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高天原異聞 ~女神の言伝~  作者: ラサ
第二章 集神ーつどう神々ー

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3 悲想


「なんだ。結局交合(まぐわ)いはなしか」


 呆れたように呟く背の高い男――荒ぶる神を視て、

 傍にいたもう一人の男と女が苦笑する。


「人の世の理もあるのでしょう。

 神代とはあまりにも遠く隔たっておりますゆえ」


「長い年月とともに、確かに人の世は様変わりしたな。

 お前達も驚いたろう」


「ええ、この憑巫(よりまし)から記憶は読み取りましたが、

 あまりの変わりように未だに慣れませぬ」


「真にもって。

 いっそ女神のように記憶を持たぬほうがいいかと思うほどです」


 女の大げさな物言いに荒ぶる神は頷く。


「これまでの変遷を知らぬお前達には無理も無い。

 特に、この二百年の変わりようは凄まじい。

 お前達が封じられていたその間に、あらゆる神が

 人の意志により生まれては消え果てた。

 忘れ去られた神は、

 その名残が未だ辛うじてとどまるのみだ」


「女神の黄泉返りとともに、

 我らも目覚めたのは造化三神のお導きですか?」


 女が問う。


「造化三神は、すでに御隠れになった。

 戻ることはあるまい――これは、女神の意志だ」


「女神の……? 何ゆえ、今?」


 荒ぶる神は首を横に振る。


「女神でなければわからん。

 だからこそ、早く女神には記憶と神威を取り戻してもらわねば」


「ならば、女神と男神は安全な場所にお連れしたほうがよいのでは?」


「あの図書館には神霊の集う御柱がある。

 一種の結界だ。

 穢れを祓うゆえに最も安全であろう」


「図書館はよいかもしれませぬが、高校は無防備です。

 男神が危険では?」


「男神か――とりあえず危険はあるまい。

 黄泉神の狙いは女神だけだからな。

 神威が感じられぬから、

 闇の遣いも容易くは女神を見つけ出せぬのだ。

 お前は引き続き女神の傍に。もう戻るがいい」


「御意に」


 女は礼をしてから去っていった。


「さて、国津神が護っているから、

 この中つ国では黄泉神も思うようにならぬようだ。

 ここらで少し女神の記憶を揺さぶるか」


 荒ぶる神の視線は、

 遠く中つ国の一点を見据えていた。


「女神を危険にさらすのですか」


「多少の危険を伴えば、交合う気になるだろうよ。

 吊橋効果とかいうやつだ」


「吊橋、効果、ですか……?」


 首を傾げる、かつて己の随神(ずいしん)だった男を見て、

 今度は荒ぶる神が苦笑した。


「俺も、人の世に永くいすぎたな」






 暗闇に浮かび上がるように美しく舞い散る薄桃。

 去っていく愛しい背の君。


 こみあげる想い。


――往かないで。

  戻ってきて。


 走り去る貴方の背に、何度も呼びかける。

 声も嗄れんばかりに。


 それなのに、貴方は振り返ってはくれない。


 闇の中に浮かび上がる薄桃色の花弁が、

 貴方の姿をかき消していく。


 涙にけむる視界を、

 何度も何度も花びらが遮る。



 貴方が遠ざかる。



 あとには降り注ぐ花びらだけ――





「――」


 涙がこめかみを伝う感触に、

 美咲は目を覚ました。


 見慣れた天井が暗がりの中に見えた。

 だが、それはすぐに滲んで霞んだ。


 涙が溢れて、止まらなくなった。



 夢を見た。



 いつもの幸せでおぼろげな夢ではなかった。


 夢の続きのように、美咲は泣く。



 裏切られた悲しみと切なさで、胸が痛い。



 布団を頭からかぶって、

 自分の身体を抱きしめるようにかばった。


 夢なのに莫迦げている、と思い込もうとした。


 だが、胸の痛みは現実に美咲を打ちのめしている。


 桜の花びらが散るのを

 物思いに囚われながら見ていたことを思い出した。



 春が来るたび感じた胸の痛み。


 

 あれは、この夢のせいだったのか。


 

 身に覚えのない夢のために、美咲は泣き続けた。





「カードを、作ってもらいたい」


 開館時刻と同時に入ってきて美咲に話しかけてきたのは、

 とても背の高い男だった。


「は、はい。お作りしますね。

 このカードに記入をお願いします」


 美咲が渡した登録カードに、男は少し屈んでペンを走らせた。


 無造作に伸ばした髪を後ろで一つにまとめて、

 黒のレインコートがよく似合っていた。


 以前はやったSF映画の主人公のようだった。


 あまり本を好んで読みそうには見えないが、

 人は見かけによらないものだ。


 書かれたカードを元に図書カードの手続きをする。


「こちらがカードになります。

 図書の貸し出しは五冊までで、

 貸し出し期間は二週間となっております。

 詳しい内容はこちらの案内をご覧く――」


 図書カードを差し出した美咲の手を、男が掴んだ。


 掴まれた美咲の手は、

 男と比べたらあまりにも小さく、華奢だった。


 男は大きく、長い指で美咲の手をとらえたまま動かない。

 温かな手だった。


「あの、手を――」


「今日は、日が落ちたらすぐに帰ったほうがいい」


 おもむろに、男が告げた。


「え――?」


「俺の言葉を忘れるな。

 暗闇には近づくな。

 捕まったら、戻れなくなる」


 それだけを言うと、男は美咲の手を放し、

 本も借りずに去っていった。


 知らない男なのに、なぜか懐かしさを感じた。


「誰なの……?」


 もう一度名前を確かめようと、

 美咲は登録カードを置いた場所を見た。


 だが。


 記入してもらったはずの登録カードがどこにもない。

 コンピュータに打ち込んだはずのデータも無かった。


「どういうことなの?」


 風で飛んだのかと、

 カウンターの下や引き出しの中を何度も探す。


 けれど、不思議なことに、

 男が図書カードを作った記録はどこにもない。


 あんなに印象に残る男なのに。


 美咲が何度図書カードの登録記録を検索しても、

 彼らしき人物の名前は探し出せなかった。



 ただ、触れられた手の温かさは、忘れられなかった。





 中休みの終わりの鐘が鳴って少しした頃、

 生徒用の渡り廊下の扉が開いて慎也が入ってきた。


「おや、3時限目は自習になった?」


 山中が声をかける。


「うん。暇だから来た」


 昨日の甘い時間が思い出されて、美咲の胸が震える。


 けれど、同時に今朝の夢までが思い出されて、

 たちまち高揚していた気分が切なさに変わった。


 あれは夢なのに。

 どうして慎也と重なるのだろう。


「山中先生、書庫の本借りていってもいい?」


「いいけど、探せる?」


「多分。ダメならヘルプするから」


「藤堂さん、手伝ってあげて。

 その方があなたもはやく書庫の蔵書を覚えるだろうし」


「わかりました。これを済ませたらすぐ行きます」


「よろしく、美咲さん」


 お辞儀をして、慎也はカウンター奥の書庫に入っていった。


「あの子も変わったわね。よかった」


「――変わったって、しん――時枝くんに、

 何か問題でもあったんですか?」


「んー、頭はすごくいい子なんだけどね、

 普通、あのぐらいの男の子って

 もっと子どもっぽいとこあってもいいのに

 入学したてからめちゃめちゃ大人びててね。

 クラスでもほとんど誰とも口聞かずに、

 図書室で難しい本ばかり読んでたわ。

 喜怒哀楽がほとんどなくてね、

 心が何処にもないみたいに、いつも淡々としてた」


「淡々とって、本当ですか? 想像つかないんですけど」


「そうよね。藤堂さんは今年の彼しか知らないから」


「山中先生や私とは普通に話してますけど、

 他の先生とも口聞かないんですか」


「必要最低限しかね。私とだって、

 最初の半年はほとんど口聞いてくれなかったわよ。

 司書だから本のこと話すようにしてみたら、

 段々打ち解けてくれて。

 普通に話せるようになったとき、すごく嬉しかった。

 懐かない猫が懐いたみたいに。

 しかも、あんなかっこいい男の子よ」


 最後の台詞に美咲は思わず笑ってしまった。


「ホントはうちみたいな学校じゃなくて、

 もっと有名な付属に行けたのに、

 ここがいいって他蹴ってここに来たって。

 彼、入試満点だったの、我が校始まって以来よ」


「そ、そんなに頭いいんですか、彼」


「日本一の大学現役合格できるくらいね。

 それどころか外国の超有名大学も余裕で行けるそうよ」


「何で、ここに……?」


「そうよね。私もそう思って聞いたの。

 そしたら、この図書館が好きなんだって言うのよ。

 ここにいたら、誰かに逢えるような気がするって」


 その言葉に、美咲はどきりとする。


「いつも本を読んでたわ。

 そして、時折、不意に顔を上げるの、

 まるで誰かを探してるみたいに。

 遠くを見てた。とても遠くを。

 そんな彼を見て、いつも、彼が遠くを見てるたびに、

 早くその誰かに逢えるように願ってた。

 だから、今年になって彼が図書館限定で

 歳相応の高校生みたいに楽しそうにしている姿を見て、

 本当に嬉しいの。

 逢いたい人にやっと逢えたんだって、すぐにわかった」


 山中が、美咲を見つめて人差し指を口元に当てた。


「でも、これは内緒なの。

 彼が卒業するまで、ずっと内緒。

 知らないふりをし続けてあげる」


「――」


「さ、おしゃべりはおしまい。

 本探すの手伝ってあげて。

 ここは私がするから。ゆっくりどうぞ」


「は、はい」


 書庫の扉を後ろ手に閉めると、

 美咲は大きく息をついた。


 確信した。


 山中にはばれている、自分と慎也のことは。


 以前の慎也を知らないから、

 美咲は自分に見せる態度が

 普段の彼となんら変わらないと思い込んでいた。


 今年の慎也の様子が特別なのなら、山中ならすぐ気づく。


「――」


 それでも、内緒にしてくれると言った。


 反対するどころか応援してくれるらしい。


 素直に喜べばいいのだろうか。


 釈然としない気持ちのまま、美咲は奥へと進んだ。


 先に書庫に入った慎也は奥の階段に座っていた。


 美咲が近づくと立ち上がり、

 嬉しそうに笑って美咲を抱きしめる。


「すごく美咲さんに会いたかった。

 放課後まで待ちきれなくて来ちゃった」


「――」


 美咲は腕を上げて慎也を抱きしめ返す。


 先ほど山中が言っていた、

 去年までの慎也と今の慎也がどうしても結びつかない。


 こんなにも素直に愛情を示してくれる慎也を、

 愛しく思う反面、戸惑っている自分もいる。


 なぜ、慎也なのだろう。

 なぜ、自分なのだろう。


 素直に喜べないのはなぜなのだろう。


 不安ばかりが押し寄せる。


 いっそう強くしがみついたとき、

 慎也が耳元でささやいた。


「明日、美咲さんのとこに泊まってもいい?」


 美咲は驚いて顔を上げた。


「――」


 いくら鈍くても、慎也の意図はわかる。


 だが、朝の夢のせいなのか、

 美咲は素直に頷くことはできなかった。


 その戸惑いを、慎也は見逃してはくれなかった。


「まだダメ?」


 慎也は一度、言葉を飲み込んだ。


 美咲の顔を見つめ、

 視線が何かを探すように遠くなった。


「俺だって男だから、大好きな恋人と一緒にいたら、

 キス以上したいよ」


 その顔は傷ついたような表情にも見えた。


「美咲さんが躊躇う理由がわからない。

 俺は美咲さんが好きだから触れたい。

 美咲さんは、違うの?

 俺に触られるの、嫌なはずないよね。

 だって、すごく嬉しそうだったもの」


 見透かされた羞恥に、美咲の顔が赤くなる。


「何が怖いの?」


 そう問われて、美咲は気づく。

 怖れている自分に。


 そうだ。

 怖いのだ。



 とても、怖い。



 全てを奉げて、見捨てられたら、

 そのあとどうすればいい?


 慎也の気持ちを疑いたくない。


 けれど、どうしても信じきれない自分がいる。


 信じて裏切られるのは嫌だった。


 そう、前のように――




 暗闇に舞い散る薄桃の花弁。

 去っていく愛しい背の君。


 こみあげる想い。



 往かないで。

 戻ってきて。



 走り去る貴方の背に、

 呼びかけたいのに声が出ない。


 貴方は振り返ってはくれなかった。


 闇の中に浮かび上がる薄桃色の花弁が、

 貴方の姿をかき消していく。


 涙にけむる視界を、薄桃色が何度も何度も遮る。



 貴方は戻ってこない。



 あとには降り注ぐ花びらだけ。



 どうしてなの。

 信じていたのに。



 置き去りにされた。



 約束したのに。

 一緒に還ろうと。


 それなのに。



 貴方は私をおいて独り逃げた――





「美咲さん?」


「――」


 涙が零れて、美咲は我に返った。



 まただ。



 あれは夢のはず。


 誰かに裏切られたことなど、無いのに。

 それなのに、まるで自分の以前の記憶のように鮮明で。


 訳のわからない感情に翻弄される。


 自分のものではない感情にとらわれて、

 涙が止まらない。


 慎也が美咲を引き寄せて抱きしめる。

 美咲は慎也にすがりついた。


「ごめんね、美咲さん。

 でも、すごく好きなんだ。

 ずっと一緒にいたい。

 すごく好きすぎて、

 自分でもどうしようもないんだ」


「……」



 往かないで。



 大声で叫びだしたかった。


 それでも、何も言えずに、

 美咲はただ、慎也の背中に回した腕に力をこめた。


 どんなに強く抱きしめてくれても、

 どんなに強くしがみついても、

 安心することができなかった。






 大気に満ちる神気もまた、

 悲しみに打ち震えていた。


――女神の悲しみが、伝わる。


――我らの女神が悲しんでいる。


――記憶が戻りかけているのか。


――彷徨える神が、女神と出会ったぞ。

  かの神は我らの味方か?


――女神の御味方か?


――わからぬ。


――護らねば。


――女神の悲しみは我らの悲しみ。

  女神の望みは我らの望み。


――女神の望みを叶えるために、我らは目覚めた。


――護らねばならぬ。

  我らから女神を奪おうとする全ての神から。




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