(9)無理もない
朝十時、三島工場の会議室には、朝ミーティングのメンバーのほか、出張してきた本社生産企画部長の乾と、人事部課長の花野井が着席していた。
前日の製造状況等、定例の内容を手早く済ませたのち、緊急ミーティングが始まった。
乾が、来年十一月末日での三島工場閉鎖について話をした。
新ライン導入や工場建て替え等、工場存続の検討も行ったが、敷地が狭小であり、周辺が市街地化された今日では問題点が多過ぎ、着手不可であると判断、やむなく閉鎖の決定に至ったことも説明した。
山内はミーティングに参加している面々の反応をうかがっていたが、総じて乾の話を大人しく聞いている様子であるのを見て意外に思った。
(みんな、うすうす感づいていたのだ)
製造ライン数がピーク時から徐々に少なくなり、ついには一ラインのみになったこと、しかも製造数量も年々減少の一途であり、客観的に現状把握すれば、このままの状態で三島工場が存続できる要素は見当たらない。工場幹部はみな、そのことに気づいていた。
(問題は、工場幹部以外の従業員の反応だ)
山内はそう思った。
「工場閉鎖後、従業員はどうなるのでしょうか?」
製造課長の小林が乾へ質問した。工場従業員三十名のうち、製造課に二十名在籍しており、多くの部下を抱える小林にとってはそれが最大の関心事であった。
「社員の方には、原則として他の事業所へ異動していただくことになります。契約社員の方には、退職していただくことになりますが、勤続年数に応じた特別手当の支給を検討中です。派遣社員の方には、工場閉鎖をもって契約終了、ということになります」
乾がそう回答すると、充填・包装担当主任の大里が、
「異動か……」
とつぶやいた。大里は三島出身であり、三島工場以外の事業所で勤務した経験はない。
「社員の方には異動していただくことになりますが、異動先は社員個々のご希望をなるべく尊重致します。転居が無理な方には、ご自宅から東京本社への新幹線通勤も、静岡営業所への高速道路を利用しての通勤も選択可能です。ただ、中には他事業所への異動が無理な方もいらっしゃるかと思います。その場合は残念ながら退職していただくことになりますが、退職金の割り増しを考えております」
花野井がそう言うと、技術担当主任の立川は腕組みをしたまま目をつぶった。立川も三島出身である。
三島工場の従業員三十名の内訳は、社員が十八名、契約社員が九名、派遣社員が三名である。社員のうち、三島工場専任で、原則として他事業所への異動がない地域職が十一名いるが、この十一名の身の振り方が特に問題になる。
三島から高速道路を利用して通勤が可能な静岡営業所は、営業職であり、工場勤務とはまったく別種のスキルを要する仕事である。そのため、これを選択する社員はほとんどいないと推測された。
また、三島から新幹線通勤が可能な東京本社も、スタッフ業務であり、工場勤務とは異質の神経を使う仕事であるため、これを選択する社員もそう多くないのではないかと思われた。
(三島から比較的近めの他工場、つまり愛知県の安城工場か、千葉県の茂原工場への転勤希望者が多くなりそうだ)
山内はそう思った。
「今月末の工場非稼働日に、三島工場全従業員へ今回の話を公表します。私と花野井課長が改めて工場へおうかがいし、みなさんへ説明致します」
乾がそう言い、朝ミーティングは終了した。
山内と、総務課長の高橋、それに乾と花野井はそのあと組合支部三役とも話し合いの場を持ち、三島工場閉鎖を伝えた。支部三役はすでに中央執行部から情報を得ており、閉鎖は経営上やむを得ないが、工場従業員へはきちんとした対応をお願いしたい旨、会社側へ要請した。
午後には、工場内に一年後の閉鎖の話が伝わり、管理職や主任へ詳細を問いただしに来る従業員が相次いだ。山内も何人かの従業員から質問を受けた。
「工場がなくなるって聞きました。私たちはどうなってしまうのでしょうか?」
「工場がなくなってしまったら困ります。契約社員の私はたぶん首を切られることになるのでしょうが、家族を養っていけなくなります。何とか工場を存続させることはできないでしょうか?」
山内は、契約社員からそう訴えられるのがいちばん心苦しかった。
「会社の経営上、苦渋の決断で工場閉鎖が決まりました。工場長として深くお詫び申し上げます。契約社員の方へは、勤続年数に応じた特別手当を支給させていただきます。閉鎖になるのは一年後のことですので、それまでの間に今後のことをご検討いただけたらと思います」
山内はそう言うのが精いっぱいだった。
山内自身は、工場閉鎖と同時に退職を考えていた。もともと二年以上前、初枝を失ったときに退職するつもりだったが、敏子に説得されて退職を思いとどまった。
あのときの判断は正解だったと思っている。仕事を続けたおかげで、浩一と初枝を失った悲しみに直面する時間を少なからず回避することができ、それが山内の精神への過度な負担を和らげることにつながった。
あれから月日を経て、山内の悲しみはようやく耐え難いものではなくなりつつあった。今なら、もう会社の仕事に埋没しなくても何とか生きていける気がしていた。
月末のライン非稼働日、三島工場の全従業員が食堂へ集まり、全体集会が行われた。
まず山内が、来年の十一月末日をもって工場閉鎖することを正式に伝えた。すでに従業員はみな工場閉鎖の話を聞き知っていたので、特に動揺は起こらなかった。
次に乾が、社員、契約社員、派遣社員それぞれの今後の処遇について説明した。
「三島工場を存続させることはどうしても無理なのでしょうか?」
「転勤が無理な社員はどうなるのでしょうか?」
「退職する社員の割増退職金の額はいくらでしょうか?」
「契約社員の特別手当の額はどのぐらいでしょうか?」
従業員からいくつか質問が出たが、それらについては、乾と花野井が回答した。
全体集会終了後、契約社員の澤木が山内を呼び止めて、質問した。
「工場長、工場閉鎖で契約社員は解雇になるそうですが、転職先の斡旋はしてもらえないのでしょうか?」
澤木は製造課原料開出担当として二十年以上も勤務しているベテランである。
「大変申し訳ありませんが、あいにく、転職先の斡旋はしておりません。工場閉鎖まで約一年ありますので、それまでに転職先を探していただけたらと思います」
五十歳を過ぎた澤木が転職先を探すのは容易ではないと山内は分かっていても、そう回答するしかなかった。
中には、山内とすれ違いざまに、
「ひでぇ話だ。契約社員は解雇されるんだってよ」
と露骨に言い放つ契約社員もいた。
(そう言うのも無理はない)
ふだんは同じように仕事をしていても、いざこういう事態が発生した場合、社員と非正社員とではその後の処遇に天と地ほどの差が出る。派遣社員に至っては、単に派遣契約終了となるだけで、工場から退職金や特別手当の支給などは一切ない。
もともと正社員と契約社員とでは、労働契約が違うのだから当然だと言ってしまえばそれまでだが、感情面でしこりが残るのは避けられず、解雇される側の心情としては、ぼやきの一言二言も言いたくなるだろう。山内は、何を言われても仕方がない、と自分に言い聞かせていた。




