01. 「あなたのために王になります」
「見て、王妃様ったらまたお一人よ」
「仕方ないわよね。だって陛下に見向きもされていないもの」
「わたくしだったら、あんなふうに一人で座っていることなんでできないわ」
くすくすくす。
令嬢たちのあざ笑う声が王妃セレスティーヌの耳に入ってくる。
王に見捨てられた王妃。それが今のセレスティーヌの立ち位置だ。
王宮の大広間では、国中の貴族を集めて王の誕生祭が豪勢に行われていた。
御年二十七になった若き国王クラウスの隣には、王妃であるセレスティーヌではなく、最近のクラウスのお気に入り――伯爵令嬢カーラが座っている。
金髪碧眼の華やかな美丈夫であるクラウスと、ピンクブロンドの可愛らしい令嬢は並んでいると非常に絵になる。
その一方でセレスティーヌに用意されたのは、玉座から遠く離れた場所に用意された簡素な椅子。
夫から嫌がらせのように用意されたくすんだ色のドレスを身につけたセレスティーヌは、毅然と背を伸ばしたまま自分に言い聞かせる。
こんなことで傷ついてはいけない。だってそれが夫の目的なのだから。
――結婚当初から、茶色の髪に茶色の瞳という地味な色しか持たないセレスティーヌがクラウスは気に入らないのだ。
彼は自分の容姿を誇りに思っていて、隣にはふさわしい華やかな令嬢が並ぶと信じていたから。
「セレスティーヌ」
腕にカーラを絡みつかせながら、クラウスがセレスティーヌを呼びつける。
セレスティーヌが平然としているのが気に食わず、皆の前でいたぶるつもりなのだろう。
諫める声がないのは、セレスティーヌがそれを望んでいるからだ。王の不興を買ってまともな人間の道を閉ざしたくはない。
「何でしょうか?」
セレスティーヌはすっくと立ち上がり、玉座の前へと進んだ。
周囲の貴族たちが、セレスティーヌのために道をあける。
貴族たちと談話していたクラウスの弟――レオンハルトが心配そうにセレスティーヌを見つめているので、大丈夫と言うように軽く微笑んで見せた。それも一瞬。まっすぐに前を向く。
クラウスは、玉座の正面に立ったセレスティーヌの全身を眺めると、はんとつまらなそうに鼻で笑った。
「本当にお前はつまらない女だな。もう少しカーラのようにかわいげを持ったらどうだ?」
「ふふ。セレスティーヌ様は愛されたことがないから仕方がないんですよ」
クラウスの腕に絡みついたまま、カーラは勝ち誇ったようにセレスティーヌを見下ろす。
反応したら負けだ。
黙ったままじっと見つめてくるセレスティーヌに焦れたように、クラウスがびしっとこちらを指さした。
「だんまりか。まあ、いい。お前が今更かわいげを持てるとは思えん。今日からお前は側妃に降格だ!」
さすがの宣言に貴族たちがざわめいた。
「お前が嫁いできて七年。懐妊の兆しもない。降格理由には十分だろう」
(白い結婚で子どもが出来る方が大問題じゃないの)
こんな地味な女が抱けるか。そう言い捨てて初夜の部屋から夫は花嫁を放置して出て行った。以降、一度も部屋に訪れたことはない。
国王夫妻が白い結婚なのは、公然の秘密だというのに。
「承知いたしました」
勝ち誇ったように笑うクラウスに向けてセレスティーヌは深々と頭を下げた。
「そ、そうか! なら、今日中に王妃の部屋から出て行くんだ。あの部屋はカーラのものになるからな!」
あまりにも静かにセレスティーヌが受け入れたことがクラウスには意外だったらしい。こちらに命令する声に動揺がにじんでいた。
「陛下のお心のままに」
「他に何か言うことはないのか!」
(受け入れるって言っているのに何が不満なのかしら)
抵抗するセレスティーヌをなぶるようにして見世物にしたかったのだろう。クラウスにはそういう嗜虐的な部分がある。
セレスティーヌは顔を上げるとまっすぐにクラウスを見つめた。白い結婚のまま、捨てられた。なのに、何の気持ちも湧いてこない。
「特にはございません。それでは。これ以上何もないでようであれば、わたくしはお暇させていただきます。部屋を引き払う準備をしなくてはなりませんので」
何故か悔しそうな顔をしているクラウスと愛人を一瞥すると、セレスティーヌはきびすを返した。
大広間の扉を閉めてしまえば、喧噪は途端に遠くなる。
立ち止まったセレスティーヌは大きく息を吐き出すと、王妃の部屋へと向かい歩き始めた。
即位したばかりの若き国王クラウスの後ろ盾として、大国アルヴェリアから嫁いだ末の王女。それがセレスティーヌだ。
なのに、十八歳のセレスティーヌを待っていたのは「お前みたいな地味な女を愛せるわけがない。愛は期待するな」という夫からの非情な宣言だった。
それからの七年は、ひたすらに耐える毎日。
容姿だけは一流の夫だが、実務は残念の一言。宰相を中心とした家臣たちが国を回していた。見かねて夫の分まで仕事をしたが、もちろん夫からは感謝などされず、当然と言う態度。
それでもセレスティーヌが頑張ってこられたのは家臣たちの心遣いと……。
「義姉上!」
後ろから声をかけられてセレスティーヌは足を止めた。このようにセレスティーヌを呼ぶのは一人しかいない。
振り返ると、先ほど心配そうにこちらを見ていたレオンハルトがこちらに走ってくるところだった。
「レオン殿下」
「義姉上、本当によかったんですか?」
今年十八になったレオンハルトは、金髪碧眼の柔和な美青年だ。
嫁いできたばかりで知り合いもいなかった頃、庭でぼんやりとしていたセレスティーヌに声をかけてく
れたのが、当時十一歳だったレオンハルトだ。
末っ子だったセレスティーヌにとって、義姉上と呼び慕ってくれるレオンハルトは可愛くて仕方がなかった。
レオンハルトは聡明な少年で、彼の師だった宰相が一年前の引退時に「もう何も教えることはない」と言い残したことは有名だ。
クラウスに子どもが二人できたら臣籍降下する予定の彼は、数年前から既に公務に深く関わっており、将来は宰相になるだろうと既に囁かれている。
「ええ。もういいの。疲れたわ」
先ほどの降格宣言で、セレスティーヌの中で何かがぽきりと折れてしまった。
もともと夫が自分を見ていないことはわかっていた。それでも、セレスティーヌが正妃でいることの大切さくらいはわかっていると思ったのに。
「……っ」
セレスティーヌが力なく微笑むと、レオンハルトはぎゅっと拳を握った。
「兄上は、あなたのおかげで国が成り立っていることを、全く理解していない」
怒りがこもった口調で吐き捨てる。
レオンハルトの言うことは誇張ではない。セレスティーヌがいるからこそ、大国アルヴェリアの支援を受けることができ、成り立っていることがいくつかある。交易関連に力を入れているレオンハルトは、それを知る機会も多い。
「我がヴァルディスはアルヴェリアのおかげで持ち直したというのに」
「しかたないのよ。私では陛下のお眼鏡に適わなかったのだから」
「兄上の人の見る目がなさ過ぎるだけです。義姉上はとても美しいのに」
きっぱりとレオンハルトは断言した。レオンハルトのセレスティーヌびいきは昔からだ。
「ありがとう。レオン殿下。あなたがいたから私はここまで頑張ることができたわ。でも、さすがにもう限界。王宮を出ようと思うの」
セレスティーヌの心は凪いでいる。
そうだ。側妃に降格してまでこの国を支えている意味などない。
国王としてのクラウスには不安しかないが、レオンハルトがいればなんとかなるだろう。
「ええ。義姉上。もうあなたが我慢する必要はありません」
レオンの蒼い瞳がまっすぐにセレスティーヌを見据える。
「――もし、ここを出ていくつもりなら、僕も連れて行ってください。あなたが辛い思いをする国など、どうなってもかまいません」
「それは――駄目よ」
レオンハルトは数年前からすでにクラウスが放り出した執務の多くを代行している。セレスティーヌの負担を軽減してくれた形だ。
セレスティーヌだけでなく、彼までもいなくなったらこの国は回らなくなってしまう。レオンハルトはこの国の良心だ。
「何故ですか?」
「だって、あなたまでいなくなってしまったら、アルヴェリアは確実にヴァルディスから手を引くわ。そうなったら何の罪もない民まで困ってしまう」
セレスティーヌがヴァルディスに戻っても、レオンハルトがアルヴェリアにいる限りは、彼を信じて支援をしてほしい。そう父には言うつもりだった。
「義姉上はだいぶ僕を買ってくださっているんですね」
「ええ。もちろん。だから――」
思いとどまって。そう言おうとしたセレスティーヌの声は、思いも寄らぬレオンハルトの宣言に遮られる。
「わかりました。では、あなたのため、あなたを守るために王になります」
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