第九章
遊園地へ行った翌日、朝宮は言ったとおり、美術室に来なかった。
俺は、観覧車で朝宮に言われたことをずっと考えていた。
どういう気持ちで言ったのか。
いまのところ、観覧車で言ったことではだめだったということがわかっている。
「お前、ずっとフィギュア睨んでるけどどうした」
作業机の向かいに座る快吏が訝る顔で聞いてくる。
「手につかない」
「だろうな。それ、昨日と全然変わらんし」
快吏が指さすのは、手元のフィギュアだ。赤いアイドルのキャラクターを作り始めてから、すでに1週間が経とうとしているのに、まだぼんやりと人の形が見える程度で、なんのキャラクターかも判別がつかない。
「……ずっと考えているんだ」
「朝宮さんか?」
「なぜ分かる」
「見てれば分かる。分かりやすすぎる」
「む」
「このまま制作止まんのも困るしさ。話くらい聞くけど」
「いらない。俺が朝宮をどう思っているのか、自分で考えてほしいと言われただけだ。快吏に答えを聞いたら意味がない」
「お前、まじか。……いや、朝宮さんに自分で考えろって言われてんなら、オレからは言えねえわ」
何か知っているのか。でも聞きたくはない。
快吏はまだもごもごと言いかけたが、結局、乾いた笑いを漏らした。
「せいぜい頑張れ」
「すでに考えている」
答えが出ないまま、全国展の最終結果の日を迎えた。
夕方ごろに結果が出る。俺は椿原が来るのを、フィギュアを作りながら待っていた。とはいえ廊下を足音が通るたび、美術室の入口へ目を向けるくらい心ここにあらずで、そわそわとしていた。
そこへ小走りの足音が近づいてきた。美術室の引き戸が開き、椿原が焦った表情で入ってくるなり、
「全国展の、結果が出ました」
と息せき切って言った。
俺も快吏も、次の椿原の発言を固唾をのんで待つ。
「受賞、しました」
思わず椅子を鳴らして立ち上がった。
「おお、すげー、まじで受賞してんじゃん!」
「何賞だ」
すぐに聞き返す。
椿原は乱れた呼吸を整え、ふうと大きく息を吐いてから口を開いた。
「特別賞です」
「とく、べつ、しょう……」
立ち上がったまま、動けなくなった。
快吏も、突き上げかけた拳を宙で止めている。
「……特別賞? それって……」
「金賞や銀賞とは別に、審査員が独自の観点から選んだ作品へ贈られる賞です」
「金賞じゃないのか」
確かめるように聞く。
「……はい。金賞は取れていません。でも十分すごいですよ」
「……」
何も言えなかった。
金賞ではない。その言葉がすぐには頭に入ってこなかった。聞き間違いではないのか。では、何が足りなかった。問いが次々と浮かぶのに、どれも口には出なかった。
「講評もあります。『等身大という規模を生かし、振り返る一瞬の動きと人物の個性を生き生きと捉えた点を高く評価した。人体の量感と重心を的確に把握した確かな造形力があり、表情を含む細部の表現からは、対象に向けられた作者の眼差しが伝わる作品である』とのことです」
「……そうか」
俺は美術室の入口へ向かった。
「どこ行くんだ」
「朝宮に伝えてくる。朝宮はいま、どこにいる」
「もう帰りましたよ。結果は五百蔵くんから直接聞くと言っていました」
「分かった」
メッセージでは伝えたくない。直接会って話がしたい。
美術室を出るなり、朝宮へメッセージを送った。
『結果が出た。いまから会えるか』
返事はすぐに来た。
『行くよ。どこにする?』
どこにするか考えているうちに、続けてメッセージが届いた。
『どこでもいいって言いそうだから、水守神社にしよ』
『いく』
神社に向かっている間、講評の言葉を思い返していた。
人物の個性を、生き生きと捉えた。
当たり前だ。朝宮を見て作ったのだから。モデルとして立っている姿だけではない。笑ったり、怒ったり、怖がったりする朝宮を見て、最後にあの形を選んだ。
鳥居をくぐったところで、スマホが震えた。
『石段のいちばん上にいるね』
参道を通って、石段を上る。
作者の眼差しが伝わる、とも言っていたか。
たしかに俺は、朝宮をずっと見ていた。だが、全国展で金賞を取るためだけに見ていたわけではない。
夏祭りでは、フィギュアのことを考えていなかったのに、花火より朝宮に目が行った。制作しているときも、形を確かめる必要がないときまで、変わっていく表情を見ていた。遊園地では、フィギュアもモデルも関係なしと決めたあとも、何度も朝宮をかわいいと思った。
途中、花火を見た踊り場を通り過ぎて、さらに上る。
見る必要がなくても、俺は朝宮を目で追っていた。
——好きじゃなかったら、そんなに夢中になって見ないと思うよ。
遊園地で、モニュメントを見ていた俺に、朝宮が言った言葉だ。
あのときは、造形のことだと思っていた。
だが、朝宮を見ていたのも同じことなら。
「……そうか」
ようやく、分かった。
石段の最上段に、朝宮が座っている。薄手のパーカーを羽織った私服姿だ。
「五百蔵くん。こっち」
朝宮が隣の石段を軽く叩く。腰を下ろすと、眼下には夕日に沈みかけた町並みが広がっていた。下のほうに小さく鳥居があって、そこから一直線に参道が延びてきている。
少し間を置いて、切り出した。
「全国展の結果が出た」
「聞きたい」
「……特別賞だった」
「すごい。五百蔵くんやっぱり上手いんだよ。おめでとう」
「金賞は取れなかった」
朝宮は前を向く。笑みがわずかに薄れた。
「……うん」
「朝宮らしく作れたことには、自信があったんだ」
朝宮がゆっくりとこちらを向いた。頬に夕日が当たっている。
「うん」
「朝宮に言われたときは、何度直しても、どう作ればいいかわからなかった。あんなことは初めてだったが……最後にはこれだと思った。作りたかった朝宮になった。一番の出来だった」
「私も、あれ好き」
「だから……こんなに悔しいとは思わなかった」
口にすると、また悔しくなった。
「……そっか。……悔しいなら、次もどこかの美術展に出すの?」
考える。
答えはすぐに出た。
「また出す。今度は一番を取る」
「うん。五百蔵くんが作りたいもので一番取るとこ見たい」
次に作るものも、朝宮に見てほしい。途中でも、完成したときでも、感想を聞きたい。一番を取ったときには、一番に伝えたい。
「朝宮。観覧車で聞かれたことに答える」
朝宮の表情が引き締まった。俺に身体ごと向き直る。
「……うん」
「俺が朝宮と一緒にいたいのは、朝宮が好きだからだ」
朝宮は何も言わない。俺を見つめたまま、その頬が夕日と同じ色になっていく。
「朝宮」
もう一度名前を呼ぼうとすると、朝宮は「もー……」と漏らし、膝へ額を押しつけた。
「……遅いよ」
膝に頬を預けたまま、こちらを見る。恨めしそうなのに、口元は笑っている。
「1週間は、俺には早かった」
「1週間のことじゃなくて。私、もっと前から、モデルだから一緒にいたわけじゃなかったんだよ」
「……遊園地より前か」
「もっと前」
「気づかなかった」
「五百蔵くん、作ることしか考えてなかったからね。フィギュアにちょっと妬けるくらい」
「それで、朝宮。返事を聞きたい」
「え、聞くの?」
「好きと言われていない」
「もう」
朝宮が身を乗り出した。
目の前で髪が揺れたと思った次の瞬間、唇に朝宮の唇が触れた。
「…………」
顔を離した朝宮は、耳まで赤くして笑って言った。
「好きだよ。私も」
「そ、そうか。……よかった」
……かわいい。




