03. 充実した日々
王宮を出て半年。
紺色の動きやすいワンピースドレスを着たセレスティーヌは、いかにも役人っぽい服装のレオンハルトと共に、リンデンの街に視察に出ていた。
一緒に視察を行う話自体は以前から出ていたのだが、レオンハルトの都合がつかず、今日、ようやく実現したのだ。
大きな街道が通っているリンデンの街の市場は、非常に活気がある。
「リンデンもこの半年で大分変わったわよね……。ヴァルディスで一番活気があるんじゃない?」
賑やかなリンデンの街を歩きながら、セレスティーヌはしみじみと呟く。最近、リンデンの発展が著しいのは、確実にレオンハルトの手腕だ。
「いろいろな要因が重なったおかげですよ」
セレスティーヌの隣を歩くレオンハルトが謙遜した。
この半年で、レオンハルトも少しずつ比重をこのリンデンの領地運営に移しつつある。そのおかげで忙しいらしく、いつもセレスティーヌの屋敷を訪ねて顔をちらっと見ては慌ただしく去って行く……の繰り返しだった。ようやく王宮から手を引けたので、こちらに本腰をいれるらしい。
「それで、今日は市場を見るんでしたよね」
「セレス様!」
セレスティーヌが口を開く前に、セレスティーヌに恰幅のよい中年女性から声がかかる。果物を扱う店の女主人だ。
「アンヌさん」
セレスティーヌは、今セレスという名でレオンハルトの仕事を手伝っている。
リンデンに来てのんびりしたのは一週間ほど。レオンハルトの庇護下で何もしないでいるのは性に合わない。彼に頼み込んで仕事の手伝いをすることになったのだ。
まず初めに行ったのは、直々に街に足を運んで困りごとを拾うことだった。急速に発展したリンデンは、それ故の摩擦も多い。街の一角に相談所を設けることにした。セレスティーヌ直々に話を聞けるときは聞くようにしている。
この女主人の店も、別の店で区画についてもめていたのを解決したのがセレスティーヌだ。大変感謝してくれて、いつも通りがかる度に声をかけてくれる。
「久しぶりだね。今日はよいリンゴが入ったんだ! 持っていっておくれ!」
「いいの? いつももらってばっかりだけれど」
「いいさ。セレス様がいなかったら、こうしてここで店をすることも出来なかった可能性もあるんだから」
豪快に笑うと、女主人はセレスティーヌにリンゴの袋を渡そうとしてくれる。
「僕が持ちますよ」
にっこりと微笑んで女主人からリンゴの詰まった袋を受け取ったのはレオンハルトだった。
「おや、こちらは?」
含みを持たせながら女主人が聞いてくる。セレスティーヌはレオンハルトをなんと紹介するか迷った。一応この土地の領主なのだけれど……。
「セレスさんの部下です。仕事ぶりを見るためについて回っているんです」
セレスティーヌが口を開く前にレオンハルトが堂々と答える。セレスティーヌは内心ぎょっとしたけれど、昔からの教育のおかげで顔に出さずに済む。
「おやおやそうなのかい。セレス様の仕事ぶりは素晴らしいからね!」
「ええ。本当に尊敬しています。お話聞かせてもらえますか?」
レオンハルトは青い目をキラキラさせながら女主人に言う。
「もちろんだよ。セレス様は、私たちの意見を聞くために相談所を設けてくれたんだ。もめ事の仲裁はもちろん、税でわからないことの相談会も開いてくれたし、あと託児所っていう子どもを預ける場所も作ってくれたんだよ」
女主人はまるで自分のことのようにセレスティーヌの仕事ぶりを話してくれる。それをうんうんとレオンハルトが聞いている。なんかセレスティーヌは恥ずかしくなってきた。
ただ非常に嬉しいことも確かだった。だって、こんな風に直接感謝の言葉を聞けることなんて、王宮ではなかったから。
セレスティーヌの仕事は、すべてクラウスの手柄だった。
ひとしきり、女主人のセレスティーヌへの賞賛が終わると、レオンハルトは心底感心したように言った。
「セレスさんは本当にすごいひとなんですね」
「ああ。みんなセレス様には感謝しているよ!」
女主人はどんと胸を叩いた。
この女主人だけじゃない。セレスティーヌが市場を歩くと、次々と声をかけられる。
「最近馬車が多くてちょっと危険なんだ」
「セレス様。最近、この辺り人口が増えてきたせいか、住む家が足りなくなりつつあるみたいなんだよ」
困りごとについてしっかり耳を傾けて、メモを取る。
特に住居の問題は早急になんとかしなくてはならないだろう。
レオンハルトは気を悪くした様子もなく、セレスティーヌの仕事ぶりを眺めていた。
セレスティーヌが滞在する屋敷に戻ったのは夕刻近い時間だった。
「結局、私が捕まってしまって、あなたに市場をあまり案内できなかったわね。ごめんなさい」
「いえ。僕は十分満足ですよ。あなたの仕事ぶりが見られましたから」
応接室。セレスティーヌの向かい側のソファーに座ったレオンハルトはそう言ってにこりと笑った。
「仕事だけれど、あなたは領主だって名乗らなくて良かったの?」
「いいんですよ。領主だなんて下手に名乗ったら、緊張してしまうでしょう? ありのままの領民たちが見たかったわけですから」
「ならいいのだけれど」
「義姉上は、王宮とはうって変わって生き生きとしてましたね」
「だって、王宮では書類とのにらめっこしかしてこなかったのだもの」
本当であれば、王妃として慈善事業で孤児院を訪問する機会もあったはずだ。だが、クラウスの仕事の肩代わりでそんな暇はなかったのだ。
「とても充実しているわ。役目を与えてくれてありがとう」
「あなたが喜んでくださるのならいくらでも」
セレスティーヌが満面の笑みで礼を言うと、レオンハルトも破顔した。その笑みにセレスティーヌの胸がどきり、とする。
知り合った頃は十一歳だった彼も、もう十八歳。成人したのだ。婚約者はいないものの、国中の令嬢が彼の婚約者の座を狙っている。
「それで――その王都ですが、案の定、混乱しています」
おそらくこれが今日の本題なのだな、とセレスティーヌは思った。
「アルヴェリアの条約破棄が痛手だったようですね。もともとないに等しかった陛下の求心力は落ち続けています。アルヴェリアの後ろ盾を失った今、いつ周辺諸国から侵略されるかもわからない、と一部の貴族たちは泥船から逃げだそうと必死なようですよ」
「なるほど。だから、陛下から戻ってこいという手紙ばかりくるのね」
セレスティーヌは苦笑する。どうやらクラウスはセレスティーヌの居場所を突き止めたらしい。だが、直接謝罪するのはプライドが許さないのだろう。「拗ねてないで戻ってこい。アルヴェリアとの条約を結んだら、少しは愛してやってもいい」などと鼻で笑うしかない文言の手紙が届いている。もちろん無視だ。
「でも、王都の混乱はそれだけじゃないでしょう?」
セレスティーヌが意味ありげにレオンハルトに笑いかけると、彼はいたずらがばれた子供のような表情をした。
「ばれましたか。――といっても、僕が管理していた交易ルートを少し変えただけですよ。王都を外しただけです」
「それで王都に品物が入ってこないのね」
リンデンは、最近王都から流れてきた民も多い。彼らからそんな話をよく聞く。
「それに、実際のところ、兄上の自業自得ですよ。王都だけの特別関税……なんて作ったら、商人たちが嫌がるのは当たり前じゃないですか。ただでさえ、条約破棄でアルヴェリアを通る陸路は通行料がかかるようになったのに」
そのおかげで、リンデンにますます品物が集まるんですけどね、とレオンハルトは続ける。
「特別関税……。初耳だわ。カーラ妃の散財が激しいみたいだからその補填かしら」
「あの人はお金が湯水のように沸いてくると思ってますからね。あとは単純に条約破棄の影響ですね。いろいろな優遇がなくなりましたから」
セレスティーヌがいなくなった時点で、王都の機能は半分は停止したようなものなのだ。
そして、もう半分を担っているのがレオンハルト。だが、彼も手を引きつつある。
絶対にクラウスは認めないだろうが、実質この国を回していたのは、セレスティーヌとレオンハルトの二人。
クラウスは仕事ができない。彼が悪いというよりも、彼の母親が甘やかしすぎたのだ。そのため、間を空けて生まれた弟レオンハルトは、悪影響を避けるため、母親から早くに引き剥がされたらしい。
(陛下は、上に立つものは人を使えてこそ一人前だ、ってうそぶいていたけれど)
今、かろうじて王宮が回っているのは、レオンハルトの息がかかった人間が最低限のことをしてくれているから。それすらもレオンハルトの計略だ。
生かさず殺さず。
しかし、クラウスはそのことに全く気づいていない。
レオンハルトは王都に足を運ばずとも、重要な情報を手に入れているというのに。
「それで義姉上。僕のところに面白い招待状が届いたんですが、あなたのところにも届いていますか?」
レオンハルトが胸ポケットから一通の封筒を取り出した。王家の封蝋がされているそれ。
「ええ。もちろんよ。建国記念式典でしょう? 一体誰が仕切るのかと思うけれど」
セレスティーヌは口元に笑みを浮かべた。
クラウスが即位してから式典を仕切ってきたのはセレスティーヌだ。クラウスには最初から期待していないし、同じ役割がカーラという伯爵令嬢にできるとは思えない。おそらく、レオンハルトの息がかかった臣下がそれっぽい感じで仕切るのだろう。
「どうせだったら、そこで決着をつけましょう。レオン殿下」




