(3)晩酌
家へ帰り着くと、まず仏壇に線香をあげた。それからワイシャツとズボンを脱ぎ、カジュアルシャツとGパンに着替えて、家を出た。
行先は、自宅から徒歩二分の場所にある居酒屋「まえだ」である。
「こんばんは」
「はい、毎度」
大将が元気よく山内を迎え入れる。山内はいつもカウンター席の端に座る。まだ時間が早いため、店内には客がいない。たいがい、山内がまえだの一番客である。
何も言わなくても、生ビールの中ジョッキが山内の目の前に置かれる。一緒にお通しの小鉢も出される。
「ほう、桜えびのからあげですか」
「新鮮なものが入りました。かき揚げもできますけど、お出ししましょうか?」
「お願いします」
山内は桜えびを肴にして生ビールを飲む。ほかに何を頼もうかとメニューを眺める。まえだでは定番メニューも良いが、ホワイトボードに書かれた日替わりメニューにも魅力がある。
「いわしのたたきとねぎとろ、焼き鳥盛り合わせをタレで、それからはんぺんと大根、さんまの塩焼きもお願いします」
「山内さん、いきなり飛ばしますね」
「今日は金曜日で、明日は仕事が休みなので、久しぶりにゆっくり飲もうと思いまして」
「そうですか。では、今日はゆっくりしていって下さい」
まえだは大将と女将の夫婦二人で切り盛りしている。カウンター八席と四人掛けテーブル四席のこぢんまりとした店で、山内は居心地が良くて毎晩のようにここへ通っている。
「お待たせしました」
女将が静岡おでんのはんぺんと大根を運んできた。だし粉も、小皿に盛られて添えられている。
「今日はのんびりしていって下さいね」
「ありがとうございます。あと、『花の舞』を冷で」
「承知しました」
花の舞は、浜松の地酒である。生ビールの次は日本酒、これも山内のお決まりのコースである。
花の舞と一緒に、いわしのたたき、ねぎとろ、桜えびのかき揚げと焼き鳥盛り合わせも運ばれてきた。山内のカウンターのテーブルは一気ににぎやかになった。
豊富な肴を前に、チビチビやるのが山内にとって幸せなひとときである。
「まだ宵の口ですから、どうぞごゆっくり」
女将にそう言われ、山内の心は温まる。
まえだの大将は五十歳。出身は長野県だが、二十年前に勤めていた会社の静岡営業所へ赴任した際、三島出身の女将と出会い、結婚した。それから三島への定住を決め、会社を辞めて十年前に夫婦で居酒屋まえだを開店した。
女将は四十五歳。三島で生まれ育ち、大将と一緒に十年前からまえだで働いている。夫婦の間には中学二年生の一人息子がいて、その息子は女将の実家で祖父母と一緒に夕食を食べていると山内は聞いていた。
寡黙な質の山内は、大将や女将とそれほど多く会話しない。常連客ともあまり話さない。一人でゆっくりと杯を傾けながら、客たちが会話を交わす適度なざわつきの中に身を置くことに心地良さを感じている。
そうして佇みながら、過ぎし日のことに思いをめぐらすこともある。
「今日のさんまは脂がのっていますよ」
厨房から出てきた大将が、山内の目の前にさんまの塩焼きの皿を置いた。
確かに大ぶりで、丸みがある。箸を入れて身をほぐし、口に含む。香ばしさと脂のうまみが口の中いっぱいに広がる。
「これは。酒が進みますね。花の舞を冷でおかわり下さい」
「毎度」
いつもは夜七時半頃には席を立つのだが、この日は夜十時過ぎまで店のカウンターに座っていた。
(飲み過ぎた)
山内は店を出ると、まっすぐ家へは帰らず、酔い覚ましのために近所をゆっくり一周した。夜風が心地良く感じられた。
家へ帰り着き、ドアを開けると、家の中は真っ暗である。まず玄関の電気をつける。靴を脱いで家へ上がり、廊下の電気をつける。
和室へ行き、蛍光灯のスイッチを入れる。部屋が明るくなると、仏壇の鐘を鳴らす。小声で「ただいま」とつぶやいた。
仏壇には、位牌が四つ置かれている。両親と、妻、それに一人息子である。
四人の遺影がそれぞれ写真立てに飾られている。妻と、一人息子の写真を眺める。
時はもう元には戻らない。故人とは永遠に会うことができないという現実に胸が締め付けられそうになる。目頭が熱くなり、目に涙がにじむ。
(酒のせいだ)
やっぱり飲み過ぎたと思いながら、山内は着替えとタオルを持って風呂場へと向かった。




