第三章(三)
結局、朝宮は髪を結び直してはくれなかったが、その日の作業が終わるころには、生徒会机に置かれた朝宮の動物コレクションへ、新しく秋田犬が加わっていた。
それから数日、俺は倉庫から持ち帰ったスタイロフォームを切り出し、初日から作っていた脚や腰へ組み合わせていった。水色の塊は、日を追うごとに朝宮と同じ比率の人型へ近づいていく。
椿原が最初に引いたスケジュールどおり、最初の1週間が終わる前に、スタイロフォームの芯材ができあがった。
水色の人形が、首をかしげてこちらを振り返っている。
明日から粘土をつけていける。その日の片づけをしていると、朝宮に声をかけられた。
「ねえ、五百蔵くん。あのさ……カピバラって、どうやって作るの」
「カピバラ」
朝宮の手のひらには、丸い胴体に短い脚が四本つき、顔らしき部分から小さな耳が生えた粘土の固まりが載っている。
「なんか、それっぽく見えないんだよね。耳の小さいうさぎにも見えるし」
俺はスマホを取り出し、カピバラの写真を検索した。画面を朝宮にも見えるよう、作業机の上へ置く。
「胴体をもう少し太くして、首を短くする。鼻先は丸めず、前へ出す」
「……こう?」
「違う。鼻先が細い。それだと犬に近い」
「難しいなあ……」
言葉だけでは伝わらないらしい。俺もスカルピーを取り、写真と見比べながら形を作っていく。太い胴体へ大きな頭をつなげ、鼻先を前へ出す。最後に小さな耳をつけた。
「え、すごい。すぐカピバラっぽくなる」
「俺も、写真を見るまでは形がはっきり思い浮かばなかった。分からないものは、実物か写真を見たほうがいい。想像だけで作ると、自分が知っている形に寄ってしまう」
「だから私のことも、来るたびにちゃんと見てるんだね」
「そうだ。朝宮は服も髪の結び方も毎回少しずつ違うから参考になる」
「それ、褒めてる?」
「褒めている」
「そうかなあ?」
朝宮はくすくすと笑った。
「朝宮。明日から粘土を盛っていく。さっきも言ったが、朝宮を見ながらのほうがよくできる。この先どのくらい来られる」
「うーん……今日で忙しいのは終わりかな。この先も何日か入ってるけど、今までみたいに毎日じゃないよ」
「む」
「でも、いいよ。助っ人ない日もなるべく来ようかな」
「本当か」
「うん。私も、もう少し作りたいし」
「助かる」
翌日から、スタイロフォームの芯へ石塑粘土を盛り始めた。胴体から始め、少しずつ全身へ広げていく。
必要なときだけ、朝宮にモデルの位置へ立ってもらった。それ以外の時間、朝宮は丸椅子に座って、昨日作ったカピバラを直していた。快吏と椿原も、それぞれいつもの場所で作業をしていた。
昼をだいぶ過ぎたころ、美術室の引き戸が開いた。昼間先生が小さなビニール袋を掲げて立っている。
「おはよう、みんな」
「おはようございます」
朝宮が真っ先に挨拶を返した。
「みんな元気だよね〜。椿原さん、はいこれ」
以前よりは眠くなさそうな顔で、ビニール袋を一番近くにいた椿原の机に置いた。
「あら、これは……?」
「差し入れ〜。アイス買ったんだけど、一本食べて満足したから、残りはみんなに食べてもらおうと思って」
「ってそれただの残り物じゃないすか」
「差し入れだよ〜」
昼間先生はそう言うと、等身大フィギュアのほうに気の抜けた足取りで近づいてきた。
粘土を盛り始めた胴体部分を見ながら言う。
「五百蔵くん、今日の作業が終わったら、これはどうするつもり?」
「上からビニールで覆います。まだ手直しできる状態にしておくためです。急に乾燥させると、ひび割れる可能性もあります」
昼間先生は、ふうん、と頷いた。
「間違っていますか」
「作り方は人それぞれだから、正解なんてないしねえ。でも、やるなら濡らしたガーゼかタオルで覆って、その上からビニールをかぶせておくといいよ」
「分かりました」
今のやりとりを眺めていた朝宮が言った。
「なんか、先生っぽいですね」
「先生ですけど。美術の」
昼間先生は「差し入れしに来ただけだから」と言い残し、今回もすぐに美術室を出ていった。
閉じた引き戸を見ながら、快吏が唸る。
「昼間先生って休み前より夏休み中のほうが元気だよな。めちゃくちゃ動いてる」
「そうなの? それよりアイス食べよ。溶けちゃうよ」
俺たちもいったん作業を止め、作業机に集まった。袋の中には、封の開いたアイスの箱が入っていた。ソーダ味の棒アイスが並び、たしかに一本だけない。
全員がそれぞれ一本ずつ取った。
かじると外側のシャーベットの中からバニラアイスが出てきた。甘い。
「生き返る〜。アイスって何本でも食べられるよね」
朝宮のほうを見たら、すでにアイスを食べ終えていた。
「朝宮さん、早くね?」
「美味しいんだもん。もう一本食べていい?」
「昼間先生が9本も置いていった。残さないほうがいい」
「やった」
朝宮は箱から二本目を取って、袋を破る。
「あ、そうだ彩ちゃん。来月の夏祭り、どうする?」
椿原は思い出したように「そうでした」と声を漏らした。
「15日と16日でしたね。実は商店街の方から、生徒会に運営のお手伝いを頼まれているんです」
「え、そんなこともしてたの?」
「はい。でも私の担当は初日だけなので、二日目なら行けますよ〜」
「やった。じゃあ一緒に行こ」
「夏祭りって、水守神社の?」
アイスの棒を口にくわえながら快吏が聞く。
「そう。花火が上がるから見たいんだよね。辻くんも行く? っていうか、みんなで行かない? 五百蔵くんも」
「俺もか」
「そうだよ」
「制作がある。行けない」
「二日目は日曜日だよ。美術室、閉まってるでしょ」
「家でできる作業もある」
「それどうせ全国展とは別のフィギュア作るだけだろ」
「そうだが、水守神社の祭りなら去年も行った。屋台も、来ている人の服装も、神社の造りもひととおり見た。もう知っている。今回の制作に必要なものはない」
椿原が苦笑した。
「五百蔵くんらしいですねえ」
「出たよ。余、こうなると動かねーからな」
「んー……あのさ」
朝宮は言葉を選ぶように少し間を置き、俺を見た。
「お祭り、私、浴衣で行こうと思ってるんだけど」
「浴衣?」
「私が着てるところは、まだ見たことないでしょ。モデルの資料には、ならない?」
「いや、なる。行く」
「はっや。どんな手のひら返しだよ、お前それずるいぞ」
「なにがだ」
快吏がなおも何か言いかけたが、朝宮がそれを遮った。
「決まりね。じゃあ、8月16日!」
なお、9本あったアイスは、朝宮が4本、俺が1本、快吏と椿原が2本ずつ食べた。
8月16日。制作を始めてから、4週間が過ぎるころだ。
帰りにはみんなに手伝ってもらって、粘土を盛った部分を濡らしたガーゼで覆い、その上から透明なビニールシートをかぶせた。
それからも、朝宮は美術室へ来た。毎日ではなかったが、来るたびに即席の生徒会机の端へ、小さな動物が一体ずつ増えていった。
制作期間の3分の1を過ぎたころには、ハムスター、うさぎ、秋田犬、カピバラに、猫、たぬき、にわとりが加わり、7体になっていた。どれも形はまだ歪だが、もう名前を聞かなくても何を作ったのか分かる。
フィギュアにも、少しずつ朝宮の身体の線が現れ始めていた。
制作は3週目の半ばに入っていた。
作業は、椿原が美術室の黒板に書いた予定より1日ほど早く進んでいる。俺より少し背の高いフィギュアは、胴体から脚まで石塑粘土に覆われていた。
だが、フィギュアの前に立った瞬間、違和感を覚えた。
一歩下がり、頭から足元まで見直す。
粘土が剥がれ落ちた形跡も、どこかが崩れた様子もない。
ない、のだが……何かが昨日までと違う。
やがて、気づく。
「……傾いている」
「なんか言ったかー?」
窓際の椅子でノートPCを操作していた快吏が、顔も上げずに聞き返した。
「フィギュアが昨日より傾いている」
「えー? どれ」
快吏はフィギュアを正面から眺め、少し移動して横から目を凝らした。しかし、大げさに腕を組んで低く唸った末に、
「分かんね」
とだけ言った。
「確かだ。昨日より左に傾いている」
「覚えてないっつーか、見ても分かんねーよ。えーっと、そうだ」
快吏は作業机からタブレットを取ってくると、これまで撮りためた制作映像から、数日前のものを呼び出した。画面とフィギュアを交互に見比べる。
「粘土盛り始めたの、10日くらい前か? んー……たしかに2、3日前のと比べたら、まあ、微妙に傾いてるな。ほんと微妙だけど」
「粘土を盛った影響だ。このまま盛れば、傾きはさらに大きくなる」
フィギュアには、振り返るポーズを支えるため、軸になる片脚から胴体へ太めの支柱を一本通してある。粘土の重さも見込んでいたつもりだったが、支柱が短かったのか、固定が甘かったのか。これほど大きなものを作った経験がなかったとはいえ、見通しが足りなかった。
「支柱足せば? 規定に使うなとは書いてないだろ」
「……そうだが、俺は朝宮の姿だけを見せたい。足元や腰から、補助の棒が伸びて見えると、全体の邪魔になる」
「そうかあ? 20センチのフィギュアだって普通に支柱見えてるのとかあんじゃん」
そのとき、美術室の引き戸が開いた。
「おはよー」
夏服の制服姿の朝宮だった。
今日からフィギュアの制服を作り始める予定だったから、昨日、同じ格好で来てほしいと頼んであった。
「おはよ、朝宮さん。ちょっとこれ見てよ」
「え?」
快吏が事情を説明すると、朝宮は首をかしげた。
「補助の支柱を使うってこと?」
「そう。でも余としては朝宮さんの横に棒が見えるのが嫌なんだと」
「そ、そう。……それなら、うん」
朝宮は少しうわずった声で答える。
「あ、でも、倒れて壊れたら、そのほうが嫌だし。支柱は使ったほうがいいんじゃない?」
朝宮の言うとおり、倒れて壊れては意味がない。かといって、見た目まで譲る気はない。
「……支柱を何かに見立てて、作品の一部にするしかないか」
快吏が「ああ」と納得したように頷いた。
「見立てる?」
「フィギュアでもあるんだけどさ、支柱を小道具の形にして目立たなくするんだよ」
「いいんじゃない?」
「モチーフが思いつかない」




