第三章(一)
翌日の昼前。夏休み初日だ。
「だいたい、こんなものかな?」
白いTシャツに紺色のショートパンツ姿の朝宮が、額の汗をぬぐいながら言った。
「……これ、モデルとは別に、助っ人1回で数えていい?」
「構わない」
「やった。じゃあ今日は2本ね」
等身大フィギュアの本制作は、作業場所を確保するところから始まった。
並んでいた作業机を壁際へ寄せ、イーゼルや石膏像、道具を載せたワゴンも邪魔にならない場所へ移す。空いた中央のスペースへ、なるべく広く養生シートを敷いた。
ここが等身大フィギュア制作の作業スペースになる。
「これで作業場所はできましたかね〜?」
夏休みに入っても制服姿のままの椿原が黒板の前に立って言う。
その前には、作業机を2台並べた即席の生徒会机ができあがっていて、プリントが何束も積まれている。
「彩ちゃん、なんで自分の机まで作ってるの?」
「ここでも生徒会の仕事をするからです。ただ、生徒会室と行き来することになるので、私がいないあいだも予定どおり進められるよう、まず作業工程を確認して、予定を立てましょうか〜」
椿原は、表紙に小さなヒヨコが並んだ手帳を開いた。
「では五百蔵くん。何を、どういう順番で作るのか教えてください〜」
「なぜだ」
「私が同好会の代表者だからです。何をいつまでに作るのか、把握しておく必要があります」
たしかに、申請書の代表者欄には椿原の名前があった。
なら、説明する必要はある。
「今日は芯づくりから始める。それができたら粘土をつけて、それもできたら彩色をする。完成だ」
「……一度、使う材料から確認していきますね〜。準備室にある廃材は使っていいと、昼間先生から許可を取ってありますよ。それと、フィギュアなんですから、粘土も使うでしょう?」
「そうだな」
「粘土って昨日、私が触ったやつだよね。なんていったっけ、あれ」
「スカルピー? ……いや、あれは無理じゃね」
壁際でコンセントを探していた快吏が答えた。横には、家から持ってきたという古びた扇風機が置かれている。
「そうだ。ただ、スカルピーはオーブンで焼かないと硬くならない。等身大では分けて焼くパーツが多すぎるから、今回は使えない」
「じゃあ、何を使うの?」
「石塑粘土だ」
「せきそ粘土?」
「石の粉を混ぜた粘土だ。自然に乾いて固まる」
「焼かなくていいから、等身大でもいけるってことか」
快吏が立ち上がった。アバンギャルドなTシャツに短パン姿だ。古びた扇風機が回り始め、ぬるいながらも風が届く。
「その粘土は乾くまでにどのくらいかかるんですか〜?」
「粘土の量によるが、3、4日だ。乾いてからも、ひびや凹凸があれば埋め直して、また乾かす。彩色はそのあとだ」
椿原のペンがさらさらと手帳の上を走る。
「それなら、乾燥と補修には1週間ほど確保しておきましょうね〜」
「そんなにはかからない」
「スケジュールには予備日が必要なんですよ。芯づくりは何日くらいかかる予定ですか?」
「5日」
「余裕を見て1週間、と」
「また増やした」
椿原はにこりと笑い、手帳へ書いた内容を黒板へ写していった。
最初の1週間で芯づくり。続く3週間で石塑粘土による造形。5週目に乾燥と補修。最後の1週間で彩色と撮影。
開始日は今日、7月18日。提出期限までの6週間が埋まった。
「これで最終日まで、しっかり制作ですね〜」
予定が決まったところで、昨夜のうちに寸法を決め、今朝、全員が来る前に組んでおいた台座を養生シートの中央へ運ぶ。正方形の合板に、全身を支える角材を固定したものだ。
俺はその前に座り込み、ワイヤーやペンチなどの道具を広げた。角材を軽く揺すり、ぐらつきがないことを確かめる。これで全身の芯を組んでいける。
最後に角度を確かめていると、視界の端に白い上履きのつま先が見えた。
「五百蔵くん、さっきから、なにしてるの?」
朝宮の声が上から降ってくる。
長い脚をたどって視線を上げると、朝宮は俺ではなく合板を見下ろしていた。
「台座だ。フィギュア全身を支える芯になる」
「芯づくりに使う芯ってこと? へー」
朝宮が、今度は台座のそばに重ねてあった水色の板を指した。
「これが、さっき言ってた発泡材?」
「そうだ。スタイロフォームという。これを削って、粘土の下の形を作る」
準備室には、スタイロフォームが何枚か残っていた。どれも角が欠け、切り口も不揃いだが、芯材として中へ入れてしまえば問題ない。
「こんなのも使うんだね」
言いながらしゃがみ込んだ朝宮は、水色の板を人差し指でつつく。
「興味があるのか」
「え? うん。見たことないものって気にならない?」
「気になる。造形に使えそうなら、どう使うのか調べる」
「五百蔵くんって、粘土だけじゃなくてこういうのも使えるんだね。私、昨日ハムスター作るので精一杯だったよ。辻くんは豚って言ってたけど……」
「ハムスターには見えた」
朝宮は材料よりも、それで何を作れるのかが気になるらしい。
俺は何を作るかより、どうやって形にするかのほうが気になる。
……そんなことを考えている場合ではなかった。まずは、目の前のスタイロフォームを切り出さなければならない。
「朝宮」
「なに?」
「その場で少し立ってくれ。昨日と同じポーズで」
「はーい」
朝宮はすっと立ち上がると、俺に背を向け、肩越しにこちらを振り返った。
俺は朝宮の隣へスタイロフォームを立て、頭頂や肩、腰の位置に切り出し用の線を入れていく。
試作のおかげで、フィギュアのだいたいの比率は頭に入っている。線に沿って脚の片側を切り出したところで、用意したスタイロフォームの3分の1ほどを使った。
「…………」
朝宮も俺の視線を追い、残りのスタイロフォームと自分の身体を交互に見た。
「五百蔵くん、それ、足りるの? 全身に使わないとなんだよね?」
「足りないな」
会話を聞いて、快吏も残った板を覗き込みに来た。
「全然足りねえじゃん。これ、あとどんくらい持つ?」
「もう片方の脚と腰まで作れば、ほとんどなくなる。上半身のぶんが足りない」
「買い足すしかないか。つっても、粘土だけで結構かかるし、制作費が馬鹿になんねー。節約できるところは節約したいんだけどな」
「粘土は使い回せない。準備室にある廃材も、これで全部だ」
俺と快吏は、残ったスタイロフォームを前に黙り込んだ。
朝宮が即席の生徒会机で書類を整理していた椿原に言う。
「彩ちゃん、学校のどこかに、ほかに余ってる材料ってないの?」
椿原は書類から顔を上げた。
「そういえば、6月の文化祭で使った資材が、まだ体育館裏の倉庫に残っているはずです」
「おお、あるじゃん」
「今から見に行けるのか」
腰を上げかけたのを、椿原が手で制止する。
「勝手に持ち出してはいけませんよ〜? 備品なのか、廃棄予定なのか確認が必要です」
「いつ分かる」
「昼間先生に確認しないとですねえ」
「昼間先生かあ……」
快吏があからさまに肩を落とした。
「今日は出勤しているはずです。どこにいるか確認してみますね〜」
「居場所からなのか」
「五百蔵くんは、残っている材料で進められるところまで進めていてください」
「……分かった」
許可が取れるまで待つ必要はない。残っている材料で、進められるところまで進めておく。
もう片方の脚の輪郭を引き、線に沿ってカッターを入れる。
「では、私は昼間先生を探してきますね〜。みなもちゃんは、今日はどこの部活の助っ人に行くんですか?」
「午後からバレー部。明日はハンドボール部」
朝宮が午後から行くのなら、脚部分だけでも正確に形をとっておかねば。
脚の形に切り出したスタイロフォームを、まずは台座から伸びた支柱を挟むように合わせ、ワイヤーで仮留めする。
「本当に大活躍〜」
朝宮の脚と見比べる。
長さは申し分ないが、ふくらはぎの膨らみはもう少しなだらかにしたほうがいい。
仮留めを外して、引いた線より内側を1、2ミリ削る。
「辻くん、なにしてるの」
「制作動画の準備。カメラだけとりあえず回しておこうと思って」
「そうなんだ。……あれ、私、顔映る?」
朝宮の左足がわずかに動いた。
「朝宮、足は動かさないでくれ」
「え、ごめん」
探るように朝宮の足が元の場所に戻る。
「映らない。というか、朝宮さん動画に出てもらう話してないんだから、映さない」
生徒会机のそばで、三脚を動かす音がした。
「それより、今日も明日も助っ人って、大変じゃね? 夏休みずっとそんな感じ?」
「ずっとじゃないよ。でも、今入ってる予定だと、助っ人がない日のほうが少ないかな。午前だけとか、午後だけの日もあるけど」
「すげえ。断らないの?」
「断ることもあるよ。でも、人数が足りなくて困ってるって言われると、私にできるならやってもいいかなって。それに、頼ってもらえるの、けっこう嬉しいし」
左脚はだいたい狙いどおりの形になってきた。重心を預けている脚は、右脚とはわずかに筋肉の張りが変わってくる。その差は、粘土を盛る段階でつけることにしよう。
「それで遊ぶ暇なくなってんじゃん」
「前半はね。でも、後半はまだそんなに助っ人の予定、入ってないよ」
「みなもちゃん、前に海行きたいって言ってませんでした?」
「言った。海行きたいし、遊園地もいいな〜。夏祭りも絶対だし、お泊まりもしたい」
「やりたいこと、たくさんありますね〜」
「だって夏休みだよ?」
右脚も、左脚と全体の長さがずれないように組む必要がある。朝宮がいるあいだに、全身の寸法と輪郭だけは拾っておきたい。そこまでできれば、あとは——
「ま、行きたい日が決まったら言ってよ。一日くらいなら制作の予定も空けられるだろ。な、余?」
名前を呼ばれて手が止まる。
顔を上げると、三人が俺を見下ろしていた。
「なんの話だ。脚か」
「してねーよ。はー……いい。オレ編集作業やっとこ」
「昼間先生を探すのでした。許可を確認したら、そのまま生徒会室へ行ってきますね〜。完全下校前には戻ります」
快吏は窓際の机へ戻り、椿原も美術室を出ていった。会話が途切れると、蝉の声と扇風機の音が目立つようになる。
「五百蔵くんは?」
「なにがだ」
「夏休みに行きたいところ」
「ない」
「即答なんだ」
「ここでフィギュアを作る。それ以外の予定はない」
「……夏休み、ずっと?」
「完成するまでだ」
「そっか」
俺はまた、手元のスタイロフォームを削り始めた。




