第三章(二)
次の制作日も、朝から芯づくりを続けていた。昼前に快吏が来て、持ち込んだノートPCで撮影した映像の編集を始めた。そのあとに来た椿原も、即席の生徒会机へ書類を広げる。
「昨日の資材ですが、昼間先生へ連絡はつきました〜。今日、材料の件でこちらへ来てくださるそうです」
「何時に来る」
「昼ごろと言っていました」
「……分かった」
それからしばらく黙々と作業をしていると、開け放した窓から甲高い歓声が飛び込んできた。遅れて、ぱらぱらと拍手も聞こえる。
「そういや、今日ソフト部って言ってたな」
快吏が窓からグラウンドを覗き込むと、少し間を置いて金属バットがボールを捉える音が聞こえる。直後、歓声と拍手が上がる。
「余、見てみ。朝宮さんすげーよ。練習試合してるわ」
「朝宮?」
「いま二塁にいる」
俺も窓からグラウンドを見下ろした。
ソフトボールのダイヤモンド。その二塁ベースに片足をつけ、腰を低く構えている選手がいる。それでも他の選手より背が高く、手足が長いのが分かる。朝宮だ。
朝宮は投手が構えるのに合わせ、ぐっと脚に力を入れたかと思うと、投手の手からボールが離れたのと同時に走り出した。
捕手の送球が三塁へ届くよりはやく、足から滑り込む。
歓声があがった。
「朝宮さん相変わらず人気だな。助っ人なのにファンまでいるし」
「あれはソフトボール部の1年生ですよ〜。みなもちゃん、運動部では人気がありますから」
「ふむ」
朝宮はグラウンド脇に集まる部員たちへ手を振り返していた。
また一段大きな声が返るのを背中に受けながら、俺は作業へ戻った。
たしかに、ああしている朝宮は目を引く。走る姿も、歓声へ応える姿もさまになっている。
その後はまた手元しか見ておらず、試合が終わったことを知ったのは、スポーツバッグを提げた朝宮が美術室へやってきたときだった。
「下校までもうあんまり時間ないけど」
「助かる。昨日と同じ場所に立ってくれ」
「来てすぐ?」
「ああ」
朝宮はスポーツバッグを壁際へ置き、美術室の中央に立った。俺は脚から腰までの線を見比べながら、スタイロフォームを削っていく。
20分ほど作業を続けるうち、完全下校まで残り15分を切っていた。用意していたスタイロフォームも、今日で底をつく。昼ごろに来ると言っていた昼間先生は、まだ姿を見せない。材料の返事はどうなったんだ。
そう考えたところで、美術室の引き戸がゆっくりと開いた。
白衣を羽織り、ぼさついた髪を無造作に後ろで束ねた、眠そうな顔の女性が立っている。
「昼間先生、遅いです」
椿原に言われたものの、大きなあくびをしながら入ってくる足取りは、少しも急いでいない。
「椿原さんは人使いが荒いんだよねえ。気づいたら先生が同好会の顧問になってるしさ」
「あら? 快く引き受けてくださったではないですか〜」
「あれを快くというのは椿原さんだけだよ〜」
文句を言っているわりに、二人とも楽しそうに笑っている。
「それで、材料の件はいかがでしょう?」
「芯材に使えそうな発泡材なら、文化祭で使ったものが体育館裏の倉庫にまだ残ってるねえ。もう処分する予定だから、必要なぶんは持っていっていいよ」
「では、回収は明日ですね、五百蔵くん」
「倉庫の鍵は職員室にあるから、明日取りに行って。終わったら返しておいて」
「話だけ通して、あとはオレら任せか。さすが昼間先生」
「ありがとう、辻くん」
「でも、ちゃんと来てくれたんだし」
朝宮が昼間先生をかばう。
「朝宮さんは優しい」
昼間先生はそのまま俺のそばまで来ると、脚から腰にかけて人の形が見え始めたスタイロフォームの芯材を、眠そうな目で眺めた。
「うん、頑張ってねえ」
感想はそれだけだった。
「使ったら片づけて、戸締まりもしっかり。それじゃ、また来るから〜」
用件だけ済ませると、昼間先生は来たときと同じゆっくりした足取りで帰っていった。
「……また来るって、いつだろ」
閉じた引き戸を見ながら、朝宮が言った。
「いつになるかは分かりませんねえ。昼間先生の『また』は信用せず、片づけましょうか」
「ああ」
「私も手伝う」
「朝宮さん、まじ助かる」
全員で帰り支度をしていると、朝宮が作業机の上に残していたスカルピーの前で止まった。
「五百蔵くん。これ、また使ってもいい?」
「問題ない」
朝宮は、まだ何の形にもなっていない袋の上のそれを取ると、手のひらでこね始めた。
両手を擦り合わせるようにして粘土を丸め、指先でつまんで形を整える。しばらくして、朝宮が顔を上げた。
「できた」
手のひらに載せたものを見せてくる。
「どう、かわいい?」
そこにあるのは雪だるまのように二段に重なった丸い玉に、細長い突起が2本刺さったなにか。なにか、というよりおそらく動物だ。かわいいかどうかを判断するには、まだ形が単純すぎる。だが、特徴からして——。
「……うさぎだ」
「正解!」
朝宮は即席の生徒会机の端にうさぎを置いた。隣には昨日作っていたハムスターも置いてある。
「次は何作ろうかな」
「毎回作るのか」
「うん。次も五百蔵くんなら当ててくれそうだし」
「正答率を上げたいなら、耳だけでなく前脚と後ろ脚も作ったほうがいい」
「え〜」
「うさぎにはある」
「それはそうだけど、こっちのほうがかわいいかなって」
朝宮はうさぎを正面から見たり、横から見たりして、迷い始めた。
目の前の朝宮は、ソフトボールをしていたときとはずいぶん印象が違って見える。粘土をこねているときも真剣ではあるが、どこか隙があって、柔らかい。やっていることも違えば、遠目でもあったし、当然かもしれない。
「スカルピーはしばらく美術室に置いておく」
「ありがと。明日は午後から助っ人だけど、午前中に倉庫へ取りに行くなら、私も手伝えるよ」
「モデルの仕事ではない」
「モデルの仕事じゃなくてもいいじゃん。倉庫に行くの、ちょっと楽しそうだし」
「助っ人代は必要か」
「うーん。今回は、善意で」
「善意」
「人手はあったほうがいいんじゃね」
「では、明日は朝から全員で行きましょうか〜」
翌朝。
俺たちは体育館裏にある、教室の半分ほどの広さのプレハブ倉庫にいた。
日差しに熱されたスチール製の引き戸を開けると、中にこもっていた熱気が顔に当たる。
「あっっっつ」
後ろにいた快吏が入ってもないのに声を上げた。
薄暗い倉庫の中は文化祭で使ったらしい看板やベニヤ板、段ボールが雑然と積み上げられている。一見しただけでは、どれにスタイロフォームが使われているのか分からない。ひとつずつ確かめていくしかなさそうだ。
「手早く済ませましょう。五百蔵くんは奥、快吏くんは右側、私は左側を探します。みなもちゃんは入口のあたりをお願いしますね〜」
奥に進んで重ねて立てかけてあったベニヤ板を引っ張り出し、裏返す。スタイロフォームは使われていたが、小さく切られ、芯材には適さない。
使われてはいても、芯にできる大きさで残っているものはなかなか見つからない。
看板を何枚か動かしただけで、額から流れた汗が顎を伝った。
「ええっと……スタイロフォームって、これ?」
入口のほうで資材を仕分けていた朝宮が、声をかけてくる。
手にはベニヤ板の間にスタイロフォームを挟んだ看板。水色の板は、ほとんど一枚のまま残っている。
「それだ。はずせるか」
「やってみる。……んっ」
朝宮は片方のベニヤ板を足で押さえ、もう片方を両手で引っ張った。一度、二度と失敗し、三度目に力を込めたところで、ばりばりばりっ、と派手な音を立てて二枚が剥がれた。
豪快だ、朝宮。
「余、こっちにもあったわ」
「五百蔵くん、これは使えますか?」
快吏と椿原も、それぞれ資材の山から水色の板を見つけていた。
ひととおり探し終え、俺たちは倉庫の入口に集まった。足元には、大小の使えそうな水色の板が山になっている。
「今回の芯を作るには足りそうだ」
「予備も探しておいたほうがいいんじゃないですか? ここになければ、ほかにも残っていないか昼間先生に聞きますけど」
「そこまでしなくてもいいんじゃね?」
「あらぁ。快吏くんに頼まれた以上、全国展へ出品するところまでは面倒を見ますよ。途中で制作が止まったら、引き受けた意味がないでしょう?」
「全国展に出たいとは言った。言ったけどそこまで頼んでないっつーか」
「大丈夫です。五百蔵くんには、絶対に作品を完成させてもらいますから」
椿原はにっこりと笑った。
「怖い怖い。椿原、目が怖いって」
「頼もしい。椿原は責任感がある」
「五百蔵くんには、頼もしく見えるんだ……」
「じゃあ、もう戻ろうぜ。暑くて無理」
集めた板を四人で分けて抱え、旧校舎へ向かった。倉庫には30分もいなかったはずだが、全員が汗だくになっていた。夏のプレハブ倉庫は恐ろしいものだ。
途中の自動販売機で飲み物を買った。美術室へ着くなり、板を壁際へ立てかけ、四人揃って飲み物を喉へ流し込む。冷たい麦茶を一本空けるころには、身体にこもっていた熱も少し引いた。
壁際に立てかけた水色の板へ目をやる。朝宮が午後の助っ人へ向かうまで、あまり時間はない。
俺は立ち上がり、朝宮を呼んだ。
「朝宮。昨日と同じ位置に立ってくれ。作業を再開する」
「ちょっと待って。さっきので髪が崩れたから、結び直す」
言いながら朝宮は髪ゴムを外し、口にくわえた。
黒い髪が一度肩へ落ちると、それを両手ですくい集めながら再び高い位置でまとめ始めた。
髪を結ぶために上げた腕は、袖に隠れていた部分だけが白く、その先は日に焼けている。
「よし。いいよ」
朝宮が腕を下ろすと、見えなくなった。
「もう一回」
「え」
「今のを、もう一回やってくれ」
「…………やだ」
「…………そうか。残念だ」
「早く作れよ」
「モデルへの配慮もお願いしますね〜」




