滲んでいたのだろうか、建速は優しく咲った。


「慎也が連れ去られた場所には、まだ紋様の名残が残っている。そこから追う。

 禍つ霊を追えば、慎也が連れ去られた場所へ直に往ける」


「ホントに、慎也くんに無事に逢える?」


「逢える。俺の守護がかかっているから、

 根の堅州国の誰も、慎也を傷つける事はできない。

 慎也の場所も、根の堅州国に入ればすぐわかる」


「――」


 建速には不可能など無いかのように自信たっぷりだ。


 なのに、なぜこんなに不安なのだろう。


 黄泉国に近いからか。


 限りなく死に近い国。

 生と死の狭間の国。


 かつて通り過ぎたというのに、記憶は全くない。


 ただ、不安と恐怖だけが沸き上がる。


 それでも、心のどこかが行かねばならないと叫んでいる。



――往って、終わりにしなければ……



 自分ではない誰かの声がしたような気がした。


 これは――伊邪那美(いざなみ)なのか。

 一体何を終わらせるというのか。


 わからないことだらけなのに、目の前の荒ぶる神は何にも動じない。


 自分に記憶さえあったら――そう思わずにはいられない。


 建速は八尋殿(やひろどの)で交合えば記憶は戻ると言っていたのに、

 結局は思い出せないままだ。


 伊邪那美は自分の意志で記憶を封じているのか。


 それとも、建速の言う通り、まだその時期ではないのか。


 もしかしたら、黄泉国に行けば記憶は戻るのか。


 仮定ばかりが頭を巡る。


「着いたぞ」


 建速の短い声にはっとする。


 車を降りると、そこは図書館の前だった。


 慎也が消えた芝生の辺りには何もない。


 道路に沿って置かれた水銀灯の明かりに、仄かに浮かび上がる手入れされた芝生。


 まるで、あの時見た光景が嘘のようだ。


 あれはまだ、昨日の事なのに。


 胸が痛む。

 大声で泣いてしまいたい。


「美咲――泣くな、大丈夫だ」


 優しい声がして、頭を撫でられる。


 泣かないようにぎゅっと目を閉じて、それから開いた。


「往けるか?」


「ええ」


 建速の伸ばした手をとる寸前。


「お待ちください!!」


 木々の間から凛とした声音が響く。


 建速の手が伸び、美咲の手を掴み、残りの距離を縮める。


 庇うように建速の腕の中へ美咲は入った。


 木々の間から現れた人物が二人、暗がりからゆっくりとこちらに近づいてくる。


「え?」


 水銀灯の明かりに照らし出された二人を見て、美咲は驚いた。


「美里さん、莉子さん……?」


 図書館の常連、美里と莉子は、美咲と建速の前に来るとすっと膝をついた。


 その所作は、優雅で美しかった。


 そして、制服を着ていようとも、

 いつものかしましい女子高生には見えない気配をまとわりつかせていた。


「我らは国津神。

 豊葦原の中つ国の忘れられた護り神です。久久能智(くくのち)でございます」


「女神をお護りするために参りました。我は鳥之石楠船(とりのいわくすぶね)


 凛と響く声音も、いつもの美里と莉子の声とは違って聞こえた。


「貴方様は、我らが女神のお味方ですか……」


 莉子の中にいる神が、縋るように建速を視た。


「敵ではない。女神を黄泉神には渡さん。言霊に誓う」


 最後の言霊に、ようやくほっとしたように緊張が解ける。


「すでに憑坐を視つけたか」


「はい。目覚めてすぐに。

 女神のお傍にいるには、女神の身近にいる者を選ぶがよいかと」


「そうだろうな。神霊しか持たぬ神々であれば、それは当然だ」


 建速は驚くことなく答える。


 美咲はただ呆然と建速と美里達の会話を聞いているしかない。


 何がどうなっているのか、さっぱりわからない。


 そんな美咲の内心の動揺を余所に、神々は全く動じていない。


「俺と葺根、宇受売の他に、久久能智、石楠か――美咲」


 呼ばれて、美咲ははっとする。


 コートのポケットから美しい曲玉と管玉の連なった首飾りを取り出し、

 建速は美咲にかけた。


「これは……?」


「曲玉に、風と水の神威が込めてある。名を呼べば、神威が解き放たれる」


「名前なんて、知らないわ」


「その時が来たら、わかる。神威が、伝えるだろう」


「――」


 納得できない美咲を視て、建速が咲う。


「後で説明してやる。今は大人しく従ってくれ。そろそろ往くぞ」


「恐れながら、根の堅州国への案内はこの私に」


 鳥之石楠船が名乗り出る。


「そうだな、そなたの神威が一番相応しい。禍つ霊と紋様の名残を追え」


「御意に」


 にこりと咲って、莉子が美咲を視る。


 よく知っているはずなのに別人のような莉子に、美咲は戸惑う。


「母上様、僭越ながら、この石楠が先導をつかまつります」


「は、はい。よろしくお願いします。ごめんなさい。記憶がなくて」


 慌ててお辞儀をする美咲に、莉子と美里が目を細めて(わら)う。


「神代の記憶がなくても、

 貴女様が私達にとって大事な方であることに代わりはありません」


 温かな神気が、自分を包み込む。

 懐かしさに、胸がつまる。


 知っている。

 この感覚だ。


 自分を助けてくれた神の気配だ。


「……ずっと、助けてくれた?」


「――はい」


「傍に、いてくれた」


 嬉しそうに莉子と美里の中にいる神が咲う。


「はい。いつも、お傍に」


 その美しい()みに、美咲は泣きたくなった。


「では、参ります。建速様、母上様をお願いします」


 その声とともに、莉子の身体から不可思議な揺らぎ――神気が立ち上る。


 建速が背後から美咲を抱きしめる。

 美咲は、思わずその腕に掴まる。


 莉子の伸ばした両手から解き放たれた神威が、

 芝生に薄墨のように残る紋様を浮かび上がらせた。


 同時に、紋様が芝生の中へと沈み込んでいく。


 美咲達の足下の地面の感覚がなくなった。


 ゆっくりと紋様のように沈み込んでいく。


「建速……」


「大丈夫だ。怖かったら目を閉じていろ」


 身体に回った腕が、しっかりと美咲を抱きしめる。


「……約束よ。何があっても、護って」


「言霊に誓う」


 揺らがない建速の声音に、美咲は目を閉じた。


 神威が満ちる――


 空間が揺らぎ。


 そして、戻ってきた静寂とともに、六つの人影は綺麗にその場から消えた。






「ついたぞ、美咲」


 背後から抱きしめていてくれた建速の腕から力が抜けた。


 美咲ははっと目を開けた。


 そして、言葉を失くした。


「――」


 そこは幻想的な美しさだった。


 夜なのに、ものの姿を隠さない。


 普通暗闇なら全てのものを覆い隠してしまうのに。


 浮かび上がるように濃い群青の闇の中、全てが見える。


 天にはぽっかりと月が浮いている。


 遠くには古めかしい館が見える。


「あれが、須勢理の館だ」


「あそこに、慎也くんが?」


「ああ。須勢理の結界があるから確かな場所はここからではわからんが――

 俺の神威は感じる。間違いなくあそこにはいる」


「じゃあ、早く行きましょう」


 歩き出してすぐ、美咲は奇妙な感覚に気づいた。


「――?」


 一歩進む毎に、重くのしかかるような違和感。


 水の中を歩くように、上手く身体が動かない。


「美咲?」


「建速様、母上様のご様子が」


 久久能智と石楠が美咲に駆け寄る。


 腕を支えられるが、徐々に脚に力が入らなくなってくる。


「どうした、美咲?」


 視下ろす建速に、久久能智と石楠の心配げな顔。


 それ以外、誰にも変化はない。


 この異変は美咲だけに起こっているらしい。


「誰も感じないの? こんな――息をするのも苦しいのに……」


 知っている、この気持ち――これは。



 愛しい人を()うる哀しみ。



 しかも、一つではない。


 (おびただ)しいほどの誰かを恋うるがゆえの哀しみが、あらゆる痛みが、

 押し寄せ、波立ち、美咲の内側に入り込んでくる。


 幸せなのに、哀しい。

 幸せなのに、苦しい。

 幸せなのに、虚しい。

 幸せなのに、切ない。

 幸せなのに、恋しい。


 たくさんの、相反する感情。


 止める術がない。


 だめだ――耐えられない。


「美咲!?」


「母上様!!」


 建速や久久能智と石楠の声が遠くなる――


 誰かを恋い焦がれる想いが、美咲を浸食していく。


 わかる。

 この気持ち。


 自分にも恋しい人がいるから。


 慎也くん。

 逢いたい。

 何処にいるの。


 美咲はただ、慎也を想った。



「美咲さん!?」



 名前を呼ばれて、美咲ははっと目を開けた。


 暗闇の中、横たわっている自分に気づき、慌てて上半身を起こす。


 同時に肩を引かれ振り返ると、慎也がいる。


「し――」


「美咲さん!!」


 名を呼ぶ前に呼ばれて、強く抱きしめられた。


 そのまま顔を上げると慎也の唇が美咲のそれを塞いだ。


 この感触。

 確かに慎也だ。


 泣きながら、美咲も応えた。


 長い長いくちづけの後、

 ようやく慎也が唇を離した時には美咲の涙も止まっていた。


 頬に伝う涙の跡を優しく拭われて、ようやく美咲は微笑うことができた。


「無事なの? 怪我してない?」


 頬に触れて確かめる。


「大丈夫。なんか、めちゃめちゃ怒ってる綺麗な女の人がいたけど、

 傷つけられたりはしてない。っていうか、できなかったみたいだ。

 傷つけようとしてもはじかれるとか騒いでたから」


 建速の守護だ。


 美咲はかいつまんで説明した。


 慎也は話を聞いてますます腑に落ちない様子を隠さなかった。


「日嗣の御子って瓊瓊杵命(ににぎのみこと)のことだろ? 俺のこと?

 だって、建速は俺を伊邪那岐だって言ったのに」


「私にもわからない。彼らは私のことも木之花咲耶比売だと思ってるみたい」


「くそっ、何がどうなってるんだか」


 乱暴に頭をかいてから、ふと、慎也は気づいたように美咲を見つめる。


「美咲さん、これって、夢だよね。夢なのに、美咲さんがリアル過ぎる」


「夢だけど、夢じゃない。迎えに来たのよ」


「迎えにって、ここに? 根の堅州国に?」


「そうよ。建速に連れてきてもらったの」


「危ないだろ!? 何でそんな――」


「離れたくなかったの。もう一日でも離れているのはいや。ずっと傍にいたい」


 縋るように身を寄せる美咲に、一瞬戸惑ったもののすぐに慎也は抱きしめ返す。


「美咲さん、それ、無事に帰ったら毎日言ってよ」


「言うから、ずっと一緒にいて……大好き」


「う、わ――すっごい嬉しい。ここが美咲さんのアパートなら、今すぐ押し倒したい」


 ぎゅっと強く抱きしめると、慎也は身体をほんの少し離して、美咲の顔を覗き込む。


「俺も大好きだ。美咲さんが俺を好きよりもずっとずっと、大好きだ」


 それ以上言葉を探せず、もう一度唇が重なる。


 互いの存在を確かめるように優しく、何度も何度もくちづける。


 幸福感に満たされた甘い触れ合いの中、

 不意に慎也が驚いたように美咲の肩を掴んだ。


「美咲さん、身体が、透けていく」


「え――?」


 驚いた美咲が自分の身体を見ると、確かに、身体に異変が起こっていた。


 末端から透けていっている。

 同時に、目に見えぬ強い力に引かれる。


「慎也くん、――」


 恋うる想いが自分を呼ぶ。


「美咲さん、美咲さん――!!」


 夢に引きずられる。

 慎也の存在が遠くなる。



 またしても美咲の意識はそこで途絶えた。





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