第二章(二)
階段を下り、昇降口を抜けて、学校の外へ一歩出た瞬間、真夏の光が目に刺さった。
暑い。
頭上から照りつける日差しがアスファルトに反射し、足元からも熱が襲ってくる。美術室から出てきたばかりの俺には、外の景色が白く見えた。
「あっついね〜」
連れ出した本人は声を弾ませ、手でひさしを作って空を見上げている。太陽光への耐性が違うのだ。少しも悔しくはない。
校門を出て、スーパーのある方角へ歩きだしたところで思い出した。
スーパーへ行くには、やたらと急な坂を上らなければならないのだった。
だがいまさら引き返すわけにもいかず、黙って住宅街を進んでいく。
曲がり角を曲がった先に、坂が見えた。近づくにつれて、道路が壁のようにせり上がってくる。
ちらと隣を歩く朝宮を見るが、全く気にしていない様子だ。
朝宮はそのまま、平地と変わらない足取りで坂を上っていく。俺もあとに続いたが、少しずつ距離が開いていった。
顔を上げると、朝宮の黒髪が揺れている。高い位置で縛ったポニーテールは一定のリズムでゆらゆらと揺れていて、その背景が住宅街から、青い空へと移り変わっていく。
坂の頂点にたどり着いたくらいで、ふいに、朝宮がこちらを振り返った。
「五百蔵くん、歩くの遅くない?」
少しだけ首をかしげて笑う朝宮の背後には、雲一つない真っ青な空が広がっていた。
思わず足が止まった。
「五百蔵くん?」
「……坂があるのを忘れていた」
「そっかそっか」
坂を上りきると、今度はゆるやかな下りになる。視界が開け、住宅の屋根を少し上から見下ろせる。
俺がようやく追いつくと、朝宮は隣に並んで歩き出した。
「ねえ、聞いていい?」
「……なんだ」
「全国展のこと。私、なんで五百蔵くんが金賞取りたいのか知らないから」
「話してなかったか」
「してないよ。なんで?」
「この前、進路希望調査を出しただろう」
「え? うん」
「俺はフィギュアの原型師と書いた」
「第一希望に? それ以外は?」
「それだけだ。第二も第三も、書いていない」
「原型師だけなんだ……」
昨日、そのことで先生に呼ばれた。
——曰く。
原型師を目指すことが悪いとは言わない。だが、大学や専門学校へ進んでから目指す道もあれば、造形を生かせる仕事はほかにもある。まだ2年生なのだから、今までとは違う場所にも目を向けて、自分の可能性を試してみてもいいのではないか、と。
「うーん……言ってることは分かるけど」
「俺には分からなかった。自分の可能性を試すには、何をすればいいのか」
だから快吏に聞いた。
いつもの美術室で快吏へ説明すると、呆れた声が返ってきた。
『オレに聞くなよ。可能性って言われて分かるわけないじゃん』
『快吏は俺より成績がいい。分かると思った』
『お前の可能性まで分かる成績ってなに』
そう言いながらも、快吏は腕を組んで考え始めた。
『可能性、ねえ……。いつもの動画じゃなくて、もっと違う場所で評価してもらうとか?』
『違う場所の評価なら、中学のときに市の美術展に出して賞を取ったことがある』
『いいじゃんそれ。もっとでかいところとかにしてさ。全国から作品が集まるようなやつで……調べてみるか』
快吏はスマホをいじると、ものの数分で画面をこちらへ向けた。
『あった。第8回全国高校生美術公募展、だと。立体作品も出せるし、締め切りは8月末だ』
『賞はなにがある』
『金賞、銀賞、銅賞、あと特別賞がいくつか』
『なら、金賞だ』
『即決かよ』
『モデルは朝宮に頼む』
『朝宮さん? いや、お前、ちょっと待てって』
目標が決まれば、あとは行動に移すだけだ。
「——だから、全国展で金賞を取ることにした」
隣を歩いていた朝宮が、口をわずかに開けたまま、目を何度も瞬かせている。
「……それだけ?」
「目標にするなら金賞が分かりやすい。最初から銀賞や銅賞を目指すのもおかしいだろう」
「賞の種類の話じゃないよ」
そうこうしているうちに、スーパーに着いた。
朝宮が買い物かごを取り、俺たちは弁当売り場へ向かう。
「……でも、全国展に出ようって決めたのは、ちょっとすごいかも」
朝宮は弁当の並ぶ台の前で、端から順に目を移しながら言った。
さっきの話はまだ続いていたのか。
「まだ応募できてない」
「うん、応募の仕方は、もう少しちゃんと調べたほうがいいと思うけど」
弁当をひとつ手にとって、俺に聞く。
「辻くんは、チキン南蛮でいいかな」
「適当でいいと言っていた。それでいい」
「じゃあ、これで」
朝宮はチキン南蛮弁当をかごへ入れた。俺も隣にあった生姜焼き弁当を入れる。
「……思い切りがいいよね、五百蔵くん」
「快吏は本当になんでもいいんだ。俺もいつも食べるものは決まっているからな」
「そうじゃなくて。迷わないんだなって。全国展だって、先生に言われて、その日にはもう出ようとしてる。……普通はもう少し迷うと思うよ」
「……そういうものか」
俺たちの弁当と、朝宮のオムライス、椿原へのサンドイッチを選び、最後に飲み物売り場へ向かったところで、朝宮の助っ人ルールを思い出した。
「朝宮のは俺が買う。今日、モデルをしてもらっている分だ」
「ありがと。じゃあ、これ」
俺と快吏と椿原の分を選び、朝宮が指さした夏季限定のレモンソーダもかごへ入れた。
美術室へ戻ったころには、汗だくになっていた。
「飲み物とお弁当、買ってきたよー」
「ありがたや」
快吏が朝宮に両手を合わせた。
それから俺たちは作業机を囲み、遅い昼食を手早く済ませた。
「ポーズどうしよっか」
レモンソーダを一口飲んだ朝宮に聞かれ、考える前にひとつの姿が思い浮かんだ。
青い空を背に、坂の上からこちらを振り返った朝宮の姿。
作るなら、あれがいい。
麦茶のペットボトルを机へ置いた。
「もう決まった」
「うそ。いつ?」
「さっきだ。坂の上でやったのと同じようにしてくれ」
「……なにしたっけ、私」
「歩くのが遅いと言ったとき、振り返っただろう」
「あ、あのとき? えーと、こんな感じ?」
朝宮は黒板の前に移動すると、俺に背を向け、振り返った。
「違う。腰は前を向けたまま、肩をもう少しこっちへ。首も少し傾けていた」
「そんなの、覚えてないよ。……こう?」
「顎はもう少し引いてくれ」
肩と首の角度を何度か直してもらう。朝宮の身体が、坂の上で見た姿とようやく重なった。
「しばらくそのまま」
スカルピーをちぎって、ワイヤーの芯へ盛りつける。肩から背中、腰、脚へと、坂の上で見た朝宮を再現していく。
「ポーズはとれた。座っててくれ。迷ったときに、また頼む」
「うん」
俺は小さな人型の角度を変えながら、足りないところへ粘土を足し、盛りすぎたところを取り除いていく。
——形が見えてきた。
あと少しで、試作として完成と呼べる。顔は輪郭と向き、それに大まかな髪の流れだけにして、目鼻までは作らない。
「五百蔵くん、もう3時だけど」
朝宮の声が聞こえた。
「まだ1時間ある。あと少しだ」
「いいって、朝宮さん。こいつの『あと少し』は信用なんないから。椿原には、いまの状態を伝えとく」
椅子を引く音がした。快吏がこちらへ近づき、しばらく俺の手元を眺めている。
スマホのシャッター音が鳴った。
「まあ、ここまでできてりゃ説明はつくか。写真送っとくぞ」
「ああ……」
返事をしたところで、直すべきところが目に入った。
肩の角度が違う。もう少し後ろで、腰のひねりは控えめでいい。
脚が長いぶん、両足を揃えると立ち姿が硬くなる。
右足を半歩前へ出し、重心もそちらへ。
「……よし」
悪くない。
「五百蔵くん」
声を掛けられ、顔を上げた。目の前には朝宮がいる。
「朝宮……どうした」
朝宮は美術室の入口のほうを見る。その視線の先を追うと、引き戸の前で椿原が笑っている。
「五百蔵くん、いま何時です?」
壁の時計の針は夕方4時12分を指していた。
まずい。さっきまで3時だったはずなのに。
「その顔なら、一応、私が言った時間は覚えていたみたいですね」
「……4時だ」
12分も過ぎている。認識したとたんに冷や汗が出る。
「椿原、4時には……間に合わなかったが」
「そうですね。でも、手続きはしてきました」
「なんの手続きだ」
椿原は一枚の紙を、俺たちに見えるよう突き出した。
「造形同好会の設立手続きです」
「……同好会を作ったのか?」
「はい。新しい部がいきなり認められることはありませんから、まずは同好会です〜」
椿原の紙を、全員で囲んで覗き込む。
「造形同好会設立申請書……?」
表題を読み上げたのは快吏だった。
「五百蔵くんに足りなかったのは、所属する団体と顧問です。それなら、両方用意すればいい、ということですね〜」
「彩ちゃん……そんな簡単に」
「あら。簡単ではありませんでしたよ。活動する生徒が最低4人、顧問の先生が1人。あと活動方針と、夏休み中の活動計画が必要でした」
椿原はにこにこと説明しながら、指を一本ずつ折っていく。
「メンバーは五百蔵くんと、快吏くんと、みなもちゃん。それから私です」
「え、私も入ってるの?」
「4人にするには、みなもちゃんの協力が必要不可欠でしたので。さっきみなもちゃん、全国展に出したいって言いましたよね」
「言ったけど……同好会に入るなんて聞いてないよ?」
「少なくとも、全国展が終わるまではメンバーでいてくださいね〜」
「……助っ人してたら同好会員になっちゃった」
「所属先がないなら作る、その手があったか。いや、思いついても普通やらねーよ。椿原って強引だなあ」
「なんでもいいから全国展に出たいって、快吏くんが言ったんですよ」
「オレそんなこと言った? ……言った気がする」
「つまり俺は、全国展に出られるということか」
「はい。全国展への応募も済ませてあります」
椿原は事もなげに答えた。
「校内担当の先生には最後まで渋られましたけど、必要なものを全部揃えて説明したら、了承してもらえました〜」
「彩ちゃん、なんか楽しそうだね……」
「まさか。条件が多いほど、順番に片づけたくなるだけですよ」
「ありがとう、椿原。助かった」
にこり、と微笑む椿原。
「どういたしまして〜。いつかのために同好会の申請書を用意しておいてよかったです」
「前からオレらを同好会にしたがってるとは思ってたけど、そこまでか……」
俺にはまだ、確認していないことがあった。
「顧問の先生は誰になるんだ」
「昼間先生にしておきました」
朝宮が首をかしげる。
「昼間先生って、いつも白衣着てる、あの?」
快吏が頷いた。
「一応、美術の先生。オレらが放課後にこの美術室を借りられてるのも、昼間先生が話を通してくれたからなんだけど……同好会の顧問なんて引き受ける人だったっけ」
昼間先生は、旧校舎の美術準備室で寝ているところを俺たちが発見して以来の付き合いだ。起きていても動きは緩慢で、いつも眠そうにしている。夏休み中、顧問として俺たちを監督する姿は、いまひとつ想像できない。
「今はいいじゃないですか〜。そんなことより、明日からの予定を決めましょう。完全下校まで、あまり時間もありませんから、ぱぱぱっと進めますよ〜」
顧問が夏休みに働くかどうかは、そんなことらしい。




