(6)会社の携帯電話への着信
浩一は東京の私立大学経済学部に現役で合格し、東京での下宿生活が始まった。山内は引き続き真岡で単身赴任、初枝は三島と、家族三人がそれぞれ別々に一人暮らしすることとなった。
山内は、そんな奇妙な暮らしぶりを笑いつつも、どことなく気持ちがしっくりしないような違和感を覚えていた。亭主が単身赴任、息子が大学入学と同時に下宿生活など、世間によくある話だが、これまで培ってきた家族の固い絆が弱まってしまった、とでもいったような、焦燥感にも似た感情が胸に去来していた。
浩一は、東京のアパートから原付のスクーターで大学へ通っていた。大学のフットサルサークルに入り、居酒屋でのアルバイトも始めた。仲間もでき、キャンパスライフを楽しんでいる様子だった。
(浩一は、巣立ったのだ)
息子がいつまでも親と一緒に暮らすなどということはめったにない。大学入学を機に、あるいは就職や結婚を機に実家を出るのはごく普通であり、それを家族の絆の弱まりなどと捉えるのはお門違いである。例えば、息子が引きこもりで、無職のまま自室からほとんど出ず、形として一つ屋根の下で親と同居するといった構図は、家族の絆が強いなどとはとても言えないし、そうあってほしくない。大学生になった浩一が家を出たのは、むしろ喜ばしいことではないのか。
(我が家は、至って順調だ)
山内はそう考え直した。
ただ、三島で一人暮らしすることになった初枝は、きっと寂しいに違いないと思った。
やがて、猛暑の八月が過ぎ、学校は新学期が始まった。残暑はまだ厳しいながらも、吹く風がいくぶん涼しく感じられる季節になった。
初枝が山内の会社携帯へ電話をかけてきたのは、山内が真岡工場で毎月行われる安全衛生委員会に出席中のことだった。
山内は仕事中、会社携帯を身に帯びていた。個人携帯はロッカーに置いてあるが、そもそも会社の規則で、業務中の工場従業員の個人携帯所持は禁じられていた。
そのため、平日の日中、山内と連絡をとるには、会社携帯へ電話をかけるのがいちばん手っ取り早い手段である。山内は初枝に、
「仕事中は個人携帯を使えないから、何かあれば会社携帯へ電話するように」
と伝えてあったが、これまで初枝が会社携帯へ電話をかけてきたことなど一度もなかった。ないのが当然であり、万事控えめな初枝が、仕事中の山内へわざわざ電話かけてくるのは、よっぽどの緊急事態発生以外にはあり得なかった。
そんな初枝からの着信である。
山内は瞬時に不安に駆られ、すぐに会議室を出た。
「浩一が……、浩一が……」
電話の向こう側で、初枝は泣いていた。
浩一が乗用車にはねられ、病院へ運ばれたとの知らせだった。
スクーターで大学へ行く途中、一時停止を無視したミニバンが浩一をスクーターごと跳ね飛ばし、浩一は十五メートル先の塀に激突した。ヘルメットをかぶってはいたものの、頭を強く打ち、意識不明のまま病院へ搬送された。
山内は真岡から、浩一が搬送された東京の病院へタクシーで向かった。動揺が激しすぎて、自分で車を運転することなどとてもできそうもなかった。
タクシーに乗車中、山内の個人携帯へ初枝から電話があった。
浩一は、頭部挫傷、全身打撲で死去した。享年十八。
初枝は、山内よりも一足先に浩一に面会していた。声を上げて泣く初枝を見るのは、山内にとって初めてのことだった。
浩一の顔や体には多くの出血痕や擦り傷があった。その痛ましさに山内は思わず目を覆った。
山内は上半身をまるごともぎ取られて、下半身だけで動いているかのような感覚に襲われた。自分の身体がまるで自分のものではなく、魂だけがふわふわと宙に浮いたような状態で、その後の警察への対応などを行った。
浩一の通夜や葬儀も、山内の意識は上の空のまま過ぎて行った。
この当時のことは、あまり記憶に残っていない。裁判で加害者が懲役の実刑判決を受けたこと、死亡慰謝料が支払われたことなども、山内の中ではかすんだ記憶でしかなかった。
浩一の遺骨は、山内の両親が眠る丘の上の墓に納めた。
最愛の息子を失った山内と初枝は、癒やしようのない悲嘆に暮れたまま、それぞれ真岡と三島とで離れての暮らしに戻らざるを得なかった。




