02. 崩壊の予兆
「義姉上はしばらくこの屋敷に滞在してください」
翌日。王宮を出たセレスティーヌは、レオンハルトとともに、彼が治めている王家の直轄地リンデンへと向かった。王都の西にある海に面したこの都市は、ヴァルディスの要所の一つで、港があるほか、大きな街道が走っている。ここに街道を通したのはレオンハルトの手腕で、それまではのどかな地方都市だった。
案内されたのは、王族が静養用に使っていたという屋敷だった。中年の夫婦が管理している屋敷は、こぢんまりとしており手入れが行き届いている。
「本当は僕の屋敷に案内したかったんですが……変に勘ぐられるのは困りますからね。自重しました」
今は慎重にしないと、と微笑むレオンハルトの表情が意味ありげに見えて、セレスティーヌの胸はどきりとした。それをごまかすようにセレスティーヌは尋ねる。
「こちらにも屋敷を持っているの?」
「ええ。こちらに拠点があった方があとあと役に立つかと思いまして。尤も、昔からリンデンの領主に受け継がれている城なんですけどね。」
含みを持たせた回答が返ってくる。
「ごめんなさいね。あなたにリンデンに集中させてあげる余裕があればよかったのだけれど」
けれど、レオンハルトに王都を離れてもらうわけにはいかなかったのだ。彼がいないと仕事が回らない。
「気にしないでください。悪いのは兄上ですから。――兄上をあそこまで甘やかした母上にも責任はありますが」
レオンハルトがどこかさみしげに言う。亡くなった彼の母親は、かなり偏った人だったと聞く。
しかし、それも一瞬。
「まあ、兄上のことです。きっと王妃の部屋から義姉上がいなくなったことに満足して、あなたがどこにいるかまでは気にしないでしょう。とりあえず義姉上はゆっくりなさってください」
送り届けてすぐに去って行こうとする彼をセレスティーヌは呼び止めた。
「ありがとう。レオン殿下。――早速、父に手紙を書こうと思うのだけれどいいかしら?」
「少しくらいはゆっくりしてもいいんですよ?」
「いえ。どうせだったらすべてすっきりしてからゆっくりするわ」
セレスティーヌの言葉にほんの少し目を丸くしたレオンハルトは、すぐに微笑みを浮かべた。
「確かに義姉上の言う通りですね。どうぞ。遠慮なく書いてください。もともと準備はしていたんです。悪いようにはしません。――兄上は、あなたのありがたさを思い知るべきだ」
「じゃあ、遠慮なくそうさせてもらうわ」
セレスティーヌもにっこりと笑って答えた。久しぶりに、本当の笑顔を浮かべた気がする。
レオンハルトを見送ったセレスティーヌは、自分にあてがわれた部屋で早速ペンを持った。
昨日のことを思い浮かべる。
セレスティーヌに向かって、王になる、と宣言したレオンハルト。
『王になる、って……』
呆気にとられるセレスティーヌに対して、レオンハルトはにこっと笑った。
『いつかこんな日が来ると思って準備をしていたんです。安心してください。既に重要なところは押さえていますから』
そんなことをさらりと言う。たのもしい、と言っていいのだろうか。
『――だから、僕の手を取ってくださいませんか。義姉上』
その姿があまりにも堂々としているから、セレスティーヌは思わずその手を取ってしまったのだけれど――。
(たしかに、レオン殿下の方が陛下より何十倍も王の素質がある)
正直な状況を手紙に書こう。
この七年、母国に訴えれば、離縁して国に戻ることもできただろう。でも、それをしなかったのは、レオンハルトや宰相がセレスティーヌを思いやってくれたから。そして無関係な民を窮地に陥れることはしたくなかったから。
クラウスはセレスティーヌを地味なもらい手もない王女だったと思っているようだが、それは全く違っている。
両親は末っ子のセレスティーヌを非常にかわいがっていた。自分の扱いを父が知ったら怒ることは簡単に予想できる。
だからこそ、何も起こらないように穏便におさめていただけなのだ。けれど。
(――もう我慢はしない)
最初にセレスティーヌを捨てたのはクラウスなのだ。
王族のくせに、自分が何のために婚姻するかもわかっていなかった男。
こんな男にこの国を任せておけるはずがない。
――案の定、可愛い末っ子王女セレスティーヌからの手紙を読んだアルヴェリアの国王は大激怒した。
一月後。
「大変です! 陛下。アルヴェリアから条約破棄の連絡がきました!」
王宮にあるクラウスの執務室の扉を、血相を変えた中年の外務大臣が派手な音と共に開く。
「きゃっ」という声を上げたカーラが慌てて胸元を押さえながら、クラウスから離れる。慌てて執務室を出て行った。
無事に正妃となったカーラとの癒やしのひとときを邪魔されたクラウスは、ご機嫌斜めだった。部屋の前を守る騎士には誰も入れるなと言付けておいたはずなのに。
「それで大臣、一体何の用だ?」
不機嫌さを隠さずにクラウスは尋ねる。外務大臣はごほんと咳払いをすると言った。
「アルヴェリアから条約破棄の連絡がきたのです」
「アルヴェリアから? 何故だ? こちらにはセレスティーヌがいるだろう」
クラウスがもらい手もないみそっかす王女であるセレスティーヌを引き取った見返りとして結んでもらった条約だ。この条約があるので、小国であるヴァルディスが周辺諸国から守られている。まあ、この美しいクラウスに、あんな地味な王女を押しつけてきたのだから、これくらい当然だろう。
母が生きていたら、絶対に止めたはずだ。常にクラウスのことを美しいと褒めそやしてくれた母。隣に立つ令嬢も美しくないと、といつも言っていた。
ようやくカーラというクラウスにふさわしい令嬢を隣に迎えることが出来て、母も天国で喜んでいるだろう。
「アルヴェリア王は、陛下のセレスティーヌ様への扱いに大層ご立腹です」
(離宮が気に食わないから、告げ口したのか?)
「わかった。あとで離宮にいってあいつの機嫌をとってやろう」
はあと、クラウスはため息をついた。面倒くさいが、アルヴェリアとの条約は国にとって大切なのは理解している。
外務大臣は何かを言いたげな顔をしたが、クラウスがひとにらみすると、そそくさと部屋を出て行った。
(まったく、本当に役に立たない女だ)
ああ。ふわふわのカーラに癒やされたい。
そんなことを思っていると、今度は交易部門の長である伯爵がやってくる。
「陛下。先日申請した交易の書類はどうなっているかという確認が来ております。このままだと交易ルートが止まります」
「はあ? それはレオンハルトの仕事だろう」
国王たる者、下の者をうまく使ってこそだ。
幼い頃から、母にそう教育されてきた。
交易ルートは大事だ。だからこそ、血を分けたレオンハルトに任せてやっていた仕事なのだが。
「それが、レオンハルト殿下はご自身が治める直轄地で問題が起こったとのことで、なかなか王宮の方に来られないそうです。さすがに王族の方が確認しないといけない書類は、私のほうではどうにもならず……」
(まったく役に立たないやつだな)
ちっとクラウスは舌打ちをする。領地一つ治められない無能が。仕事を任せられている責任感もないと来た。
「直轄地に持っていけばいいだろう」
「王宮外に持ち出してもかまわないのですか」
「ああ。私が許可する」
「承知いたしました。一応念のため、その旨紙に残していただいても?」
面倒くさいと思ったが、クラウスは伯爵がさらっと書いた紙にさらさらとサインをする。
伯爵は一礼すると去って行った。ほうっと一息つく間もなく、別の人間が次の問題を運んでくる。
次にやってきたのは外務系の仕事をしている文官だった。
「申し訳ありません。この書類にサインをいただけませんか?」
「サインだな」
「確認しなくてもよいのですか?」
目を通さずにペンを持とうとしたクラウスに、文官が尋ねてくる。
「お前たちが確認しているのだろう?」
にらみつけてやれば、文官が「はい!」と勢いよく姿勢を正した。
クラウスはそのままさらさらとサインをすると、文官に押しつけた。
その後も、ひっきりなしに部下たちがやってきて、仕事が滞っている話をしては去って行く。
そんな誰でもできる仕事はクラウスの管轄下ではないというのに。
(早くセレスティーヌの機嫌をとらねばならぬのに)
夕方近く。ようやく時間ができたクラウスはセレスティーヌが住む離宮へ足を運ぶ。
セレスティーヌは愛に飢えているはずだから、適当に甘い言葉を投げて微笑みかければ機嫌を直すだろう。サービスでキスの一つくらいしてやってもいいかもしれない。アルヴェリアとの条約のためなら安い物だ。
そんなことを思いながら離宮へとたどり着き、クラウスは驚愕の事実を知る。
「はあ? セレスティーヌは王宮を出て行っただと!?」




