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高天原異聞 ~女神の言伝~  作者: ラサ
第三章 禍神ーまがつ神々ー

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6 悲願


 根の堅州国(ねのかたすくに)で、母神は微睡みからはっと目を覚ました。


 この領域で、息子の神気が感じられる。


 戻ってきたのだ。


 扉を開けると、歩いてくる我が子が視える。


建御名方(たけみなかた)!!」


 駆け寄ってくる身体を、抱きしめる。


「よく戻った」


「母上……」


 身体を離すと、疲れたような顔がこちらを視下ろしている。


 肩越しには、常に息子の傍らにある事代主がいる。


事代(ことしろ)、そなたも大儀であった」


「もったいなき言霊――」


 跪く事代主の顔色の悪さに気づく。


「そなた――呪詛の気配がする」


 母神は訝しげに、呟く。


 息子から離れ、母神は事代主の(かんばせ)を上げさせた。


 喉元の紋様に気づく。


「これは――」


「触れてはなりません。この身は呪詛に晒されております」


 これは、禍つ言霊の紋様。

 言霊を操る事代主を縛る鎖。


 母神の目に怒りが揺らめく。


 自分の子ではないとは言え、事代主は我が子が弟と認める唯一の者。


 いつでも自分と建御名方に忠義を尽くしてくれていた。


 その我が子同然の事代主に、このような呪詛を施すとは。


「何という辱めを――許せぬ」


「おや、そのようなことをおっしゃるのですか?」


 ふわりと、大気が動いた。


 母神がそちらへ視線を向けると、

 そこには禍つ霊となった美しい比売神がいた。


木之花知流比売(このはなちるひめ)――」


「お久しゅう。須勢理比売(すせりひめ)




「何をしに来た――」


 立ち上がり、硬い声音で根の堅州国の母神――須勢理比売は問うた。


「相談に来ましたの。

 黄泉神などと手を結ばれては困りますから」


「そなたに根の堅州国に入ることを許した憶えはない。

 疾く去れ」


 比売神が美しい唇を咲みの形にする。


「これは異な事。まるで根の堅州国の主のよう。

 統治者であることを拒まれたのは御身のはずですのに」


 そうだ。拒んだのは自分だ。


 ここで暮らしていいと言ってくれた夫を唆し、

 神器を父から奪い、豊葦原へ逃げた。


 己貴(なむち)様――美しい豊葦原で、

 貴方と一緒に幸せになれるはずだった。


 愚かな夢を視た。

 その報いを、今受けているのか。


「――そなたになど、私の気持ちはわからぬ」


 夫が別の女神を妻に迎えるのを、

 黙って視ているしかなかった自分。


 豊葦原を争いなく治めるために、

 有力な国津神の娘神を娶ることが必要だったとしても。


 須勢理比売は傷ついていた。


 夫がいくら戻ってきて愛を囁いても、

 いつしか信じられなくなった。


 こんなことなら、豊葦原に来なければ良かったのか?


 それでも。

 豊葦原は美しかった。

 光と美しい色に満ちあふれ、命の息吹を感じた。


 夫を失っても、自分にはまだこの国があると思えば、

 寂しさも慰められた。


 だが、天津神に国を奪われ、結局、根の堅州国に戻ってきた。


 自分に残っているものは、我が子以外、もう何もない。


「裏切られた者の気持ちならわかります。

 私は――禍つ神霊ですから」


 堕ちた比売神。


 天津神に裏切られた妹比売の為に、彼女は禍つ神霊となったのだ。


 国津神が愛して止まなかった二柱の女神の生き残り。


 山津見の国津神は、比売神に従った。


 禍つ神霊であっても、彼らに残された愛しい女神であったから。


「相談とは何だ。事代にこのような呪詛を施して、

 よくもそのようなことが言えたな」


「仕方ありませぬ。その者は私の妹を傷つけた。

 復讐の矛先を違えたのはそちらですから」


「そなたの妹比売を? どういうことだ」


「――事代は、天孫の日嗣とその妻である妹比売を視つけたのです」


 建御名方の言霊に、須勢理比売が驚いて事代主を振り返る。


「真か、事代?」


「はい……間違えたのです。我々は太古の女神だと思っておりました。

 深く探るまでわからなかったのです」


「して、天孫の日嗣に、一矢報いたのか?」


「いいえ……それが、私の失態です……」


 唇を噛みしめる事代主に、須勢理比売は失望の色を隠せなかった。


「だからこそ、私が来たのです」


 比売神が妖艶に微咲む。


「須勢理様。私達の敵は同じ――日嗣の御子です。一矢報いる時ですわ」


 その咲みは、抗いがたい誘惑だった。


 そして須勢理比売は、抗う理由をすでに持ってはいなかった。





 利用者もまばらな金曜日の午後、館内のカウンターで、

 美咲は何度目かの溜息をついた。


 今日は、一学期の終業式のため、学生は全くいない。


 午前中で授業は終わり、帰ったのだ。


 慎也は約束通り、

 夏休みを美咲とともに過ごすために、

 着替えを取りに自宅へ戻った。


 今日から夏休みが終わるまでは閉館時刻を早めて五時半とするため、

 見計らって迎えに来ると言ってくれた。


 約束よりはいつも早めに来るから、多分、もうすぐ来るだろう。


「――」


 もう一度、美咲は溜息をついた。


 顔を上げると、館内の中央に聳える太い柱が見える。


 それは、五日前に見たように、

 今も淡く光りながら神々しい気――神気(しんき)で揺らめいている。


 普通の人間には見えないというその揺らぎは、

 美咲の夢の中の天の御柱(みはしら)と似通っていた。


 神気と神威の宿る柱――それが、神代に伊邪那岐と伊邪那美が降り立った天の浮橋へ続く、

 二神が住んでいた八尋殿(やひろどの)へと通じているという。


 失われた神代を甦らせる。


 そんなことが本当にできるのだろうか――?


 美咲は五日前のことを思い出していた。





「天の門が開き、天の浮橋が架かった――」



 荒ぶる神は、

 慎也と美咲の前まで歩いてくると、すっと膝をついた。


「この柱は、伊邪那岐と伊邪那美の住んでいた

 八尋殿の天の御柱と繋がっている」


「――伊邪那岐と伊邪那美?

 それって、日本の神話に出てくる國産みをした神のことだろ?」


 慎也が訝しげに問う。


 夢の中である程度説明を受けていた美咲はともかく、

 慎也には初耳だったらしく、

 荒ぶる神を見る目は厳しいものがあった。


「そうだ。それがお前達の前世だ。

 慎也が伊邪那岐で、美咲が伊邪那美だ。

 美咲はお前と出逢ってから夢を視るらしいが、お前はどうだ?

 何かそれらしき記憶や夢を視たりするか?」


「そんなのない。あんた、真面目に言ってるのか?

 俺達が伊邪那岐と伊邪那美なら、あんたは誰だ?」


「俺の名は、建速須佐之男(たけはやすさのお)

 三貴神の内の最後の神――」


「スサノオ――あの、八俣之遠呂智(やまたのおろち)を退治した?」


「ああ――もっとも、物語にある頭の八つある大蛇ではないがな」


 荒ぶる神は苦咲いしながら言った。


「お前達が知っている神代の物語には、

 (いつわ)りも多いが、本質を捉えてはいる。

 俺は伊邪那岐の意志を継ぎ、伊邪那美を求めて豊葦原に天降った荒魂(あらみたま)だ」


「あらみたま?」


 今度は美咲が問う。


(みこと)を構成する要素だ。荒魂と和魂(にぎみたま)

 どちらが欠けても、不完全な存在だ」


 美咲は荒ぶる神の言霊に耳を疑う。


 あまりにも完璧な存在に見える建速が不完全とは――?


 内心を読み取ったかのように、荒ぶる神は咲む。


「全ての存在は相反するものの調和から()るんだ。

 陰と陽、正と負、光と影、男と女。

 ただ一つから生まれるものは調和として成り立たない。

 神もそうだ。ただ独り神から成りませる俺は荒魂しか持たない。

 だからこそ、神としては不完全なんだ。そう視えなくてもな」


 肩を竦めると荒ぶる神は続けた。


「伊邪那美が神去ってから、

 世界を構成する流れが世界の重なりを緩やかに引き離した。

 神代は人の世を離れ、高天原も黄泉国も豊葦原とは異なる領界となった。

 三つの領界が引き離されたことで、

 我々の神威も現象しなくなり、強い神々は眠りについた。

 弱き神々は生と死を黄泉返りながら繰り返すことで只人となり、

 その人間によって辛うじて記憶に名を留める神々は封じられた。

 あらゆる力が封じられ――そうして、神代は終わったのだ」


 荒ぶる神は美咲の手を取った。

 そして、真摯に乞うた。


「どうか失われた神代を現世と繋いでほしい」


「繋ぐって、何をするの?」


「簡単だ。八尋殿に往けばいい。そこで交合えば、

 高天原と豊葦原の中つ国が繋がり、天照と月読が降臨できる。

 高天原の昼と夜の統治者が天降れば、天津神々も全て――

 忘れ去られた神代が完全に甦る」


「まぐわうって――」


 その意味を理解して、美咲は顔を赤らめる。


 慎也に視線を向けると、慎也も意味を解しているらしい顔つきをしていた。


「伊邪那岐と伊邪那美がそこで初めて交合ったとき、太陽が産まれた。次に、月が」


「天照と月読は、最後なんじゃないの?」


「彼女達は、神霊だ。現象としての太陽と月は最初の交合いで

 すでに産まれていたが神霊が宿らなかった。

 最後に生まれたのがその憑坐となる特別な神霊なんだ。

 黄泉での穢れを落とすために、伊邪那岐は禊をした。

 その時に産まれたのが俺達三貴神だ。

 左の涙から天照の神霊が、

 右の涙から月読の神霊が、

 そして、嘆く吐息から俺が産まれた」


 祝詞にもなっている伊邪那岐の禊ぎを、美咲は思い出していた。


「どうか俺の願いを叶えてくれ。神代を甦らせてくれ。

 あんたと慎也にしかできない」




 閉館時刻が過ぎ、美咲は慎也とともに一旦自分のアパートへ帰った。


 夕食をとり、簡単にシャワーを浴び、キャミソールワンピースに着替える。


 これからすることを考えれば、

 脱ぎ着しやすい服の方がいいだろうと思ってのチョイスだ。


 バスルームを出ると、慎也が自分を見つめたまま黙っている。


「どうしたの?」


 問われて、慎也がにこりと笑う。


「――いや、その服可愛いなあって思って。脱がせやすそうだし」


 後半の言葉に、美咲は顔を赤らめる。


「どうしてそういうこと、言うかな……」


 足早にベッドに近づき上に置いていた七分丈のカーディガンをはおると、

 背後から慎也が抱きしめてくる。


「ごめんね、美咲さん。でも、ホントにいいの?」


「――断れないわ。建速には、もう何回も救けてもらってるし……」


 言葉尻が弱くなるのは、自分にもこれが本当にすべきことなのか

 判断がつかないからだ。


 建速は神代を甦らせて欲しいと言った。


 自分と慎也にしかできないと。


 美咲は慎也の腕を少し放して向き直る。


「思い出すこと、何もないの? 夢を見たりすることは?」


「美咲さんと初めて逢った時、すごく嬉しかったのは、憶えてる。

 すごく嬉しくて、やっと逢えたと思った。

 でも、それ以外は夢を見たり、何か思い出すとか、そういうのはないな。

 だから、正直、建速が言うことも胡散臭いなって思う。

 実際に、会って話してなければ信じなかったと思う」


 それには、美咲も納得だ。


 建速の話だけでは、きっと美咲も信じなかっただろう。


 だが、建速の存在は、そこにいるだけで全てを信じさせてしまう。


 その姿形と、身に纏う神気によって。

 これこそが、神なのだと。


 そんな圧倒的な存在から口に出された言葉――

 建速は『言霊』と言った――を、疑うことはできない。


 少し身を屈めて、慎也は触れるだけのキスをした。


「でも、前世の繋がりとかそんなの思い出せなくても、

 今の美咲さんがすごく好きだ」


 胸が切なくなる。


 思わず慎也の頬を引き寄せ、身を乗り出して、今度は自分からキスをする。


 驚いている慎也にそっと告げる。


「すごく、好きよ。大好き……」


 美咲のその言葉に、慎也は一瞬言葉を失う。

 それから、息をつく。


「美咲さんこそ、どうしてそんな顔で、そういうこと言うかな――」


 どんな顔かと問う前に、

 慎也は美咲を引き寄せて唇を重ねた。


 とても優しく、甘く、美咲に触れる。


 抱きしめるだけだった腕がゆっくり動き出したとき、美咲ははっとしたように抗う。


「ちょっと、だめ――もう、そろそろ行かないと……」


「――」


 慎也は少しだけ不満そうに、それでも大人しく美咲から離れた。


 ずれたカーディガンを直し、髪を整え直す美咲を見て、

 慎也がもう一度息をつく。


「美咲さん、そんな顔、俺以外の前でしないでよ」


 振り返って美咲が問う。


「そんな顔って、どんな顔よ?」


「今すぐしてもいい、みたいな顔」


「そ、そんな顔してません! なんてこと言うのよ!!」


 真っ赤になって怒鳴る美咲に、慎也がからかうように笑う。


「してるよ、すっごく。だから止まらなくなるんだ」


 反論しようとした美咲を遮るように、短くクラクションが二回鳴らされた。


「あ、迎えが来た。行こう」


 さっと切り替える慎也に、納得がいかないものの美咲は渋々従った。




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